「学歴は必要ない。」に対して
社会に出て、とっっにかく言われること。
「学歴は必要ない。学歴は関係ない。」
高学歴なのに無能で仕事もできず、頭も固い人々がいる一方で、低学歴でも社会に貢献して活躍している人々が多くいるからこそ、この言葉は生まれる。
私の周りには、社長やフリーランスなど、リベラルでベンチャーマインドな方々が多いので、より一層、「学歴不要論」が出る。
はあちゅうさんは、「大学行くよりオンラインサロン」とまで言う。
私は、こういった、学歴不要論に、理解・共感できるけど、必要な人には必要だし、「不要」は、ちょっと違うかなあと思う。なんとも断言し難い意見を持っている。
私は、小中高と、習い事に部活動、学習塾の日々だった。学校と塾の往復で、都内での受験競争に揉まれた中高時代だった。受験生である中3・高3だけでなく、塾に行くと学年関係なく毎月の模試で成績を修めなくてはいけないから、すごく大変だった。努力しているのに結果が出なかったり、努力してるのに怒られたり、とにかく大変だった。
今、社会に出て、「高学歴不要論」「そもそも教育不要論」に揉まれている。
確かに、できる人は、中卒で起業とか、高校生のブロガーとか社長とか、いることにはいる。私は所謂受験競争に勝って、高学歴と呼ばれる大学を出たのにも関わらず、それを活かしきれてない。(ここでの活かす、は、大学で得た知識教養を使って仕事をしてお金を稼いだり、社会に貢献したりすること。)
でも、私は、無駄ではなかったかなと思う。大学の学費は高いし、受験までの投資の額も含めたらすごいお金がかかっている。
でも、じゃあ、あの中学生の頃、他に選択肢があったか?周りの人に反対されても貫けるような確固たる自信や自分のやりたいこと、自分の思いはあったか。
私はなかった。
毎日沢山習い事してたから、部活もしてたから、とにかくそれで自分が一生懸命頑張って、少しでも良い成績を残して。それだけでもう、大変だったし、忙しかったし、頑張ってた。
「もっと社会のことを見ないといけない」「食べていくためには仕事のことを考えないといけない」という意見も分かる。中学生で、社会に目を向けて、お金を稼ぐ人たち、すごいと思う。
私は、子どもの頃、親の言うことを聞くのが親孝行だし、良い人生…とまではいかなくても、良い人生を導く何かだと思ってた。子どもにとって、社会は広くて、大人はすごくて、ニュースは分からなくて、政治も経済もどこか他人事で。それより、部活の試合に勝って周りから評価されることの方が当時の私には重要だった。そんなに社会に対してアグレッシブに考えられるほど、行動範囲や思考は広くなかった。
その時の、精一杯。
勉強を頑張ること、部活を頑張ること、友達と仲良くして、時に恋愛したりすること。そして、受験で良い大学に行くこと。
確固たる何かが自分になかったら、流れに身を任せて、受験でも大学でも良いと思う。
そして、その頑張りは、節々で私の生活を支えてくれてる。ちょっぴりだけど、自信とか、やる気とか、モチベーションとか、プライドとか。これは、学費に対して安いバックかと言うと、そうでもないと思う。
なぜなら、私が大卒じゃなかったら、節々で自信ややる気の喪失に阻害され、もっと自分のことが嫌いになる。
こういうマインドは、いくらに換算できるかなんて、よく分からないけど、結構貴重だと思う。
人生そんなにキレイにいかないし、周りの反対に押し切る勇気も自信も、根拠も思いもそんなにないし、たくさんムダが出て、たくさん紆余曲折があって、いいと思う。
色んな社長は、「学歴じゃない」って言う。低学歴のイケてる社長、超多いもんね。
でも、どんな子ども時代でも、それが自分の性格を作り、自身を作る。ネガティブに働くこともあるけど、ポジティブに働くこともある。
だから私は、学歴不要論に対しては、一応頷くけど、自分の過去を今後も責めないでいこう。
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