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過去の友達に認められることの嬉しさ

先日、自宅に高校時代の友人が来た。同棲を始めて4ヶ月、友人を家に呼ぶのは初めて。今年度、過去の友人と会うのも初めて。
私は今、仕事も交際も住居もすべて、周りの友人とは全然違うスタイルで、会社は辞めたし同棲してるし、交際相手は10以上も年上である。
私と仲が良いとはいえ、こんな状況では、友達には批判・心配・嫉妬されると思ってた。心底どう思ってるのか不安になるし、でもそれ気にしてたら何もできなくなるし。そんな感情が鬱陶しくて、心配性で、大学卒業後、社会人になってからは、友人と会わなかった。理解されないと諦めていたから、新しい縁を求めていた。

今回友人を家に呼んだのは、「会いたい」とSNSで声をかけてくれたのと、今の私の心境・状況に気を使ってくれている文面に見えたので、信頼して自宅に招いた。
高校時代の部活の友人二人が来たのだが、終始褒めてくれて、「朱音らしい」と言ってくれた。これ以上のほめ言葉はないと思う。
私自身、社会人になって結構変わったと思っていたのに、「真の部分は昔の朱音のまんまだし、会社辞めたのも、同棲してるのも、そういうところも全て朱音らしい。」と言ってくれて、私の周りは案外私のことをすごく理解してくれていたのと、何なら私以上に私のことを理解してくれていた。
私、人の優しさに弱いから、先日の夜は幸せいっぱいで、胸いっぱいで、もうなんかずっと涙出そうだった。
他人を嫉妬や批判をする人って、多分うまくいっていない人だと思う。心身ともに健康な友達なら、私のこと意外とわかってくれる気がした。褒められたり、認められたりするのは、どんな方からでもとっても嬉しいことだけど、過去の友達に「変わらないね」と笑って認めてもらえるのは、過去の自分も、過去から今にかけての自分も、現時点での自分も、すべて許容されている気がした。その言葉の持つパワーは、計り知れない。過去の友達ってすごい。包容力のレベルが違う。

そして、波乱万丈の私の人生、ずっと落ち着かないでドタバタしてるから、すぐ環境も状況も心境も変化している気がしてたんだけど、人間軸の部分は、そんなに簡単に変わらないっぽい。そして、自分より周りが、自分のことをわかっている時もある。豊かで充実した、明るい学びの時間だった。

会社の人とかヒドイ人多かったし、その後も詐欺師にばっか会ったし、マルチ勧誘にもあった。本当に今年度初めて、ようやく会う価値ある人に会った気がする。

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