もう教育はやめた
私は学生時代、教育にどハマりしていた。教員免許はもちろん、教育関係のボランティアを四六時中やってたし、イベントも開催してたし、教育界で有名な方とたくさん出会ってた。アルバイトもチューター、塾講師、幼稚園英語教諭等々、教育ばっかり。
なぜ私がそんなに教育熱心だったかというと、大学入学後、学内で活動の幅を抑えず、自分の可能性をとにかく広げたくて、学外でたくさん繋がりや出会い、機会を求めて動いたから。教育って、いくらでも人欲しいから、ボラ募集がすごく多かった。放課後教室から児童館から子供キャンプから何から何まで。もう凄い勢いであるし、まあハズレない。相当な子供嫌いじゃなければ、子供は大概お姉さんお兄さん大好きの甘えただし、自分が通ってきた道だから、なんか安心感ある。
まあそんなこんなで、気づいたら四年間やってた。それで、あっという間に就活、もちろん教育の道に進みたくて、就活も教育関係一択。そんな私だから、就活のウケは良くて、受けた会社20社くらい?全部受かって、その中で一番いいと思ったところに入った。
当時は私なりに必死だったし、一生懸命頑張ってたし、周りからも認められてたから良かったけど・・・こうやって書き起こしてみると、ペラッペラだなあ。今の方が断然深みがある。
人生そんなものか。当時はこれが精一杯だったから、それで良いんだよね。当時があっての今だしね。
それで、周りからも自分でも、教育しかない!くらいに思ってたわけ。でもね〜もう学校教育はやめた。学校教育とか受験の教育は、自分の子供だけでお腹いっぱいかな。私がやらなくても良いかな。
私が何故辞めたかというと、東大行ったら人生幸せかな?良い教育受けたら、人生成功かな?違うと思う。もっと人生って深い。子供時代は、少しくらい不幸でもいくらでも挽回できる。ホリエモンは、子供の頃、新聞配達サボったら、実母に包丁向けられてる。多くの社長は、警察呼ばれる人もいりゃあ、ゲーマーの人もいりゃあ、並外れた人ばかり。社会に、「いい子」なんて全然居ない。活躍してる人も、そうでない人も。
むしろ、学校教育が求める、「いい子」は将来の足かせとなる。反抗期が全くなく成績も良かった私は、「失敗できない自分」「かっこ悪くいれない自分」「親や先生に悪く言われる自分」が自分じゃない気がして、すごく制限かけてた。好きなものも、「本当にこれが好きなのかなぁ?」といちいち疑うし。
例えば、子供時代にビジュアルバンドが好きだったとする。でも、教育的にはどうだろう?デスメタルは?深夜のアニメは?ゲームは?
だめ?
そんなことないよね。それ仕事にして輝く人たくさんいる。それ狂ったように頑張って、夜も寝ないで励んでいたら、プロになれるかもしれない。私は自分の好きなものが大人が「正しい」と思うものじゃないと、モラルに反する気がして、好きになれなかった。苦しいよね。
それでいて、私はテストの点を取ることや受験で受かることが人生の成功って考えていたから、学びの本質を見失ってるんだよね。人と話すことは得意だから、対人の仕事はできるんだけど、例えばパソコン、webサービス諸々。今、htmlとか広告いじったりしてるけど、「なんでこうなってこうなるんだろう?」とか理科的なもの?物理的な思考力?とにかく、本質的に考えることが弱い。想像力が欠如してるし、サボりたくなっちゃうし、疲れてしまう。仕事だから、頑張ってるけどね。
やっぱりこうなってくると、学校教育(勉強面、生活面両方)ってどうなんだろう?今の時代にあってないことはもちろん、本当に子供の幸せ考えてる?教育界の大人のエゴなんじゃないのって思う。お金の教育だって性教育だって何だって足りてないし!
子供なんて、経験少ないんだから、何でもすればいいの。人殺すとかは良くないけどね、踏んだり蹴ったりでいいんだって。子供だからできることたくさんある。
極端な言い方すれば、子供は多少不幸でも最悪いいのね、生きてれば。私、優等生で家族も居たけど、本音の居場所が全くなくて上っ面だけで、痴漢にも不審者にもたくさんあって、振り返ると不幸だったと思うもん。私の場合、あんまり自分の状況に気づかない鈍感さに恵まれてるけど。
家出少女とか片親とか、厳しい現実たくさんあるし、そりゃあみんなが幸せな世の中がいいよ。でも、子供の不幸と大人の不幸は訳が違う。
大人の不幸はこのままじゃマズイなと思う。日本を経済的にも国力的にも支えなくちゃいけない。大人が一番多いからね、国民の中で。それが死んだら国が死ぬ。
だから子供の教育やめて、大人の教育してます。子供より何億倍もやること多い。しこりが固い。皆頑固。多様で難しい。がんばります!
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