見出し画像

鎌倉時代の甘味、甘く美味しい幸せ   吾妻鏡の今風景53

 甘味を口にすると、美味しいと感じる。なぜか。これは甘味が糖質であるため。舌の味蕾が糖度を感じると、脳が糖質を歓迎、それが美味しいという認識になるのだという。

 糖質を摂取すると、脳内でセロトニンやドーパミンが分泌される。セロトニンは精神を安定させ、ドーパミンは精神を活性化させる作用があるので、悲しみは癒され、幸福感に包まれ、「さあ、頑張るぞ」と前向きになれる。甘味という味覚の先にある幸福感。

 人は糖質を求める。それは糖質が活力の源であるから。そして幸福を感じさせてくれるから。やる気スイッチを入れてくれるから。さらに糖質は人の心だけではなく、経済をも動かしていく。

 さて、鎌倉時代の甘味はいかに。

 まず、砂糖はあった。といっても、砂糖ではなく蔗糖という。
 鑑真が756年に日本に渡る際に準備した舶来品の目録に「石蜜、蔗糖、蜂蜜、甘蔗」と記載があったという。
 蔗糖はどうやって作るのか。サトウキビの汁を煮詰め、精製(茶色い部分を取り除く作業)して作る。といっても、完全に白い砂糖が作られていたわけではなく、現在の三温糖ぐらいの感じ。
 蔗糖は、大陸から渡ってきた貴重品、薬としても使われたほど。なんの薬かというと、疲労回復薬ですって。おお、良薬は口に甘し!
 あのノストラダムス(ミシェル・ド・ノストラダムス)も、砂糖を滋養に富む食材として、その著書『化粧品とジャム論』に記載している。砂糖は防腐剤としても優れているので、砂糖を使うことで保存食品のジャムが完成する。

 甘藷とはサトウキビ。
 石蜜とは、サトウキビの汁を煮詰め、精製せずに固めたもの、つまりはブラウンシュガーの塊。(ただし、中国雲南省では、野生の蜜蜂の巣の蜂蜜が長い年月をかけて固まったものを石蜜というようですが。)
 サトウキビは当時の日本にはなかった。サトウキビの原産地はニューギニアだそうですが、紀元前2000年頃には、インドで砂糖が作られ、中国で砂糖が作られるようになるのは紀元350年頃、五胡十六国時代。日本でサトウキビの栽培が始まるのは江戸時代になってから。

 では、鎌倉時代には、巷には甘いものはなかったのかというと、さにあらず。

 飴。といっても、大阪のおばちゃんたちがくれるキャンデーではありません。水飴。
 なんと、神武天皇が大和の国を平定した際、「大和高尾」の地で「水無飴」を作ったと『日本書紀』に記載されている。あら、神武天皇は甘いものがお好き・・・なのではなく、たぶん神前への奉納品として作られたのではないだろうか。

 水飴はどうやって作るのか。麦を発芽させ(麦もやし)、これを粥の中に入れておくと、あら不思議。水飴になるのでございます。
 麦を発芽させる→成長ホルモンのジベレリン→アミラーゼがでんぷんを分解して糖に。
 しくみはわかったので、作ってみようかな、と麦を買いに行きましたが、スーパーには売ってなかった。調べてみたら、乾燥発芽大麦(モルト)が市販されている。通販もあるようですが、冬季限定販売で1㎏。う~ん、1㎏もいらないなあ、それに温度管理も大変だし、と考えてやめました。
 が、やり方としては、米粥を作る→発芽大麦入れる→保温(60度ぐらい)一晩置く、でできるはずです。
 明治の頃には、水飴を作ってくれる店というのがあり、米を持ち込んで料金を払い、次の日に水飴を取りに行くのだそうです。米ではなく、サツマイモで作る店もあったようです。

 そして麹。麹菌(コウジカビ)のアミラーゼがでんぷん質を糖質に変える。
 我が家で祖母が作っていたのがこれ。今でも覚えていますが、冬に作る。麹菌(コウジカビ)を買ってくる(昔は酒屋で麹を扱っていた)→米を炊いて64度までさます(きちんと温度計で計る)→麹菌(コウジカビ)入れて混ぜる。祖母はそれを炊飯器のカマの中でやっていましたけど、つまりはその炊飯器ごと、毛布にくるんで電気炬燵の中に一晩。これで甘酒ができます。(注・50度以下になると糖化しません。酸っぱくなる。)
 
 母が亡くなる前年まで、毎年祖母が作っていました。母が亡くなったのは私が14歳の時で、それ以来、祖母は甘酒を作らなくなってしまいましたので、私もそれから甘酒を飲んでいない。
 甘酒を買う機会がないわけではないのですが、祖母が作っていた甘酒の味とは違うのかもしれないと思うと、手を出す気にはなれないまま。その祖母も、もう亡くなってから久しく、先日、叔母(母の妹)に会った時、「おばあちゃん、冬になると甘酒作ってたの覚えている?」と聞いてみたら、「ああ、昔の甘酒ってそんなに甘くなかったのよね」と言うではありませんか。たしかに糖度はそれほど高くはなかったのでしょうけれど、糖度=幸せの度合いではない。私の舌には、ほんのりと甘い味の記憶が蘇る。遠い遠い昔の味の記憶。

 蜂蜜。蜂蜜は、縄文時代にすでにあり、野生の蜂蜜を採取していた。養蜂は、「日本書紀」では皇極二年(643年)に百済人の余豊(百済最後の王、義慈王の王子)が奈良の三輪山で養蜂を試みて失敗したという記録があり、平安鎌倉時代には野生の蜂蜜を集めていたようです。鎌倉周辺、関東の山の中には、それこそミツバチはたくさん飛んでいたでしょう。
 ギリシャ神話によれば、蜂蜜は、神々の食べ物で、太陽神アポロンと女神キュレネの子、アリスタイオスが人々に蜂の飼育を広めた。つまり、有史以前から、人々は蜂蜜を食用としていたということ。
 ただし、日本において養蜂が行われるようになるのは、江戸時代になってから。
 
 甘葛(あまずら)。紅葉する蔦(つた)の茎の中にある糖分を採取したもので、枕草子にも登場する甘味。
 現在は蔦から糖分を採ることはしないので、甘葛(あまずら)は、幻の味になってしまった。でも、近いものといったらたぶんメープルシロップかな。メープルシロップは、サトウカエデ(カナダ、北アメリカ原産)の木の幹から採った糖質。甘葛を再現してみたという記事を読んでみたら、ちょっと苦みがあるようですが、たぶん蔦の種類にもよるのでしょう。
 

 甘味は活力。そして、心を癒す。
 ・・・でも私、今、糖質制限しているんですけどね。

(甘い菓子については、別な機会に。)

いいなと思ったら応援しよう!