過ちを犯した人も笑っていい!

執行猶予:判決を受けた方が過ちを反省し、再び過ちを犯さないように更生する期間。その期間は通常の生活ができる。謹慎期間・自粛期間では無い。

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金曜の夜、早めの夕ご飯とシャワーを終えて部屋に戻り携帯の充電をはじめた。

ついでにTwitterをひらくと、トップにLIVEの画像が出てきた。

テーマが「過ちを犯した人は笑ってはダメなのか」

は?誰だ!ダメって言ってるのは!

これは観なければいけないな、とすぐLIVE配信をひらく。

画像1

ハフライブ。薬物で逮捕歴がある俳優の高知東生氏と依存症支援者の田中紀子氏、作家の雨宮処凛氏と記者の石戸諭氏のお話の場。

高知氏の薬物に手をだしたきっかけ、依存のこと、逮捕、執行猶予中の心情を聞く。治療中「死のうと思っていた」という高知氏の言葉にガツーンと衝撃をくらう。すでに治療を進めているのに死ぬ?それはバッシングを続けるメディアだけでなく優しい友人達(高知氏は「正しい知識を持たない人たち」と呼ぶ)に自分の現状を理解されない生きづらさからだった。

はっとした。私も「正しい知識を持たない人たち」の一人だった。急いで執行猶予の意味を調べた。高知氏は「執行猶予中は自粛して反省し、外に出ない方がいい。何もするな。」と周りに言われた。これって完璧にTVのワイドショー等のコメンテーターが「反省してほしい」「粛々と受け止めてほしい」「関係者の皆さんに迷惑がかかるのに、なぜ薬に手を出してしまうのか」「一発アウトで実刑にすればいいのに」と、まるで自分たちは聖人君主のごとく辛辣なコメントをする事に影響を受けているのは間違いない。本来ならば「執行猶予は反省と社会復帰のチャンス時期」なのに、正しい知識を持たない人の中で高知氏は追いつめられた。

そんなときに依存症支援の田中紀子氏のススメで参加した自助会で、高知氏は依存症の方々と意見を交わしわかり合う事で変わっていく。人は、人とのつながりが人生を豊かにする上で一番大事だと私は思う。ただ、広く浅くいろいろな人につながるのではなく、自分の良いところも悪いところも(恥に思う部分も)知ってくれて、自分を時には必要としてくれる人たちとの狭く深いつながりだ。

途中作家の雨宮処凛氏も参加し、マスコミの報道の仕方についても話し合うハフライブ。目からウロコが落ちまくってもう落とすウロコは無くなってしまった。TwitterでのLiveということで、TVのような編集はないし、絶対TVでは放送されないであろう情報も得ることができた。TVというのはスポンサーへの配慮だけではなく、政治的なものもかなり影響していることを改めて実感。いろいろなところの既得権益を考慮しTV番組は編集され、印象操作が進み、調べることもせずそれを真に受けてコメントをするコメンテーターが多発し、同じようなワイドショーばかり放送されるもんだから、これまたこちとら一般ピーポーは自分で調べることもせずに洗脳されてしまう。。。これはダメだ。絶対ダメだ。

「クスリに手を出したのは本人の意思でしょう。再犯の確率が高いでしょう。」とよくコメンテーターが言っている。この世にはいろいろな生い立ちの人がいて、いろいろな考えの人がいて、いろいろな精神・健康状態の人がいる。だから手を出したきっかけなんて人それぞれだと思う。きっかけを責めてもなにも変わらない。過去の話をしても過去は変えられないのだ。だったら、「こんな回復プログラムが用意されていて」とか「日本にはこんな自助グループがあり、世界には…」とか、「薬物摂取を撲滅するためになにができるか」とか、現在以降にできることを話しあっていこうじゃないか。

まず知ろう。田中氏が言われていた、「依存症は回復する」ということを。依存症は相談する場所があり、また場所によっては通報されないことを。

「活動自粛」とかも日頃耳にタコが出来るぐらい聞くフレーズだ。私も今知った身でお恥ずかしいが、執行猶予は「活動自粛期間や謹慎期間ではない」ので、「どんどん活動して回復する姿を見せていける」ように日本社会の許容範囲をどんどん広く変えていけたらいいと思う。私がもしお昼のワイドショーの司会だったら、「みなさん、執行猶予ってなんのためにあるか知ってる?」という質問をコメンテーターに投げかけて話し合ってみたい。そしたら「あれ?私たちなんか間違っちゃってたっぽくない?そんなに責めたらかわいそくない?なんか私たちひどくない?」と、案外ころっと世論がひっくり返るかもしれない。

過ちを犯した人は笑ってはダメなのか?

一生笑わずに生きていかなきゃいけないなら、生きていく楽しみありますか?

人間は大なり小なり過ちを犯している。生まれてから今まで一回も過ちを犯したことがない人は存在しない。純真無垢なのは赤ちゃんぐらいだろう。その過ちは法に触れるものもあれば、ギリ触れないもの、法とは関係ないけど倫理的に許されないもの、嘘をついた、消しゴム借りパクした、自分の寝っぺを誰かのせいにした等…大小さまざまだ。過ちを犯した人が笑ってはダメなら、私は2歳ぐらいからずっと笑ってはいけない人だっただろう。過ちが法に触れたからといって、その人の人間性が全否定されるのだけは絶対おかしい。

過ちを犯しても人間は更生し、回復し、誰かのために誰かの役に立つことができる。印象操作をかいくぐり、正しい知識を得る重要性を広め、おもいやり・助け合いの精神で社会を良くしていきたいと思わせてくれたハフライブ。

完璧にハマったな、私。





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