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人生から学ぶ
なにやら大袈裟なタイトルだけど、最近強く思う事を書いてみようと思う。
多分、このnote の住人で、書くことが好きな人達なら色々なタイミングで何度も考えたことがあるのだろうと思うけど、全く別なシニアのコミュで出会う人達の中では、全く学んで来なかったの?か?と
思うような毎日日記を見かけることがある。
そんな時に違和感を覚えて、何故?何が違う?どうしてだ? と、考察してみると、より一層、自分の学びになったりする。
つまり、ザワザワする人と出会った時こそ、それは教材となり学びを深める事が出来るチャンスになる。
と、最近思うようになった。
沢山の学びがあるが、特に思うのは
○ 他者の気持ちなんかわからない
と言う事。
その人が口から発する言葉も、SNSで発信している事も、それは上辺の事だけで、その人が自分をどう見せたいかが強ければ強いほど、尚一層それは
偽りに満ちている。
逆を言えば、私の本当の気持ちも、他者にはわかるわけが無いのだ。
もっと言うと
○ 人は見たいようにしか物事を見ない
あの人はこう言ってるから、こうなんだろう。
あの人がそうしたから、そう思っているんだろう。
それは、私が "あの人" のことをそう感じた
と言うだけであり、
本当に"あの人" が、そう思っているかなんて
誰にもわからない。
他者の気持ちがわかるなんて、そんなの奢りだ。
でも、その他者が大切な人であるならば、その気持ちに寄り添いたいと思うだろう。。
私は人生で1番悲しい気持ちになっていた時に、
"寄り添ってくれた" と思えたのは
言葉は無く、無言で、私をハグしてくれて
一緒に泣いてくれた人達だ。
ひとりじゃなかった。。
何人かいた。
余計な言葉は発せずに、ただただ、ハグしてくれた。。
どんな言葉も陳腐になるからだろう。
手を広げて私を抱きしめながら、その人達も泣いていた。
その後に色々な場面で会った人達には、
わかってもらおうとは最初から思わなかった。
だから、本人が良かれと思って発した慰めの言葉に、ちょっと引っかかる言葉もあったが、
" ああ、この人は子供がいないから、そう言う言葉が出るんだなあ.."
と、
そうぼんやりと思うだけで、特にそれ以上の事は
求めなかったから、その後も付き合いは続いている。
幸い、上辺だけの慰めの言葉だと感じるようなことを発する人は、いなかったと言っていい。
でも、それって、私の受け止め方だし、
"上辺だけの言葉しかないよね、この人は、、
だってそんなに深い付き合いじゃないしね"
と、割り切ってる自分がいたからだ。
さて、ここで、もし立場が逆になったら...
大なり小なり色々なことがあるが
その人にとってそれが大なのか、
私目線でみると小でも、
その人にとっては大かもしれない。。
その逆もある。
そう思うと、簡単に言葉を発することが出来ない。
その人の言葉、様子、行動をみる。
私の言葉を敢えて欲しいとも思っていないかもしれないし。。
それはわからない。
私に出来ることは、相手の気持ちを勝手に推し量って判断して言葉を発したりしない。。
と言うことだ。
ここまで書いて、すごく大きな例を示してしまったけど、日常での、色々な事で言えば、
ちょっと嫌な人だと感じた時に、
ひとりになってから自問自答してみる。
○自分の気持ちを俯瞰してみる
その上で...
○"私" は何故、嫌だと思うのか
○"私" はどの言葉に反応しているのか
○それは何故か。その感情は過去の嫌な事の記憶
だから、それを探ってみる
そんなふうに自分の気持ちを良く見てみるうちに、
その嫌な人の事なんかどうでもよくなっている
ことに気づく。
以前なら、嫌な事を言う人、嫌な態度をとる人に
焦点を当てて、その人の何が悪いのかをひたすら考えて、全てその人が悪いのだ。と思っていた。
でも、その人の本当の気持ちなんか、私にわかるわけが無いのだから、
"自分がどう思っているのか"
"自分はどうしたいのか"
自分の本当の気持ちに焦点を当てて、考えてみて、
その気持ちを受け入れること。
それをすれば、他者から自分がどう見えるかは
どーでも良くなる。
人にわかってもらおうとも思わなくなる。
私はわたし。
このまんまでいい。
自分をまるっと受容出来れば、他者に求めなくてもこの世は生きやすくなるし、多幸感を持てる。
そして やりたい事をする為に必要な事を習得したり、知識を身につけたり、今やるべき事を淡々とする。
他者と比べない。
それをする事で自分はどう感じるのかを、俯瞰してみる。。。
沢山のやるべき事をすればするほど、達成感を得られる。
その時の悦びを知れば、また日々のやるべき事を淡々とする事が出来る。
他者からどう見られるかは、後から付いてくるオマケだ。それ自体を目標にはしない。
あくまで、自分の心がどう感じるのかを俯瞰して
見る事。。。
人生はずっと学びだ。
それをする為にこの世にいる。
○自分の心を満たせるのは、自分。。
それさえわかればもう怖い事は何もない。
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