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朝から"海のはじまり"を観て号泣....大竹しのぶと自分が重なってしまった。

いつも朝食時に、TVerで前日のドラマを観る。
今朝は"海のはじまり" を観た。

注: この記事はドラマの感想ではありません。
  ドラマから感じた著者の個人的な"悲しみ"
     "悲嘆" を中心に書かれていますので、
  深い悲しみを心に抱えている方は、
  ご注意下さい。

このドラマ。
今までも観ているけれど、途中で洗濯物を干したり、LINEをしたり、集中せずに観ていたからか涙が出た事は無かった。

でも、今朝は違った。
引き込まれた。
水季が入院している場面、死に対する恐怖を表現する場面、そして納骨の日。遺骨ペンダントの手元供養の場面。海ちゃんが水季のお骨を抱きしめて離さない場面。。。

久しぶりに、次男の事を昨日の事のように思い出していて、知らないうちに涙が出て来た。

全部わかる。全部味わった。全部した。

何年経ってもすぐにあの時の感情が、すぐに鮮明に蘇るのだ。。

最近はようやく、車を運転していても、お線香を上げても、涙は出なくなっていたのに。。

そうだ、今日は久しぶりにお花を御供えしよう。
後で買って来よう。

そう思ってお仏壇のお水を変え、マッチで蝋燭に火を灯し、いつもより多くお線香を上げて、次男の遺影を見た。

一旦止まっていた涙が、さっきより沢山出て来て
私の身体の中に隠れている悲しみと言う感情が、
一気に吹き出した。。。

涙が出るだけじゃなく、気持ちも出て来てしまった。

声を出して泣いた。

こう言う時は、ひとりだからいい。

思い切り泣いた。

手を合わせて泣きながら...

ふと、次男が亡くなった後、毎朝こうして手を合わせて涙を流していた私の右側後ろにはいつも
夫がいたことを、思い出した。

夫も亡くなっているのに、その前に亡くなった次男の事の方が悲しくて、夫には申し訳ないとさえ思うけれど、実は次男が交通事故で亡くなった時、私は
その時既に色々体調不良だった夫じゃなく、元気な次男が天国へ連れて行かれた事を

"何故、夫じゃなく次男を連れて行くの?
何故?何故?、、、神さまなんかいないんだ!"

と、思った。。。

その何故の答えが、最近出た。

次男が亡くなることは最初から決まっていたことで(運命)   そして夫がその後だったのは、
もし、逆だったら私が耐えられないからだ。。

次男が亡くなった時、既に体調がかなり悪かった夫はほぼ機能しなかったから、色々な手続きや葬儀、その他全部、私が考えて私が決めた。

夫は常に私の横にいてくれた。
何も言わずに、いつも私の決めたことに賛成して、
そして、悲しんでいる私を見守っていてくれた。

あの時もし、夫がいなかったら...

次男の親としての悲しみ。

こればかりは、他の誰とも共有出来ない。

父性と母性の違いはあれど、お腹の中に次男が芽生えた時からずっと私を見てきた夫が、私の悲しみを
1番わかっていただろう。

次男が亡くなってから3年位は、ずっと御供花を絶やさなかったが、この1年はやめる事が出来ていた。自然にそう言う気持ちになれていた。
自分のリアルな生活に意識が向くようになって、
戻って来たような感覚だ。。

酷暑の中、今月はお墓参りもまだ行っていない。
明日か明後日、霊園に人が少なくなってから行こうと思っている。

最近は悲しい映画は観たく無いと思っている。。

号泣したくなかったのかな。。

そして、
神さまが、弱っていた夫を私の側にいさせてくれた事に、感謝する事が出来るようになった。

その人が現世で過ごせる時間は、最初から決まっていて...
神さまは、ほんの少しだけ夫を長く現世に残してくれたんだ。

.....って。

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