「これからの男は家事ができないと女の子にモテないよ」と言われ続けて育った39歳の男子の話。
昭和56年。僕は3人兄弟の真ん中として生まれた。
3歳上に姉、2歳下に弟がいる。
僕たちの母親の育児方針は、当時としては珍しいものだったかもしれない。今更ながら、母親には「先見の明」があったなと思う。
簡単に母親の育児方針を文字にすると「女の子は勉強。男の子は家事」となる。
母いわく、社会に出たら、女の子は女の子の、男の子は男の子の「役割」を押し付けられることになる。どうせ、社会にでてから嫌というほどその「役割」をもとめられるのだから、社会に出る前は正反対のことを身につけておいた方がいい。
その「役割」とは無言のうちに家庭や、社会の中で押し付けられている性による「らしさ」の抑圧であろうと思う。女らしさ、男らしさという乱暴な一括り。女性なら家族のために料理をするのが当たり前とか、子育てをして当たり前とか。男性なら稼いで当たり前とか、筋トレして当たり前とか。
それらはほとんど「呪い」に近い。
社会の中にも、個人の中にも、多かれ少なかれ染み付いてしまっていて、そこから逃れようとすると、抑圧されたり、時には制裁を加えられたりする、とても恐ろしい「呪い」だ。
おそらく、母はそんな呪いから我が子を少しでも遠ざけておきたかったのだと思う。
なので、姉は将来、経済的に自立できるようにと勉強することを奨励され、僕と弟は、これからの男は家事ができないとモテないと家事全般のお手伝いを奨励されていた。
この育児方針が客観的にみて、正しいか正しくないか。成功したか、成功していないか。はとりあえず置いておく。大事なことは、僕がこの育児方針の元に育ったことを心から感謝している。ということだ。
母の育児方針があったからこそ、僕は「呪い」から幾分、距離をとることができていると思うし、また「呪い」が近づいた来た時も心の中で「これは呪いなのではないか?」と疑うことができる意識付けを自然と身につけることができたと思う。
もちろん、僕の心の中にもこの「呪い」がまったくないわけではない。この「呪い」は本当にしつこく、根深く、社会と個人の中に染み付いている。洗濯してもなかなか落ちない、白いTシャツに落ちたカレーの跡のように。
なので、僕の心も一部は「呪われて」いて、その「呪い」は時に頭をもたげ、意識を支配しようとしてくる。しかし、そうした時に、ふと立ち止まって「いやいや、これは違うのではないか」「これは呪いなのではないか」と客観的に判断できるかどうかということは、大事なことだ。
そして、この母親の育児方針があったからこそ、僕は母子家庭の居住支援という分野に、足を踏み入れることができるようになったと思っている。
いわば、僕の今の活動の根底とも言える。
ちなみに、一通りの家事ができるようになって、本当にモテたかと言われると、そこは自信がまったくないのだけれど、確実に良かったことが2つある。
1つめは、僕が建築家になって実感した。
住宅を設計する際に、家事のことを体験的に物理的に理解しているかどうかは、設計の質を高めることに明らかに寄与する。住まいの中の暮らしを思い浮かべる時に、家事は欠かすことができない。その欠かすことができない部分をリアルに、説得力をもって設計することができるということは、とても大切なことだ。
2つめは、結婚してから実感している。
それは家事を「手伝っている」という意識がないということ。いまだに家事育児に関しては男性側の「手伝っている」意識が問題になることが多い。それが、小さい頃から家事を行っていたせいか、家事をやるのが「当たり前」という意識になる。家事を行う時に考える前に体が動く。そこにやらなくてはならない家事があるから、やる。特別なことだとも思わないし、自分がいわゆる「イクメン」であるとも思わない。至極、自然に、当然のこととして家事に向き合っている。
もちろん、妻から見て至らない部分もあるかとは思うし、どうしても妻に比重が偏ってしまうもの(娘の服や日用品の買い出し)はあるものの、僕の方に比重が偏っている家事の分野(食料品の買い出しや台所周りの清掃)もあるので、概ね対等に家事を行っていると思う。
これは、家庭を円満(であると僕は信じている)に保つために、お互いにストレスを溜め込まないという点で、すごく役立っている。
ちなみに、妻が僕との結婚を決めた理由のひとつが「この人なら家事も育児も積極的にやるだろう」ということだったらしいので、本当に母親に感謝せざるをえない。
母よ、あなたのおかげで、僕は結婚できました。
ということで、小さな頃より「これからの男は家事ができないと女の子にモテないよ」と言われ続けた結果、いまだに根強く蔓延っている「呪い」から、比較的距離をおいて生活をすることができるように育ったと思う。
ただ、この「呪い」は本当に強力なものなので、知らず知らずのうちに絡みとられることもある。そうならないためにも、日頃から意識をし続けなくてはならない。「おい、僕はまだ君の心の奥底にいるんだぜ」と呪いがささやいてきた時に、冷静に対処をすることができるように。