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僕の時間の使い方

僕らの時間は平等だ。一分は一分で、一秒は一秒。赤子も、そこら辺のオッサンも、あの綺麗なお姉さんだって、時間だけは平等である。なんとも残酷なことだ。

皆、生まれた瞬間に砂時計を持たされる。「この砂が落ちたら君の人生は、そこで終わりだよ」と神様に囁かれる。しかも、その砂時計の大きさは変化する。生きている時代、食生活、経済状況などでじわじわと変化していく。悲しいものだが、どうしようもない事実だ。

中学生のとき、僕はそれに気がついた。哲学の本を読んでいて、なんでも自分で落とし込み、自分なりの答えを出すことに対して、興味があった。そのせいかもしれない。

そして、疑問が生まれた。

「では、平等の時間を生きているなかで、なぜこんなに世界は差分に苛まれているのか。」

なぜだ。

例えば、勉強が出来る生徒と勉強が出来ない生徒といった具合である。

そう考えて出た結論は、時間の使い方と運であった。

株を買い、利益を騰げる。それと同じで、時間を自分に投資する。お金で同じことをするように、時間を使い投資するのだ。そうすれば自分の時間を資産として、使うことができる。一時間をどのように使うのか。それで自分を纏う世界が変化する。そう思えた。

そして、勿論、運も必要だ。何をするにしても、いや、何をするのか以前に、「何処の国に産まれるのか」、その時点で人生の選択肢はある程度、決まっている。アフリカで生まれるよりは、日本の方がいいだろう。問題は山積みだけれど、まだ、マシである。

下手な国に産まれると、特別な才か、特別な経済環境か。それに勝る異常な行動力。それらが無い限り、まあ、そうなってしまうのだ。

自分でコントロールできるものを決め、それを考えて、実行する。それを僕は真理だと思っている。

だから、僕は時間に対して、怒る人が嫌いだ。特に自分に対しても、そうだが、一番イラッとするのは、他人の時間に対して憤慨する人を見たときだ。勿論、僕は遅刻はしない。友人との約束に年に一回するか、どうかである。それには深く陳謝したい。

だが、そんな些細なことで怒る人が苦手なのだ。いいや、嫌いだ。だから、僕は怒らない。怒るほうがエネルギーを使うので面倒くさい。それもあるが、やはり、その自分の真理を持っているからともいえる。

時間をコントロールできるのは、その人のみである。つまり、自分だけしかいない。だから、それまでにどのようにするのか。そちらの方が重要である。どれだけ遅れようと時間は返ってこないし、怒ったところで、時間は返ってこないどころか、過ぎていく。砂が落ちている。

なので、僕は自分で時間や感情をコントロールができるように鞄にはいろいろ入っている。
AirPotts、モバイルバッテリー、そして、三冊の本。五分ほどの時間の隙間に読む本が1冊、数時間の長い時間に読めるものが二冊。それをリュックサックに詰めている。

音楽を聴きながら、本を取り出し、読む。その時間で自分の感情をコントロールすること。それが一番の目的だ。

これは学生のころから行っていた。スマホでYoutubeを見る。本を読む。漫画を読む。音楽を聴く。時間を潰すことが一番重要だった。

田舎に住むと足がない。学生は、自転車しか自由移動手段がない。だけれど、僕はバス通だし、家から学校まで約8キロほどある。なので、自分ではなく、バスの時間に合わせるといった工夫が小学生のときから、必要だった。

なので、どうやっても、不可能なのだ。雪や雨などの場合、バスが遅れる場合がある。それに一時間に一回ほどなので、バスの遅れた時間とバスまでの、その時間を潰すはめになる。それはどうしようと、変えられないので、自分の考え方を変化させるしかない。

そうして身についたのが、そのような使い方であった。時間を潰す方法はいくらでもある。レストランに入り料理を待つときも、バス停さえも、病院だってそうだ。

自分の考え方ひとつで、品を落とさずに済む。世の中には遅いことに怒り、事を荒げる人が居るという。それになりたくはないし、他人や社会のせいにも、できるだけしたくない。だから、僕は自分の時間を資本として使うのだ。

だって、健康と時間はお金よりも重要なのだから。

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