そもそも、走ることは楽しいのか?
マラソンは、42kmのレッドカーペット。
そんなメッセージを掲げて練習会やファンランイベントを実施しているMATSU RUNの練習会に参加した。
※MATSU RUNは元箱根駅伝ランナーの松垣さんが主宰するランニングコミュニティである。
だいぶご無沙汰だったガチ練。いつもと違うシチュエーションでのランニングは、やはりテンションが上がった。
練習を終えて、僕はこんなことを思った。
「なぜ走るの?」
とよく聞かれる。
最近の僕は、こう思う。
「現代人は、なぜ走らなくなってしまったの?」
※走る習慣がない人を否定するような意図は全くありません。
こう思うのは、最近読んだBORN TO RUNの影響だ。
※BORN TO RUNとは?
ケガに苦しむ一人のランナーが紆余曲折を経て、とてつもない距離をいともたやすく走るメキシコの先住民・タラウマラ族と出会い、ランニングの真髄に迫るノンフィクションストーリー。
で、走ることはそもそも楽しいのか、ちょっと考えてみたのである。
人は走ることで進化する
BORN TO RUNの一節で、こんなことが書かれている。
ヒトは走ることで生きてきた。
ヒトの進化の過程には走るという行為があった。
ヒトは他者と喜びを分かち合うために走る。
※だいぶ端折ってサマっています。
考えてみれば、現代のヒトは、進化し続けることで走ることをやめてしまった生き物だ。他の陸上生物は (全ての陸上生物が今も進化を続けているのかどうかはさておき) 未だに皆走っている。
走る理由と、走らない理由。
走る理由は人それぞれだ。
本当に千差万別だ。
試しに、自分が思いつく理由を挙げてみた。
・自己ベストを更新して、達成感に浸りたい。
・山で100マイル走りきって、まだ見ぬ境地に達したい。
・食べることを楽しみ続けたい。
・とにかくビールを美味しく飲みたい。
・励ましあえる仲間と繋がって、人生をもっと楽しくしたい。
ここまで読んで気づいた人は、
きっとランニングを好きになれると思う。
そう、走る理由は全て、want to be(実現したい状態)なのだ。逆に、走らない理由を考えてみると、僕は全てwant to avoid(避けたいこと)だった。
何かを習慣化したい時のtipsに、「〜しない」ではなく「〜する」という表現を使うというものがある。走る理由も、まさにそれだと思うのだ。
人はなぜ走るのか?(走ることは楽しいのか?)
走ることが豊かさに繋がっていることを、
本能的に知っているからだと思う。
走っているその瞬間は、とてつもなく辛い時も確かにある。
(昨日は軽くハンガーノックだったw)
でも、それを凌駕するほどの嬉しさや達成感、爽快感がある。
そう。走るから、楽しくなるのだ。
走ることは、豊かさを生み出す。
何かを始めるのに、遅すぎることはない。
このnoteが、「走ることは楽しくないことだ」という先入観を持っている人にとって、楽しく走るキッカケになればとても嬉しい。
★あなたが既にランナーだったら、ぜひラントリップジャーナルで、走ったキッカケを教えてください👍