果たして、
「詩の解説」なんてものはまだ読みたいひとがいるかしら、
と思いつつ、
もしもそんなひとが居たときの為に書いたっていいかな、
と思って。
書きます。
この詩は、
詩学舎で自分が出した「水玉」というお題に対して書いてみたもの。
涙に含まれる感情は様々。
丸は一番遠くまで遠くまで何かを運ぶだけれど、
もろくあったって、きっと届くものはあると思う。
でもだからこそ、
少しでも固ければその可能性を上げることができるのかな、という詩です。
死は解かれていくことだと思います。
おそらく生きている間だって、
どこかは解かれ、どこかを縫い付けているのでしょう。
そのあとは世界の好きに解かれてあげよう、という詩です。
長男の写真に詩を付けたもののひとつ。
夕暮を走る電車に、
女の子がつよきに夜空を見つめる様子を思い浮かべました。
少し離れた誰かに、
自分に言い聞かせる言葉を話しかけてしまう女の子は、
愛おしいように思えるのです。
音のない世界は、
きっと穏やかでしょう。
けれど減った刺激の分、
私は得られるものよりも、
もう少しこの聞こえる世界にいたい。
花の咲く音よ。
小さなその音に澄ませる耳でありたい。
そう言う詩です。
自分の粉々になる、火に崩されるそのときに、
私は私の負ったもの、折ったもの、追ったものたちに許してくれと言えるだけのことをしているだろうか。
それを持つまで、
山は遠く、月は明るい。
という詩です。
「見えないもの」が大事になることはさておき、
「見えるもの」さえ大事にできなくてどうしましょうか。
それはきちんと育てていかなくてはいけない干渉でしょう。
そう思って書きました。
息を吸い、吐く。
それだけの行為さえ愛おしいことがあります。
それは自身のものでも、
誰かのものでも。
そっとみつめてあげましょうよ。
そんなことを言った詩です。
あんたは私を何色とも言い難いものに磨く。
それを誇るには大きすぎ、
ただぼんやりと、
その上で浮かんでいるばかりなのです。
純粋に愛を描いて見たかった詩です。
こういう彫刻を見たことがあるように思うのです。
とても難しく、
そして堅苦しく、
それなのにきっといつか強いられるもの。
それを語りたかった詩です。