『花の娘の園』と文芸会
一昨日の文芸会の疲れがまだ取れず、
今の今まで眩暈のひどさと左側の顔と喉と頭が痛くて寝てばかりいた。
立ったら必ず立ち眩みで座り込み、
昨日も帰ってきてからずっと寝ていたけれど、
長男の友人が電話を貸してほしいと言ってきたのを
(眼鏡を掛けていなかったため)
「うんうん、どうぞ」
と渡しに行くためにベッドを出たらその子の前で倒れ込んで、
大層驚かれた。
本当にごめんね。
(どうやら彼は3DSをゲームセンターに忘れて来たらしく、
母親に取ってきてほしかったらしい。結局友人たちと取りにいったらしい)
(みんな子供は値段関係なく落し物をするんだな、と納得した)
今朝朝ご飯を作れたことが奇跡のように、
その後は体調が悪かった。
私の身体は親切なのか、
何か人に会う予定がある時の前後はとてもしんどくなる。
そして会う時にはなんとか動ける状態に持っていってくれる。
その代わり、前後は泣きたくなるほどあっちこっち痛い。
泣かないけど。
でも会いたいひとはいるし、
行きたい場所があるのはしかたない。
昨日の文芸会は、
人数が四人で、
ゆったりと時間を取って一人一人の作品を読めた。と思う。
その中で、
私は前に出した『花の娘の園』
が「とても退屈」だとか「全く分からない」と言われ、
じゃあ、もう人に寄り添って分かりやすく書くのやめよう!
放り込まれたまま書こう!と思い、
書いたのが下の改訂版になり、
それを発表したのでした。
なので、内容が少し異なります。
主人公も違います。
そして今回の評価は、
「小学校の準備をするのに付き合わされてうんざりする子供なんて、一般的ではない。としさんはそう言う子だったかもしれないけれど、
ふつうはそうではない。これではとてもこまっしゃくれて見える」
とか
「主人公の成長が見えない。
ただのこの花のスカート部分をそっと摘まんで離すことになんの感情も読み取れない」
とか
「劇のようなお話なのだから、盛り上がりをきちんとつくるべきだ」
という御言葉を頂いたのでした。
(花の描写が美しいとはいわれたし、場所の説明が分かりやすい、ということも言ってもらったのだけど)
それで私はどうしたかというと、
「たしかに、一般的ではないかもしれない。
でも私がそうであったように、そういう子供がひとりもいないとは思えないし、私はこれが一般的だという風には書いていない。
この主人公にはそうだったというのだと受け取ってほしい」
というのと、
「このお話は、成長を描きたいのではなく、
幼い頃に異形のものに魅入られたもののことを書きたかったので、
成長は感じられなくて当然なのだと思います」
というのと、
「文芸には、起伏を大きくつくるものもありますが、私の書くものは文章で人の心の動きを動作や、自然の感じ方で表したいと思っているので、
劇的な物語になることはあまりありません」
と言ったのでした。
お一人だけの男性はそんな私たちのやりとりをたじたじと見ていて申し訳なくなったくらい、何時になく口に出してしまいました。
だって、私はあなたの日常に添った人を書きたいのではなく、
そして気づいたのですが、
私は私の頭の中に放り込まれたものを損傷少なく外に出してあげたいだけなのだと。
だから誰かに伝わってほしいと書けないのだと。
誰かのために書く、
というのは素晴らしいことです。
それができたら最高かもしれません。
でも、そうできない私のようなものもいていいのではないかと思ったのです。
そんなことがあったので、
けっこう疲れていたようです。
もしよければ、『花の娘の園』はどっち版が好きか教えて下さると面白いです。