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自分の文章を知れる場所

昨日は、毎月の楽しみの文芸会の日でした。
その日はたまたま山草展をされていたので、
いつもの部屋ではなく二階での開催となりました。
ちょっと新鮮で、
部屋自体はいつもの場所より広いのに、
長机の数の関係で、
いつもよりもなんだか小さな輪になっている気がする文芸会でした。

さて、今回のお題は『五月』でした。
回を重ねるごとに、
最初にみなさんから配られるそれぞれの作品を手にする瞬間と、
はやく読み始めたい気持ちをぐっとこらえて、
作者の方が読み始める声を追いかけて文字を目で走りはじめる瞬間の楽しさが増して行っているように思います。

このひとはこんな表現をするんだな、とか。
わあ、こんな面白い会話書いてみたい!とか。
ぐっときて、
涙を堪えてみたり。
堪え切れずに声を零して笑ってしまったり。

昨日の一番手は前回はお休みだった足立さん。
前日に急いで書き上げたそうなのですが、
原稿用紙三枚の力作でした。
桜を見上げるところから、
桜のようにみんなにその咲く瞬間を待ち望まれている植物だけではなく、
世の中には無数の名も知らない草花があり、
それに名前を付けていった植物学者が主人公の朝ドラの話へ。
彼の植物の愛し方から、多様性の理想を思い描く。
どんな存在でも、在り方でも、成り立ちを解きほぐしそこに生きてきた姿を感じ、愛情を抱く。
そんなふうにできたら、今の世の中はよりやさしくなるのではないか。
考えていた足立さんは、交通指導をしている最中に足元の草をそっと踏んでみることでその存在を認め、そして名も知らないその草を受け入れるように他者を受け入れられるひとになりたい、と結ばれる。
うわあ、なんてやさしい文章だろう、と読みながらじんわりと感動していました。

みなさんの感想を言っていくのですが、大西さんが「まさかの足で踏むことで存在を確かめるところが面白い」とおっしゃっていて、
私そこをあまり気にしていなかったので、言われて「たしかに」と思わず笑ってしまいました。
他の人の感想を聞きながら、今読んだ文章が深められるというのもこの会の素敵なところです。

二番手は、前回いろいろあって作品を披露できなかった山本さんです。
いつもの紀行エッセイではなく、
詩だということで作品を配られたときから楽しみにしていました。
五月の五日を過ぎても空に放り出されている鯉幟を見て、
同じころに亡くされたひとのことを思う、
そんな詩だったのですが、
紀行文のときにはちらちらとしか顔を出さない山本さんのやさしい部分がぎゅっと凝縮されているような作品でした。
時間が押し流すことが出来ない痕を、
死というものは残すのだと感じさせてくれる詩でした。

三番手はカイさん。
『お店番シリーズ』の最新作でした。
大好評だった苺の季節が終わるころ、
次に置くものまでに間が空くために、
お店ではいろいろなイベントが予定されているよう。
前に催されていた(行きたかったけれど行けなかった)台湾のお茶会の様子も書かれていて、悔しさが蘇りました笑
あまり音が大きくない楽器を持ち寄っての『ミニ合奏クラブ』に、
まだまだ何が起こるか分からない『ストーリータイム』。
本当にこれから何を始めてくれるんだろう!と楽しみになるお店で、
そんな素敵なお店でのほっこりする日々が大切に描かれていて、
このシリーズが私は本当に大好きです。
文芸会のみなさんからも、
ほのぼのする作品だと笑顔が浮かぶ感想が並びました。

四番手は丘さん。
前回と同じランチタイムの一幕のエッセイだったのですが、
今回はお弁当ではなくフランス料理を食べに行ったときのこと。
細やかな情景描写が並び、
そこで働くひとたちのことや、
並べられた置物、掛けられた絵なども言葉で撫でられ、
そのお店に自分も行ったことがあるような気がするくらいでした。
今回の作品は会話文を入れない、という縛りで、
情景の描写に力をいれて書いてみようと書かれたのだとおっしゃっていました。
そう言う風に、毎回ご自分で課題を決められて書かれている丘さん。
自分の実力を伸ばすためにステップを作って実践していくのが、
とてもカッコいいです。
そして文章も姿勢よく立っていて、とても読み心地がいいのです。
あと、料理がとても美味しそう。
料理の描写が私は苦手なので、ため息ものでした。

五番手は近田さん。
今回は小説。
でも、もともとは長い本編があって、その中身をちょいちょいつまみ出して来て、編み直した作品だったらしく、少し主人公の行動に対する心情が追いつかないような形になっていました。
主人公の白田は、役者を目指して電車で大阪に出てきますが、
才能がなかったのか、本気になれなかったのか、
芽は出ないままに住み込みではじめた仕事を続けています。
その間に出会った、『演劇の友』という演劇雑誌の友達募集で出会った女性との出来事がほんのりと匂わされますが、その彼女ともうまく続かずに終わってしまいます。
燃えきれなかった夢の残骸のような『演劇の友』だけが、
現在の白田の傍らにある、というような描写で作品は終わります。
一文ごとには、惹かれるものがあって、
長いほうの作品を読んでみたいと思いました。
直接内容に関係がないのですが、
主人公の白田さんの字が「自由」に見えてしまって、
混乱してしまったという方が、私もいれて何人かいらして
ちょっと面白かったです。

六番手は大西さん。
「これはフィクションです」
の前置きがあり、
年齢を重ねた母親とその娘の冷蔵庫を買い替えることについての話し合いから物語ははじまります。
ひとり暮らしの母親には今の冷蔵庫は大きすぎるから、
今度のは開きの部分が三段のものにしよう、と言う娘と、
それでは入りきらん、と頷かない母。
埒が明かないと、とりあえず電気屋さんへ。
実物を見るとすんなりと三段の冷蔵庫で了解を出す母に呆れながら、
娘は店員相手に金額交渉に入ります。
大阪の人はねぎりは文化なのです。
いい感じの値段に落ち着いて、さあ会計をしようという段になって、
それまで黙っていた母親から店員にむけて素晴らしい右ストレートな値切り文句が飛び出し、そこから最後の一言までがまた上手く繋がって、タイトルの意味も回収します。
お見事!な一作。
私、大西さんの書くお話がすごく好きなんです。
読み方がまた良くて、
両方そっと憧れています。
今回も二回くらい声を上げて笑ってしまいました。

最後は、私。
前に載せた『森の中の家』を修正して発表しました。

今回は童話風に“58人の姉妹”のお話を書きました。

読み終えると、みなさん困惑の表情、、、
あれ?
と思っていると、
感想の一番手の足立さんが
「ちょっとまだ整理できていない」
とおっしゃり、
近田さんに「もう一回読んでくれる?」
と言われたので、まさかの二回目の読み上げをしました。
ここ何回か連続で重たいのを書いてしまったので、
今回は軽めの、、、と思って書いたのですが、
重い軽いの問題じゃなく、
童話とか絵本のような世界を思い描いて読み始めていたら、
思っていた以上に重たい中身が手渡されて、
そのギャップにみなさん混乱したようでした。
なんだかすみません、、、
ただみなさん、物凄く真剣に読んでくださって、
物語りの語りが包み込んだものを丁寧に広げて読み取ろうとしてくださいました。

自分の書いたものを、
読んだ人の顔を見られるというのは本当に貴重な体験だな、
と毎回思ってきましたが、
今回はとくに強く思いました。

私は自分の文章が変わっているとか、
独特だとは全く思っていないのですが、
小説を書くなら自分の文体を見つけたほうがいい、
と色んな本で読んでいたので、
いつか私の文章を読んで「あれ?これって、、、」と
私を思い浮かべてもらえるようなものが出来たらと思っていましたが、
その一歩は踏み出せているのかな?
と今回感じました。
独特な雰囲気と文章だ、という言葉がしっかりと自分に届いたのは、
こうして直接表情までを見ながら言ってもらったことが大きかったのかも。
いろんなひとの文章を読めて、
いろんなひとに文章を読んでもらえるなんて、
なんていい会なんだろう、と何度目になるか分からないですが
感謝がぶわっと湧きました。

次回は子供の運動会で行かれないのが、本当にかなしい、、、

帰ってきてからじろうさん(夫)に
「文章とお話が独特だって言ってもらえたよ!」
と言うと、
「うん、知ってたよ」
と言われ
「え、じろうさん私の書いたものなんて読んだことあったっけ?」
と返すと
「だって、こんなに独特なひとが書いたものが普通なわけないでしょ」
と当然の顔でいわれました。
おそらく、褒められたようです笑

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