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【猫葬】(短いお話)


 私はもう死んでいた。
 身辺整理は見事の一言だ。一生に一度の捨て活に、それはもう様々な店を回った。出来得る限り、私を支えてくれていた物たちにいい場所を、いい出会いをと思い、ネットから人づてから、選りすぐっては処分していった。自分の物が無くなっていくというのは、寂しさよりも快感が勝つことで、私はどんどん輝くような笑顔になっていったと思う。
 母親に手紙を書いた。きちんと十日後の日付に遊びに来てほしいというものだ。もうすでに二回目の結婚が上手くいっている母を、見守る人間は要らないだろう。
私は自分の不安定さに嫌気が差していた。
もういい加減、このジェットコースターのような不安や眩暈のような世界から抜け出したかった。薬も効かない、病院へ行くことも困難で、誰かの助けが必要であり、もちろん働くことなど出来たためしがなかった。
 けれどただ死ぬのでは、あまりに今までの食事を続けてしまった責任を果たせないのではないか、と考えてもいた。そんな私に光明を射してくれたのはネットのニュースだった。飼い犬が死亡していた飼い主を食べたという内容だった。犬は、その後保護されたそうだ。そのニュースによると、犬という生き物は飼い主との良好な関係を築いていたとしても、死んでしまった体を食べてしまうそうだ。全ての犬がそうなのかは分からないが、大型犬だけではなく、小型犬でさえ柔らかな頬の肉を齧るという事例も紹介されていて、生きている人を襲うというのとは全く別の、彼らの常識なのだろう、と締め括られていた。
 これだ、と思った。 
 私の死肉を食べてもらえば、けして私が食べてきた命は無駄にはならない。それが例え大した量を巡らせられないとしても、だ。
 そう思い立つと、私の体はまるで無重力のように動き出したのだった。
 服は一枚を残して全て売った。布団とマットレスは残し、布団類は処分した。生活していく上で必要だった全ては、私の部屋からなくなってしまった。
 残ったのは、ビニール袋とガムテープ。そして色んなペットショップから買い取ってきた、売れ残りの猫たちだった。何故に犬にしなかったのかと言えば、ただただ私は犬が怖いということと、その後の行き場がなくとも、野良として猫は生きていき安そうだと思ったからだ。
 布団とクッションを一室の真ん中に敷き、その部屋の床の全てにビニール袋を貼りつけていく。もちろん壁も。私の血が飛んでは、大家さんに申し訳ないと思ったのだ。
 そして揃えた猫は十匹を部屋へ招いた。窓から差し込む光は控えめで、裏の家の庭木で外からこの部屋が見えることはない。カーテンくらい残しておいても良かったか、と思ったが、今さら買いに行く気はしなかった。私はすっかり整った部屋で、様々にあたりを散策している猫たちに頭を下げた。
「どうか、あまりおいしくはないと思うけれど、薬はできる限り飲まずにきて、少しは抜けてると思います。運動はしてないので、筋肉はあんまり美味しくはないかもしれません。
ああ、でも下剤は飲んで絞り出しておいたから、異臭はましかもしれません。私は、」
 視線を感じて言葉の途中で顔を上げた。そこにはニ十対の彩のうつくしい瞳があった。まるで私のいうことを理解して、きちんと対応してくれようというような、凛々しさを感じた。礼儀を持った姿勢の猫たちに、私は再び頭を下げた。
「私は、少しも誰の役に立てずに生きてきました。生きてきたと言っていいのかさえ微妙です。でも、お母さんの作ってくれた料理の数々、ヘルパーさんの用意してくれた料理、コンビニの、誰かが動かす機械の料理、たくさん食べてきました。それを少しでも返したいと思います。ご馳走になれたらいいのですが、そこまで傲慢ではありません。だけど、少しでもあなたたちの糧になれたなら、私はやっとゆっくり眠れる気がします」
 ゆっくりと顔をあげた。猫たちの瞳がきらりと光る。
「どうぞ、牙とお腹を貸してください」
 私は言い終わると着ていたワンピースを脱いだ。そしてよく研いでもらった包丁で喉を突いた。体の重さを利用して、そして最後のひと踏ん張りと、深く刺さったそれを抜いた。
 そして今に至る。
飛び散った血を、猫は舐め始めていた。また違う数匹は手や頬の肉を剥いでいた。
猫は腐った肉は食べない。新鮮な血の匂いが好きだ。もう私には感じられないが、きっとこの部屋は私の血の匂いでいっぱいだろう。それが猫たちの野生を刺激しているのか、ガウと口を大きく開き、ふくらはぎを齧りだす猫もいた。胸の肉も柔らかでうまいらしく、二匹が齧り付いている。
それはきっと数日を要しての作業、いや儀式だったのだと思う。
死んだ私の感覚ではもう時間を読むことは叶わなかったので、はっきりはしないのだけれど、猫たちは全てを完璧以上にやり遂げてくれた。
血はきれいに舐めとられ、肉を剥いで咀嚼し、骨に染みる前に血を吸い尽くした。
私の骨のまわりに、好きな場所を見つけて猫たちは眠った。お腹は満たされていた。
私の体は、きちんと次に繋がったのだ。
私の生きた意味。そして死んだ意味さえ浄化された気がした。
母がこれを見つけるまで私は持たないだろう。何故なら柔らかそうな丸の点在を見つめる視界が、もう点滅の中に在るからだった。
私の白い頭蓋骨はもう私のために痛まないのだった。

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