茂吉の影〜秋葉四郎歌集『蔵王』書評〜/飯島章友

 本歌集は平成十七年の作品から始まる。あとがきによれば、その年の春ごろ、著者は山形県の上山市にある斎藤茂吉記念館の評議員となった。そのため平均月に一度くらい上山に出向いて仕事を果たしては、必ず蔵王を仰ぐようになったという。
 その経緯や歌集名が示すとおり、本歌集は斎藤茂吉の影が色濃く、著者は茂吉ゆかりの場所を訪ねる。例えば平成十七年の章には、茂吉曾遊の地であるドナウ川源流を訪ねた一連がある。

  つねに湧く強き力は透明の水に満ちつつ動くともなし

 ドナウ源泉での作品。まるで著者の心のなかに湧きつづける茂吉の影を象徴しているようではないか。
 また著者はライン川へも足を延ばしている。

  ラインよりラインに注ぎ濫れ立つ滝の河波しばらく激つ
  川幅のまま滝となりことごとく宙にし躍るはじくる水は

 「濫れ立つ」「激つ」「躍る」「弾くる」といった強い言葉の連続は、読者にまざまざと滝の勢いを再現させる。
 ところで本歌集では「痕」を詠んだ作品が何首か見られる。そのほとんどは、容赦のない厳しい自然の痕跡だ。

  増水のうつつしのばせ食堂の壁三メートルに泥の痕あり

 ドナウ遡上での作品。茂吉の跡を辿ることは過酷な自然の痕跡との遭遇でもあったのかもしれない。
 しかし、そればかりではない。冬の蔵王ではこんな邂逅も。

  募りくる吹雪のなかに辛うじて見ゆる樹氷はしろき幻

(いりの舎・一〇〇〇円)


初出 月刊「うた新聞」2013年6月号