【書評】著者の自伝的青春小説 『七帝柔道記』 増田俊也
戦前、柔道のルールは今のオリンピックゲームで行われているJUDOとは全く異質のものだった。今の国際JUDOは立って組んで投げ技を競い合い、相手を綺麗に投げ一本を取る事に重きを置いたルールになっている。
しかし戦前の柔道のルールは全く違っていた。
例えば「引き込み」という今の柔道では禁止されている技術が認められていた。引き込みとは、相手の道着を握ると、そのまま後ろに倒れこみ、相手を寝技に引きずり込む技術だ。
また、審判が「まて」と試合を止め、立って再開という事も無い。
お互いに寝技で場外に出てしまった場合、「まて」で動作を止めて、審判が寝技で組み合っている二人をそのママの姿勢を保たせて、道場中央に引きずって行き試合が再開する。
そして決着は抑え込み30秒か関節技か絞め技での一本のみ。技ありも有効も無い。一度お互いが倒れてしまえば、延々と寝技の攻防が続く。
団体戦が良く行われていたようで、1チーム15人で構成し勝負は勝ち抜き戦となり、負けた人間が引っ込み、勝った人間が試合場に残り、次の相手とまた対戦する。時間切れ引き分けとなると両者下がり、新しい人間同士が試合を続け、最後まで人間が残っていたチームが勝ちとなる。
このような一度倒れてしまうと寝技が延々と続く柔道を今でも続けている大学生達がいる。
七帝柔道と呼ばれているその競技は、元帝国大学の柔道部に受け継がれている。
年1回、東京大学、京都大学、東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学、そして北海道大学の柔道部員達が一箇所に集まり全国一位を競う。昔の柔道と同じ様に「まて」は無い。寝技地獄の柔道で戦う。
チーム戦の寝技では関節を極められても「参った」は無い。「参った」する最後の瞬間まで逃げ出せる可能性があるかもしれないからだ。そのためチームの勝利の為に「参った」は出来ない。そして極めた方は「折る」。
締められた場合も「参った」は無い。締められたら逃れるか「落ちる」かだ。
こんな過酷な競技に青春をかけている彼らは国立大学の学生達だ。
国立大学ではスポーツ推薦等での入学は無い。受験戦争を勝ち抜いて入学してきた、学力エリートである。体力や運動能力で入学したフィジカルエリートではない。
この本の主人公はこんな柔道をやりたいと憧れ、ひたすら学問に打ち込み二浪の末、なんとか北海道大学に入学した。
寝技の世界は厳しい。稽古量だけが強さとなる。毎日、毎日、先輩方に押さえつけられ息が出来なくなり、関節を極められてうめき、締め落とされる。一緒に入った同級生たちは一人去り、二人去り、櫛の歯が欠けるようにいなくなる。
これほどに苦しい中、汗と血にまみれながらある日、強くなっている事に気が付く主人公。
本書は泥臭い仲間との友情や、口数少ない先輩との心温まる交流など、「こんな青春今でもあるんだ!」と気が付かせてくれます。女の子なら、この本に出てくる男の子達に惚れちゃうこと請け合いです。
強くなった主人公が、全国大会で仲間たちと戦う様は圧巻。
感動で涙ぐしょぐしょになれる一冊です!
この記事は以前、HIU公式書評ブログに寄稿した文章を編集し直してます