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夏の読書感想文 #1 西加奈子『i』

この記事は西加奈子さんの小説『i』の読書感想文です。小説内の言葉の引用、あらすじの紹介等、ネタバレになる要素があります。

昔、SNSで #名刺代わりの10冊 というタグが流行っていたが、私という人間を紹介するための小説を選ぶのであれば、十冊も要らない。西加奈子さんの『i』一冊で十分だ。

西加奈子さんとの出会いは大学生の時。当時仲が良かった友達と、お互いに本を買ってプレゼント交換しよう、という話になり、その時に彼が私にくれたのが西さんの『i』だった。西加奈子、という名前は知っていたが(その頃にはもう既に直木賞を受賞されていた)、作品を読むのはこれが初めてだった。

『i』を初めて読んだ時の衝撃は忘れられない。そんなことは絶対にないのに、これは「私のための」本だと思った。「私に向けて書かれた」本。「私のことを書いた」本。どうして私のことが分かるのだろう。主人公のアイは、まるっきり私そっくりだった。

「この世界にアイは存在しません」というセンセーショナルな切り出しにもドキッとした。「アイ」とは、主人公のワイルド曽田アイの名前でもあるし、「私」のIでもあるし、存在しない虚数iでもある。そして恐らく、愛でもある。

その頃私は、私は果たして本当にこの世界に存在しているのだろうか、存在していて良いのだろうか、という考えにとても囚われていたし、この世界に自分の居場所があることも、ないことも、どちらも等しく苦しかった。そして、居場所の有無は、それ即ち「自分が愛されているか、否か」という問題だった。私は人に愛されることでしか、自分に価値を見出せなかった。だからこの世界に私が存在しないということは、愛がない、愛されていない、ということになる。「この世界にアイは存在しません」。中途半端に、愛されてもいないのにこの世界に存在しなければならないのだとしたら、いっそ私は透明になりたかった。存在しないアイに、なりたかった。でも本当は、愛された、この世界に居場所を確約されたアイにもなりたかった。私は死にたくもあったし、生きたくもあった。

アイはシリアで生まれ、ハイハイを始める前にアメリカ人の父と日本人の母のもとへ養子として迎え入れられた。アイの両親は優しく、アイの想いは必ず満たしてくれる人たちだった。ただ、アイに何かを与え、手渡す際、両親は必ず「ほしいものを手にすることが出来ない子どもたちのことを、考えないといけないよ」と言うのであった。そして、「世界の不均衡の犠牲者」である、ガリガリに痩せ細った子どもたちや、ゴミを漁って暮らす子どもたち、大人から金品を盗むことで生き延びている子どもたちの写真や映像をアイに見せた。アイはやがて、満たされた自分の環境を恥じるようになる。

私たち一人ひとりが皆そうであるように、アイも9.11同時多発テロや、3.11東日本大震災を経験する。シリアから海を渡って逃げ出そうと溺死した3歳の少年アイラン・クルディの姿を目にする。世界の不条理を前に、アイは苦悩する。理不尽に人が傷つき、命を落としていくことに。胸を痛める自分自身は、守られ、安全な場所に居ることに。

蚊帳の外の人間である自分が、世界で起きている悲しい出来事 ーテロや、地震や、内戦に思いを馳せ、苦しむこと。そしてそのどれをも経験していない自分が、安全な場所に居るはずの自分が、自分の命の意味を疑っていること。苦しむ「大勢」の命と、同じく苦しむ「自分」というたったひとりの命。アイは、「誰かの幸福を踏みにじり、押しのけてまで自分が生まれた理由を知りたかった」
私は、安全と安心を確保された状況で、薄らとでも死ぬことについて考えてしまう自分のことを、とても傲慢に感じていた。そしてそれはきっと、アイもこの物語の中で感じていたのだ。

私の手元にある、手垢に塗れた単行本『i』には何本も何本も線が引かれ、マーキングされている。アイの言葉を反芻するように。もちろん最初の一文「この世界にアイは存在しません」にもだ。いくつかの言葉を引用する。

「グッドガールだった自分は、ナチュラルにグッドガールだったのか、それとも『そうでなければいけない』と思っていたのか」

「恵まれた部屋、恵まれた環境、恵まれた自分の命のことを思うと、アイは感謝するより先に苦しんだ」

「自分がここにいるのは、生物学上の父と、生物学上の母がいてこそなのだ。でもそのふたりの顔も知らないのであれば、自分は土も根もない一本の草に過ぎないのではないだろうか。風が吹けば飛ばされる、頼りないただの草に」

「アイは自分ひとりがいつまでも胸を痛めていることを、恥じるようになった。自分は被害者でも加害者でもない、まったくの部外者であるというのに、こうやって苦しんでいるのはきっとおかしいのだと」

これらの言葉はアイの言葉であり、私の言葉だ。
私はこの大切な本のことを、自分の経験に依る形でしか語れないことを恥じる。「共感」「自分のための小説」などという、独りよがりな言葉でしか語れないことを恥じる。それでもやはり、これらは私の言葉でもあるのだ。それほどまでに、この小説は「私」「I」なのだ。

そして西加奈子さんの作品に通底するテーマがあるとしたら、それは「生の祝福」だと思う。物語は、すべての命を肯定することで完結する。

「何がありがとうだ、自分のこの惨めでおぞましい人生は何のためにあったのだと叫ばれても、唾を吐かれても、殴られても、それでも私は彼らを祝福するだろう。生まれてきてくれてありがとう」

この言葉も、私の言葉だと胸を張って言えるようになりたい。他の誰かに対してでなく、自分自身に言えるようになりたい。生まれてきてくれてありがとう。どれだけ唾を吐かれても、殴られても、私は私に言う。生まれてきてくれて、ありがとう。

いつまで経ってもこの世界に悲しみは消えない。私に世界を変える力は無いけれど、それでも、想うことは出来る。西加奈子は、その勇気を私にくれる。そして、何度でもこう言ってくれる。生まれてきてくれて、ありがとう。この言葉が存在する限り、私は希望を捨てずにいられるのだ。世界の不条理も自分ひとりの苦しみもまるごと包み込み、祝福してくれる。生まれてきてくれて、ありがとう。

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