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Kamerad 最後の約3年を過ごしたペーターのガストハウスに帰還

日差しは厳しいのだが、ひんやりした風が吹き抜けた。

キームゼー(キーム湖)の辺りをキームガウ地方と呼ぶが、東にはKampenwand(カンペンヴァント)という東アルプスに属する山が見える。現地ではキームガウアー・アルペンと親しみを込めて呼ばれる。

山を跨げば、オーストリアというほど、オーストリアにほど近い町だ。

降り立ったPrien am Chiemsee プリーン アム キームゼー駅からカンペンヴァントの雪に覆われた頂上を見る。

修行時代の見慣れた光景だ。


バカデカイ荷物を背負いながら、滞在していた時よりもしっかりとその光景に見入っていた。

このプリーンの駅から単線でAschauアッシャウまで行き、そこから決して近くはないカンペンヴァントのふもとまで歩いていき山登りをしたことを思い出す。一度や二度ではない。修行時代の貧しい暮らしの中で楽しめる数少ない遊びのひとつであった。1669mほどの山だが、意外に険しい斜面に汗だくになって上るのだ。修行の厳しさ、辛さ、そして貧しさを無我夢中になって歩いている束の間、忘れることが出来た。


こうして眺めるカンペンヴァントの姿はきっと昔から地域の人々にとって、神々しく威厳がある存在だったに違いない。今日のような澄んだ晴天の日は浮き出るように、その姿がより一層輝いて見える。


8年程の滞在の中で最後の3年くらいはプリーンの隣町、RimstingリムスティングのGasthausガストハウスと呼ばれる宿に住んでいた。

これも紆余曲折あり、そこに辿り着いたのだが。


私の修行先はそのガストハウスから駅を跨いでキーム湖に向かう途中にある。ガストハウスからは徒歩30分位。

AkitaHam.のお客さんの中には観光地であるキーム湖に行ったことがあるという人がいる。そうすると必ず修行先の紹介をし、きっとお店の横を通っていますよ、なんて話をする。


修行中は仕事が終わるとまた、歩いて帰るのだが、あえて途中から小川が流れる林道に入って帰る。

途中でベンチに座ったり、気分転換をしながら帰るのだ。


今日はバカデカイバックも一緒だからタクシーで向かうか、と思ったが何となく歩きたくなった。

駅の東側に駐車場があり駅前と言った感じでロータリー脇にはイートイン付きのパン屋がある。駅構内にもパン屋はあるし、この小さな町にいくつもパン屋がある。


そのまま道路を東に突っ切ると小さな商店街がある。

そのまま真っすぐに進む。


もう一度道路が出てくる。この道路は隣町とつながる道路で大きな道幅ではないが車はひっきりなしに通る。

そこを渡るとまた違うメーカーのパン屋。左に進むと日用品店、プリーンのRathausラートハウス(役所)。


そして初めての道を右に曲がると住宅街の静かな道になるのだが、この道は抜け道に使われることが多いためスピードを出す車も多い。


重い荷物にうつむきながら歩いていると猛スピードで走り抜ける車に顔をあげる。

同時に木の枝でアーチになった林道の入り口が目に入った。


今歩いている“抜け道”もそうだが林道に入る前の左右に延びた道も抜け道になっていて、こちらの方が猛スピードで駆け抜ける車が多いので注意が必要だ。

『ふゥ。』

額に汗をかきながら慎重に左右を確認する。

左側は坂になっていて直ぐカーブになっているため、一寸先が見えない。急に車が出てくる可能性もあるので要注意だ。


林道に入るとすぐに家族連れとすれ違う。

『Servus!』

『Servus!』

南部で良く使われる挨拶で日本語表記するとゼアブスとされることが多いみたいだが、かえって適当に『せーばす!』『せいばす!』なんて言ってた方が気楽に使えるし、特に聞き返されることもなく通じる。


と、そんなことが言いたかったのではなく・・・

こうして見ず知らずの人とすれ違いざまに挨拶をする、といった文化があるというのも“いいもの”が残っているなと思わせてくれる。

小さな橋を渡り、対岸に移る。道は落ち葉に覆われている、木々のアーチは小川と道を包み、先に見える木漏れ日が幻想的な雰囲気を醸し出す。


しばらく行くと少しだけ大きな橋があり橋の中腹で下の川を眺める。

相変わらず川には大きな魚が泳いでいた。


そういえば、夏場なんかは仕事帰りに川に飛び込んでいたこともあったっけ。

魚を見ながら、ふと思い出す。


そのあとは畑に隣接している舗装されていない土の丘を上がっていく。

最後の急斜面を登れば、ペーターが経営するGasthaus。

ペーターとは年はかなり離れているが文字通り“マブダチ”だ。

私の修行時代の多くをこの宿で過ごし、愚痴を聞いてもらって、そのたびに励ましてくれた。ペーターが居なければやり通すことが出来なかったかもしれない。


この宿は、プリーンに住んだことのある日本人界隈では少し知られた宿だった。

Goethe- Institut(ゲーテインスティテュート 有名なドイツ語学校)がプリーンにはある。現在は建物のみで開校していない。そのため、キーム湖のあるプリーンに学びに来ていた日本人も少なくない。受講料が高いため高級な学校と言えるかもしれない。寮も完備しているのだが、湖があるせいだろうか夏場はバカンスを兼ねて世界中から生徒がやってくる。

そうなると提携している宿を2か月程度借り上げて臨時の寮になるわけである。


補足になるが日本ではそれほど知られていないが、プリーンを筆頭にキーム湖の周辺はヨーロッパでは人気の保養地である。


ペーターの宿は、そんな日本人の中から“お化け屋敷”と呼ばれ、何か見た、とか変な噂が流れていたのだ。当時、そんな話を聞く前、バスタブがあったので“ラッキー”と意気揚々と入浴していたのを思い出した。


そんな“お化け屋敷”は今はペーターがコツコツ、リノベーションして宿内はかなり明るくなった。

なぜ、ここに落ち着いたかというのも、また先にとっておくが、結局他に行く当てが無くなり、“お化け屋敷”だが仕方なく。といった感じだ。

しかしながら、私にとって一番の“家”になってしまうのだ。

ザッ、ザッ、と足元に注意しながら斜面を上がる。

やがて屋根が見え、ザッ、ザッ、という足並みと共に屋根裏の窓、二階部分・・・とペーターの宿が姿を現した。

入り口部分のテラス席が見えた時

Take(タケ。私の名前)と驚きと満面の笑みで迎えてくれる女性が居た。

『Servus!Renate!』


ドイツの母、レナーテが私を待っていた!

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