Erhabenheit エアハーベンハイト、クラシカルな伝統と“現代風”伝統の狭間で
※前回の付け加えです。
EU-Verfassungにより屠畜を断念した件、から。
断念したのみならず、(資金の問題ではなく)屠畜が出来ないならという理由で廃業した肉屋も多い。まさに『プライド』である。
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燻製室の中は漆黒の闇に包まれていた。
必死に目を凝らしてみるが、一向に目が慣れない。それほどの黒色が広がっていた。果たして自分は目を開けているのか?と錯覚してしまう。
ステフィの主人が部屋の外から、明かりを灯す。それはちょうど工事現場にあるような辺りを照らす業務用のスタンドタイプの照明器具だった。
『中に電灯はないから。』
言葉の理由は明確であった。原因はスス。燻製専用の部屋である場合、一年を通して燻し続ける。そのために、ススを取るための作業はしない。長年の燻製の痕跡がまた深い『味』を生むのは言うまでもない。生ハムやメットヴルストを吊るしてある真っ黒で原形を知る由もないスティックも長い歴史を物語っている。
部屋は中で2つに分かれていて(扉は無い)第一週目に吊るす場所、2週目に吊るす場所・・・と言ったように仕込んだ順に分かれている。その中でもメットヴルストは扉から一番近い壁際に吊るされていた。部屋の中を見て右側。
食品工場などの作業場の排水路をイメージすることが出来るだろうか?
こういった燻製室の場合、排水路のような、くぼみがある。その中に燻す材料となる木材を入れる。大きな木材ではなく小さな細かいチップを端から燃やし、ゆっくりと燻されていく。
他のメーカーによっては暖炉のようなものがあって、そこで燻す場合もあるが多くはこのような排水路形式で燻される。メットヴルストの真下ではない下に燻す場所が見られた。
約2か月の間ゆっくり燻される。その後、数か月熟成させ製品になるが、その間は燻製部屋の中でも最も煙の影響がないところに吊るされている。あまり長く燻され続けると『苦み』を生んでしまうためだ。
これが“現代”のカーテンシンケンの作り方である。
ここまで読んで頂いた方の多くは
『なんて手間がかかっているのだろう』とか
『さすがしっかり作りこんでいる』
と思われただろう。。。
話は前後するが、この製造工程を次に会う作家のフォルさんと話したところ、伝統的な昔の作り方とは違うとの返答を頂いた。塩漬けは最低でも8週間、その後塩抜きをする。燻製は2か月で良いが燻製の目安がある、ということだ。
この話は現代の食肉加工品を語るうえで切っても切れない話であり、国を問わず加工品を問わず全てがこの一節に凝縮されていると言っても過言ではない。
現代の『良い肉屋』とは最新の技術と伝統が合わさったフライシャライだと言えるからだ。但し、最新とは『ベスト』という意味では無いことを付け加えておきたい。
その最新の技術の一部というのはミックススパイス。
ソーセージや加熱系ハム、その他加工品を作るうえで、スパイス会社のミックススパイスが必ず存在する。生ハムやサラミ類も例に漏れず、だ。
誰でも簡単に、安定して、失敗無く作れる合理的な、肉屋にとっては、軽量の手間ない画期的な発明だ。
疑問になるのは、もし同じメーカーのものを選べば味は同じ?ということか。
ではどのようにして自分たちの味を決定していくのか?まず、お気に入りの味のスパイス会社のスパイスを見つける。
そこに単体のスパイス(単体とはメース、ナツメグ・・・等のような)を少量加えて自分の味に仕上げるのである。
簡単に表すと以下の通り
自分の味 = 既存のミックススパイス(混合香辛料) + 単体のスパイス
このミックススパイスの誕生が各フライシャライの各々の大きく違った特徴を消してしまったと言われている。昔ならこのソーセージは〇〇のものが一番だ、とか、私のお気に入りのハムは〇〇の、といったことが少なくなったという事で、悪い意味で大差が無くなったという意味。極端に言えば平均的なフライシャライしかないという事。
ミックススパイスの話のついでに日本の加工品の読み方を解説する。
以下の説明文を皆さんどのように理解するだろうか?
本場ドイツ直輸入のスパイスを使用しています。
約数十種類のスパイスがブレンドされています。
このような文言を目にすることが非常に多いと思う。
今までの説明で理解できると思うが解説しておく。
本場ドイツ直輸入のスパイスを使用しています。
※自ら輸入しているかのようにとれるが、日本の代理店から買っているという事で、初めからブレンドされたミックススパイスを使用しているという事で誇らしい事でもない。
約数十種類のスパイスがブレンドされています。
※ドイツであれば、この加工品にはこのスパイスが適しているというのを勉強する。全くそういった知識がないためにこのような文言が生まれるのだろう。加工品の多くは数種類のスパイスのみで作られている。10種類入ればかなり多い部類に入るし、それは滅多にない。自分には知識がない、そんな素人でも作れる、と自ら言っているようなもの。“多ければ”良しインパクトがあれば良しで、消費者を“すごい”と勘違いさせるようなものだ。
※もうひとつ私が何故ミックススパイスを使用しないのか、という理由を述べておく。昔からAkitaHamの商品を知っている人には度々で申し訳ないのですが。
ドイツのスパイスに関する法規の中に以下の文言がある。
『ミックススパイスはその中の最低でも6割は天然の香料・香辛料で無ければならない。』
これは裏を返せば残りの4割は、何か分からないという事もあり得る(もちろん食べられるものではあるはずですが)でしょうか?
という観点から単体のスパイスを独自ブレンドしている。
燻製部屋を後にして一度外に出た。ステフィの主人が指さしたところにそれなりの大きさの小屋があった。
『あそこが昔燻していたところだよ。』
『・・・昔?』
EU-Verfassung(EUのきまり、法)瞬時にその言葉が脳裏をよぎる。
案の定、屠畜を断念した時と同じく、EUの法が彼らの伝統を少しずつ壊していたのだ。肉の解体・選別作業をする場所から一度外に出て燻製部屋に運ばなければならない、(衛生面)のが理由だが、現場からすれば『お役所仕事』と愚痴をこぼしたくなる様な状況だ。そのためにお金も投資することになり新たに燻製部屋を用意しなければならない、3世代に渡って何か問題が起きたわけでもないのに。
これを勿体ない余分な投資と考えてしまうのは何も経営者ばかりではないはずだ。
燻製部屋から外に出たときには気付かなかったが、初めの部屋に戻ると赤いKiste(キステ:箱)の上にカーテンシンケンの原木が置かれていた。
※Kiste 赤い箱は食肉加工の現場で必ず使われる肉専用のプラスチック容器で肉なら30キロ~40キロくらい入る箱。
丸々と太った腿は濃く深い茶色に燻されていた。その後のスライス作業が楽になるようにこれを脱骨し、紐で縛りまた形を整える。これはイタリア産生ハムにもみられる光景。
ソーセージを作る場所、真空作業の場所、コックが働いているキッチンと隈なく案内していただき見学は終了した。残念なのは写真を公開できないことだが、日本では未知の生ハムを見学でき感激の一言。
邪魔にならないよう社長に挨拶し職人たちとも別れを告げた。
『職人の出入り口』を抜け今度は『正しく』表から店内へ。ステフィも注文を始める。
社長の奥さんが接客しステフィと談笑している。他にも販売員の女性が3人。代わる代わるステフィに話しかける。横に広く広がったTheke(テーケ:ショーケース)には自慢のメットヴルストとカーテンシンケンが並ぶ。驚いたのはメットヴルストの豊富さ。羊のメットヴルストはじめ10種類ほどが並び、この店のStärke(シュテルケ:つよみ)は何かが誰にでも伺える。それに加えてThekeの前、つまり店内入ってすぐの所に2m近くある円い木の棚がありあらかじめ真空パックにされたカーテンシンケンやドライソーセージ、メットヴルストが並んでいる。『燻製品』が売りであり誇りであることは一目瞭然。
カーテンシンケンと羊のメットヴルスト含め数種類を購入した。
店内は不思議なくらい優しい木漏れ日のような明るさに包まれていて、製品から醸し出される燻製香が更に優しい雰囲気を倍増させている。壁一枚向こうに時間に追われ働く男たちが居るのは想像できないくらいにゆったりと優雅な時間が流れている。
まさにドイツの職人のあり方を象徴する画で、派手さはないが縁の下の力持ちのように、出しゃばらず主人公にならず、支えている、のである。主役というのは自分ではなく、作り上げた商品で、もとを辿れば命のあった家畜たちである、そのことを忘れていない。
その光景は、日頃の言葉にもならないジレンマを溶かしてくれたような感覚で、勇気に似た希望をもらったような感覚でいた。
ステフィーと駅までの帰り道、車内では、行きに感じた深い愛よりももっと深いところに自分は居て、全てのポジティブな言葉にどっぷりと抱きかかえられている自分がいた。
別れ際、ステフィの買い物は私へのプレゼントだと知る。
大きな感謝とともに申し訳なさもあり、恐縮ばかりだったが、最初から最後まで彼女の深い愛情に満たされた一日だった。
今私はチュッソー行きの電車に揺られている。
永遠と続く芝生を見ながら少しだけカーテンシンケンを口にする。
独特の燻製香と酸味が口の中いっぱいに広がった。
燻製タイプを食して、ノンスモークタイプの生ハムを思う。
その瞬間、数年前のテレビ番組が頭を過った。
Erhabenheit 崇高、尊厳、志向
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