Kommerzialisierung 職人の商業主義化
気持ちの華やぐことのないひと時であった。
マイスターシューレから駅へと戻る道のりは、行きよりもより遠くに感じられたのだった。
ミュンヘン行きの列車に揺られながら、何とも言えない感情が湧いては消え湧いては消えしていた。
マイスターシューレに着いたときにはまた汗だくで、この時にすでに終わっていたのかもしれない。
丁度、一階の実技室で未来のマイスターたちは講義を受けていた。扉を開けた廊下は静かで閑散としていた。
入ってすぐに階段があり、そこを上がると事務所と座学の教室がある。
事務所を訪ねると、言葉はなくとも何となく愛想のない対応だ。
事務員と話していると例の校長が現われた。彼女は愛想はいい。
取り敢えず。そう取り敢えずだが、形式的にお土産を渡す。さっきの事務員も手のひらを返したかのような態度だ。
すると、これはあり得ないことだと思うのだが、週末の講座を受けていかないか?(もちろん有料で)と誘われる。適当に流そうとしたのだが、女性二人が寄ってたかってそれは止むことがない。
週末はもうバイエルンにはいない、と伝えるとようやく収まったのだった。
週末講座は一般向けの講座であり、マイスターの資格を取得した者に対して誘うことなどほぼ皆無だろう。余程、自分自身が望めば別だろうが、誘う、となればやはり失礼に当たると思うのだ。
果たしてドイツ人マイスターたちにそのようなことが言えたのか?と思うと不信感は更に積もったのだった。
そして階段から廊下にずらりと飾ってあるクラスごとの卒業生たちの写真を案内する。
しかし探せど探せど我々のクラス写真は無い。
何とも言えない空虚な時間だけが流れた。
彼女は辛うじて苦笑いをしていたが、もう私にはそれをするだけの余裕もなく、ただただ失望しかなかったのだった。
最後に、一階にある実技室に案内される。
実技室とは言え、大学の大きな教室のように階段席があり、前方の教授が実技を見せるところには加工機器がずらりと並ぶ。
ぎゅうぎゅうに座れば100人近く座れるのではないかという階段席は嘘のようにガラガラだった。
思えば親方に
『ベルーフスシューレ(職業訓練校で弟子の通う学校)全然生徒がいないぞ』
各学年一クラスという枠でしか区別しないが私の時には40人以上、やめていく生徒もいるので最後まで残ったのは30人弱だっただろうか。
それが10年くらいの間に、一クラスに10人もいないというのだ。
まさにそれらを反映しているかのようにマイスターシューレの門をたたく者が激減していた。
当時は2クラスが存在していた。1クラス目は前期は実技、2クラス目は前期は座学中心。後期は入れ替わる、と言ったように。それこそ、この教室が満員御礼で、年代はバラバラ。若い連中は真剣味が少なく授業中でも話をしたり、そうなると教授の声が聞こえない、なんてことになるほど人数がいた。
虫食い状態に座っているマイスターのたまごたちは20人にも満たないのではないだろうか。もちろんクラスを分ける必要などない。
必死に私を週末講座に誘うのも何となく理由が分かったような気がする。
表現が正しいかは分からないが。ひもになるところだった。
結局、キーワードは“マネー”
『昨日よりも5円でも多く』
彼女の父の教えが空しく響く。
職人たちに正しい教えを真剣に説かなかったという因果応報のように思えた。
さて、切り替えよう。
今日はミュンヘンに泊まる。
木目調のビジネスホテルは意外にも高級感があった。
フロントの伊達男もイントネーションからイタリア系らしい。
明日の朝は早い。
シュヴァルツヴァルド(黒い森)にむかうのだ。
顔は知らないが、よく知っている人に会うために。