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エイヒレにでもなってしまえ

炙られているからである。

さて、きょうも元気に出勤したわけであるが、「連休中どうしていたか」という話題は尽きないものだ。よほど、特殊な連休だったからだろう。きょう耳にしたのは次のような話。

「外に出ないのが苦痛だってよく言うじゃないですか。私、全然そんなことなくて、むしろ超楽しいっていうか、家にいるのが。1日ずっとネットフリックス見てるだけで幸せっていうか。韓国ドラマ、すごいんですよ、知ってました? 多分、私が変わってるんだと思うんですけど」

「私もそうだったー」

「私もー。12時間、画面見てたらさすがに目が痛くなったけど。わら」

昨今の20代の女性たちは、俗にいう引きこもり、1日、家で過ごすことも全く苦にはならないようである。それとも、冬は雪深く閉ざされる土地柄、家で過ごす術に長けているのであろうか。

私などは、少なくとも一度は外で日光を浴びないと、ビタミンDが生成されないからだろうか、どうにも気が済まないたちである(まるで、植物のようだ・・)。

ところで、冒頭の話題について触れたい。

詳細に記述することは憚られるのだが、どうやら社内で「いじめ」ともいうべき事態が起こっているようである。それも、社を統率するような立場にある者が、下っ端に対して、巧妙に行なっていると見える。コロナを口実にした、とある仕打ちをしでかしているのである。

私は、以前にも記述したことがあるけれども、どんなに憎たらしい相手でも、心の片隅で相手を敬う心、リスペクトの念が大切だと考えている。たとえ上記の双方の間で、諍いがあったのだとしても、絶対に憎み合ってはならない。年長者であれば、当然の心構えといっていい。にもかかわらず、理解しがたい仕打ちが行われているようなのだ。

コロナを口実にしているところが、さらに陰湿さに助長をかけている。

コロナウイルスは、既存の社会、Beforeコロナの闇を炙り出すとはよく言われているけれども、まさに、この「仕打ち」に対してそのように感じたところである。つまり、利他的な精神、自分ではなく他者を思いやる心、そうした精神性の欠如がコロナによって炙り出されているのである。

このような毒をnoteに夜な夜な記している自分についてもどうかとは思うが、この時代の、日々の記録として残しておきたいと考えた次第である。

世の中では、#検察庁法改正案に抗議します というハッシュタグが実に流行しているようである。安保法のときなどと比べて著名人の参加が格段と増えている印象を受ける。安保よりもわかりやすく問題点が理解できることに加え、新型コロナによる人々の不安(政権の対応への不信)が拍車をかけているのだろう。

こうした流行やムーブメントの類は、時代の奥底からの何かの響きが起こっていると理解するべきだが、政権を支持するか/支持しないかという安易な二項対立に収斂させないことが肝要である。その点、私は勉強不足のため、この点について意見を述べることは現段階では慎みたい。こういうときは、不徳を恥じ入るばかりだ。「安易な二項対立」を批判しながらも、自身の意見を堂々と強く述べることができる人々の姿勢にもまた、憧れを抱くのだ。

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