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秋田日記 事始め

2020年の正月、私は1年をかけて日記を書き続けたいと思っていた。

ことしは、東京オリンピック・パラリンピックが開催される年である。秋田に暮らしている身として、この2度目の東京五輪がいったいどのようなものとして映るのか、そして秋田はどう変化していくのか、一市民として感じる日常の実感を記録に残したいと考えていたのだ。

しかし、ほんの少し、のんびりしすぎている間に、東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まり、新型コロナウイルスの感染拡大で日本だけでなく世界中が大パニックとなり、秋田では桜が見頃を迎える季節となってしまった。この間、世界史に必ずや刻まれるであろうウイルスの感染が広がり、目に映る景色は全くと言っていいほど、変わり果ててしまった。テレビや新聞、SNSでは常に”コロナ”の話題で持ちきりとなっていて、直近では、感染の拡大を防ぐために、いくつかの県で往来の自粛を呼びかけていることが夜7時のニュースで紹介されていた。ある県では、県外ナンバーの車に対し嫌がらせを行う事案さえ起こっているそうである。

「県外ナンバーの車へのひぼう中傷や投石、それにあおり運転がみられるようになった」(徳島県知事)

世界中の誰もが予想し得なかった事態に見舞われ、多くの人々が混乱しているように見える。私は、このニュースを目にし、「異なる他者を排除する思想」と、「移動の自由(制限)」はリンクした概念なのだと感じた。つまり、ヨーロッパではEUという大きな共同体の中で「移動の自由」を実現し、また難民など困難な立場にいる人々に手を差し伸べる「人道主義」をも体現してきたわけであるが、この2つの考えは密接に関わった理念なのだと直感したのである。

秋田では、いまのところ16人の感染が確認されていて、最近は少し止まってきているようだ。その一方で、経済への影響は計り知れないほど深刻で、秋田市の繁華街・川反や駅前の飲食店街などは、まさにいま灯が消えんばかりの風情である。ただでさえ人が少ない秋田ではあるが、細々と長らえてきたいくつもの営みが根こそぎ消え去ってしまうのではないかーーそんなシナリオさえ浮かんできてしまう。

私たちはこれからどこへ行くのか、秋田はどうなるのか。日本は、世界は、秋田からどう映るのであろうか。ほんの少し、遅くなったけれども、これから少しずつ日記を書いてみることにしたい。もしかしたら、誰かにとって、参照されるべきなにものかになればという淡い希望を持ちながら、ゆっくり、息長く…。

花見客のいない桜と、マスクがすっかり似合うようになった春、秋田にて。

#秋田 #新型コロナ

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