【プロフィール】元映像制作会社勤務。早期リタイアして趣味で写真を撮っている人
東京都在住。
元映像制作会社勤務。
早期リタイアして趣味で写真を撮っている人。
法政大学工学部を卒業。 株式会社リコーにて設計エンジニアとして約20年間従事。 その後、「モノ造り」から「映像」の世界へ。 映像制作会社アクラにて映像制作に携わる。
趣味はドライブ・旅行・写真撮影。
風景やポートレート・車の流し撮りが好き。
血液型:O型
MBTI性格診断:INFJ-T 提唱者タイプ
精神障害者健康福祉手帳3級所持
ご挨拶
私のnoteを御覧くださいましてありがとうございます!
児玉アキシゲと申します。
私は大学を卒業して、株式会社リコーにエンジニアとして約20年間勤めました。
そして映像クリエイターになりました。
なぜ約20年も勤めていた会社を辞めたのか。
なぜ映像クリエイターになったのか。
少し話をさかのぼらせてください。
クリエイティブなことが好き
私は幼い頃、祖父と一緒によく工作や釣りをして遊んでもらいました。
祖父は一流ホテルの機械技師で、74歳まで現役で働いていました。
幼心に祖父を尊敬していましたし、50代の今だからこそ、74歳まで現役という偉大さがわかってきました。
そんなこともあり私はモノ造りが大好きでした。
幼い頃、近所に住む音大の先生のピアノレッスンに通ったり、隣の家のおじさんが画家で、水彩画、油絵、水墨画、陶芸など、いろんなことを教わりました。
小学校高学年になると、写真にも興味がでてきました。
父が使っていた一眼レフ(フィルム)を持ちだして撮っていました。
当時は写真が好きというよりは、メカメカしいカメラに興味があったのかもしれません。
そんなこんなで私の幼少期は、クリエイティブな世界で満ち溢れていました。
「クリエィティブなことが好き」
これが私らしさの一つです。
家族を支えたい
時は過ぎ入社6年目(28歳)のあるとき、私は病に倒れ休職しました。
1年間寝たきりの生活で、両親にとても心配をかけ、また看病してもらいました。
病気は精神的な病気でなかなか治りませんでした。
安定はしていますが今も完治はしていません。
この頃から家族に対する想いが強くなりました。
私が一番つらいときに支えてくれたのが家族。
「家族を支えたい」
これも私らしさの一つです。
誰かに喜んでもらうため
入社18年目(40歳)に転機が訪れました。
病に倒れはしましたが、これまでモノ造りや人材育成に携わり、人にも恵まれ充実したサラリーマン人生でした。
「人事異動」
このことについて多くは書きません。
ただ私の望むクリエィティブな仕事からは離れてしまいました。
そこで私は心機一転会社を辞めて、別の道を歩むことにしたのです。
映像クリエイターになると決めるまで、ここではお話できないくらい色々なことがありました。
その話はまた別の機会にしましょう!
今思うと、サラリーマン時代も、今も、「誰かに喜んでもらうため」に物事をしていたことに変わりはありません。
製造ラインの小柄な女の子が組立しやすいように工夫して設計したり
指導していた後輩がミスをして、一緒に徹夜で挽回したり
映像制作ではお客様とたくさんお話しをして、お客様の希望と私の提案でより満足してもらえたり
そういった物事に対する姿勢は一切変わっておりません。
「誰かに喜んでもらうため」
これも私らしさの一つです。
あなたへ
このnoteを読んでくれたあなたへ
これから私の経験してきたことをnoteにして行きます。
主に映像制作会社で体験したことや、写真撮影、現像、動画編集などの技術的な話、他愛のない日常についても書きます。
あなたがもし映像分野のことで困っていたら、私のnoteが役に立ちますように。
私を必要としてくれる人に最高に喜んでもらえるように
偉大なる祖父のように
家族を支えられるように
あなたを支えられるように
これからも日々精進致します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。