なぜ小説を書くのか ~公募落選の現実と、その先に見えるもの 〈3385字〉
2021年11月11日。
全力を尽くして書き、応募した文学賞に見事落選した。
初っ端から暗い書き出しで恐縮だが、事実だから仕方がない。恥ずかしながら相応の自信はあったのだが、残念なことに結果はついてこなかった。
同様の経験をされた方は、この世界に多くおいでのことと思う。成功を手にできるのは、ほんの一握りの人たちだけだ。
それが判っていても、やはり、書く。
プロアマ問わず、物書きの業とも呼ぶべきものだろう。
「好きなものを好きなように書き散らして、それを適当に投稿したら受賞した」というのは、かなりのレアケースではないだろうか。
受験に過去問や傾向の対策が必須であるように、文学賞にも最低限の「傾向と対策」は必要だと思う。文章の巧拙以前に、賞の傾向とは明らかに外れたものが不利であることは明らかだからだ。例えばエンタメ重視の賞に、ガチガチの経済小説を送っても、残念ながら日の目を見ることはあるまい。
だがその一方で、目的とする賞の傾向に合わせて小説を書くのは、果たして自分が本当に書きたいものなのだろうか。
公募に挑戦する(そして入賞を目指す)方なら、恐らく一度は突き当たる問題だと思う。それは自分が何を目標とするかによるだろう。
とにかく入賞して作家になりたいのか。
あるいは”物語を紡ぐ”ことに情熱を注ぐのか。
後者であるならさほど問題はない。己の望むままに書いていけばいい。もっとも純粋で、かつシンプルなスタイルだ。
前者もまた判りやすい。攻略のためと割り切って対策を施し、あとはひたすらに書き続けるしかあるまい。
問題はその中間に位置する場合だ。
専業作家になりたいという大それた夢は持ち合わせていないが、さりとてただ書いていれば満足という訳でもない。
そういう人にとって、小説投稿サイトはありがたい存在である。
だがその投稿サイトでも満足できなくなってきたり、または他の書き手に触発されるかして、公募の道へと歩みを進める人は多いだろう。
私は公募から入った身だ。現在は投稿サイトと並行しているものの、意識としては明らかに公募寄りの人間である。
最初は東京新聞の300文字小説だった。
投稿2作めで運良く入選し、更にその年の優秀賞を頂戴した。しかし通算3回の入選を果たしたものの、約1年半の間に書いた本数は僅か10本にも満たない。
創作が本格化したのは、400文字小説投稿サイト「ショートショートガーデン(以下SSG)」に登録してからだ。ここではダイレクトに読者の感想がもらえるという新鮮な喜びを経験した。これは公募と大きく異なる点だ。
その少し前に、300文字以上の長さの小説を書きたくて2019年の『坊っちゃん文学賞』に初めて応募した。その流れで『秋田柴子』という、このけったいな名前が誕生する(笑)
でも私はこの名前がとても好きだ。仲間が「柴子さん」「秋柴さん」と呼んでくれることがとても嬉しい。
ショートショートが中心、長くても原稿用紙30枚程度の作品しか書いたことのなかった私が初めて長編に挑戦したのが、小学館の『日本おいしい小説大賞』である。最大規定枚数は400枚。下限こそないものの、これまでとは文字どおりケタが違う。
だが私は書きたかった。食べ物の話はSSGでよく扱っており、ありがたいことに好評を頂いていたからだ。
そのくせ何のネタも湧いてこず、もはや諦めかけた2月半ばの満月の夜。
突然、物語が降って来た。締切は3月末。
翌日から私は何のプロットもなく、憑りつかれたように書き始めた。不思議と話の道筋には困らなかった。降って来た物語と会話するように、私はひたすら書くことに没頭した。
出来上がった原稿は230枚。梗概の書き方も判らず、悪戦苦闘しながら郵送した。そして数か月後、突如スマホに表示された東京03から始まる見知らぬ電話番号。
「お送り頂いた『ころつけ亭へいらっしゃい』が現在最終選考に残っている…ようです」
という不思議なお電話(笑)を頂いた時の驚きは今も忘れない。
結果としては受賞できず、また敗者復活の刊行もならなかった。それはひとえに自分の実力不足以外、何ものでもない。ご縁のあった編集さんや審査員の先生方の講評は、どれもみな的確で、且つ、厳しさと愛に満ちていた。あれから1年以上経った今でも、心から感謝している。
最初の長編が思わぬ幸運を掴んだことは、私に強い希望を抱かせた。
何しろその賞は、大賞以外の作品でも刊行の確率が高かった。商業出版、しかも単著刊行という夢のような話まで、あと僅かだったのだ。
当然、翌年も私は同賞に挑戦する。
前回頂いた講評をもとに、今度は自分なりにプロットを立て、多くの資料を参考にしてリアリティを追及しつつ物語を組み立てた。出来で言えば恐らく昨年のものを遥かに上回っているだろう。
だが今年は最終選考にも残らなかった。
普通はそれが当たり前なのだ。だが一度その旨味を味わった人間は、つい次もと期待をする。しかしそれは単なる希望的観測にすぎない。
余談だが、今年は昨年同じく最終候補に残った方が見事リベンジを果たし、大賞を受賞した。彼女は他の有名な文学賞でも最終候補に残るほどの実力の持ち主だ。涙を呑んだ結果の中で、唯一嬉しいと思える出来事だった。
更に綿密な準備をして臨んだ、6月末締切の『ポプラ社小説新人賞』。
やはり前作よりは良く書けていると自負していたが、結果は見事に惨敗。恥を晒すようだが、一次すら通過しなかった。
正直、それは相当にショックだった。
自分のレベルがまったく達していないのか、それとも編集部の求める方向とはズレていたのか。今回は事前に過去の受賞作も読み、それなりに対策は試みたつもりだった。
だが結果は結果だ。潔く受け止めるしかない。
とは言え、いつまでも失意の底に揺蕩っているわけにはいかない。
そこで冒頭の問題に戻るわけだ。
私はなぜ小説を書くのか。
ものすごく正直に言えば「小説を書くことが好きで好きでたまらない」というのではない。ただ書くことが自然なのだ。小さな頃から、自分の中で思うことを文章にするのが習慣だった。
私にとって書くことは、疲れた時に大きく伸びをするのと同じことなのだ。なぜ伸びをするのか、と聞かれてもなかなか明確には答えられない。
でも伸びをすると気持ち良かったり、すっきりしたりする。うまく気分が切り替わることもある。
とは言え、伸びが好きで好きでたまらないかというと、そうでもない。
不遜な答えで恐縮だが、そうとしか言いようがないのだ。
ならばおとなしく一人ポチポチと書いていればいいのだが、つい結果を求めたがる厄介な性格ゆえ、どうしても公募に走りがちになる。
だがここらで少し立ち止まってみようと思う。
賞を目指すのは悪いことではない。過去の履歴はやはり大事にしたい。「傾向と対策」もちろん結構。
しかしその前に「書きたい」という気持ちは、熱量は、今どれだけあるのか。
技量で言えば、最初の長編『ころつけ亭へいらっしゃい』は、その後の作品と比べれば遥かに落ちるだろう。だが勢いだけは間違いなく断トツに高かった。ランナーズハイは経験したことがないが(一応フルマラソン経験者である)まさにライターズハイと言うべき状態だった。
あの感触を取り戻したい。
なまじビギナーズラックとでも言うべき実績が、却って自分自身を縛っているのかもしれない。
目を覚ますのだ。
そして開いたその目でもって、再び夢を見るのだ。
目を覚まして夢を見るとは、何たる矛盾。だがそれこそが「自分の本を出してみたい」という子供の頃の他愛ない夢を叶える、新たな第一歩なのだと信じることにしよう。
そして常に体調のすぐれない私がようやく見つけた創作という手段を、ただ「いいじゃん」と後押ししてくれる夫に心から感謝する。
私が自分なりに考え、書き、送り、その結果を受け止めてまた書くという行為は、このたびの落選を機に、彼によって「しばこ道」と命名された。
剣道・柔道・しばこ道。
悪くないではないか。珍妙な求道者ではあるが、それもまた一興である。
最後に、温かで個性豊かな書き手の仲間の方々に深い尊敬と感謝を。
あなた方のおかげで、私は多大なる励ましと刺激、そしてエネルギーを享受できるのだ。
互いに健やかで、共に文運長久ならんことを。
(了)
*最後までお読み下さり、ありがとうございました。