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小説『海を駆ける』(著・深田晃司)の感想(2)

(2)各章の語られる「時点」の差

作中の時間設定について気になる点があったので、ここで整理してみる。

(引用 P.70「イルマ[1]」)
今年は、津波がこの街を襲ってからちょうど十五年目の節目にあたるので、ありがちだなとは思いつつも、津波の特集を組むことにした。

小説『海を駆ける』の主な舞台であるインドネシア・スマトラ島北端の街「バンダ・アチェ」を大津波が襲ったのは、2004年12月26日。「年目」は起点となる年を「1」とカウントするので、物語内におけるメインエピソードの「現在」は2018年ということになる。

前述のように、この小説は、登場人物たちの一人称で語られる各章によって展開されていくわけだが、登場人物のうち、イルマ、タカシ、レニの章は2018年現在の視点で描かれ、クリスの章は「とある事情」により20数年後からの回想として描かれ、さらにはメインキャラクターであるサチコの章に至っては、当人の語りから読み取れるかぎり30年近く後あるいは40数年後からの回想として描かれている。

単純に、クリスの章を23年後、サチコの章を43年後として計算するならば、クリスは2041年からの回想、サチコは2061年からの回想としてメインエピソードを語っていることになる。

私自身の感覚から言うと、2061年はずいぶんと「未来」な感じがするし、43年後の社会がどうなっているか見当もつかないし、そこからあえて現在である2018年を回想するというのは物珍しくも思えるのだが、もしかすると著者・深田晃司の本来のフィールドである映画の世界では意外と珍しくない手法なのかもしれない。

また、単純にメインエピソードの舞台となるバンダ・アチェ周辺の描写などは、見に行けば取材できる「現在」が最も描きやすいという技術的な事情もあるかもしれないし、全体的に一人称の語りが中心となるため、ストーリーに複層的な立体感を出すためにも、多少メタな(高次の)視点を持ち込む必要性があったという理由もあるかもしれない。

と、ここまで書いて、メインキャラクターであるサチコの「年齢」に意識が向いた。

(引用 P.69「サチコ[1]」)
それは、三年前の大学入学のときに、東京の練馬区に新しく借りた一人暮らしのためのアパートの前で、母と並んで撮影したものだった。

つまり、バンダ・アチェを訪問した2018年時点のサチコは21歳くらい。回想している時点が43年後とすれば、64歳くらいということになる。細かな年齢の計算は、実はどうでもいい。私の意識が向いたのは、サチコが「そこそこ長生きしている」という事実についてだ。

ストーリーの核心に触れるかもしれないこの点については・・・、やはり後述ということになる。

つづき、感想(3)は、こちら。


【参考】作家・秋沢一氏のブログ「小説『淵に立つ』(著・深田晃司)の感想。」
http://blog.livedoor.jp/akisawa14/archives/1872350.html

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