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「わかりあえないよね〜」←分かり合えた瞬間!?【患者会・闘病記-同じ病を分け合う時間】

私の持病である「気分変調性障害」は、
低い程度のうつ状態が、ほぼ一日中、
思春期頃から日常的に続いてゆく、という病気なので、
この、いつも存在している気持ちのざわざわ、
先の見えない薄暗いトンネルの中をなんとか目を凝らして作り笑顔で歩いているかのような気分の落ち込みは、
病気の症状でもあるのだろうなぁと思います。

以前バイトをしていた、がん検診クリニックでは、
術後の患者さん向けの、がん患者会がありました。

なんだろう、
この世界には色々な病気が存在するけれど、
「同じ病気になった人」としか分かち合えない何かって確かにあると思う。

母も、がん患者会に行ってみようかな、とこの前言っていたし、
私の立場からだと、私はがんを経験していないので、がんを経験した母の気持ちを、役不足的に分かち合えない部分があるのだと思います。

気分変調性障害は、
うつ病とも、双極性障害とも、
同じグループの気分障害ではあるけれど、微妙に違ってくる感じもあります。

人が、同じ病気の方が書いた闘病記に勇気づけられるのは、
患者会に近い効果があるのかな。
「当事者研究」という言葉も聞いたことがあります。

そして、同じ病気であっても、
当たり前だけれど、人はまたそれぞれ違う個性を持っていて、それぞれまったく異なる人生を生きているので、
完全にわかりあう、分かち合うことも不可能なのだろうなぁと、当たり前のことながら思います。

それでも、救われる部分はあると思います。
それぞれ違う個性や人生を持った人間が、同じ病気(その程度も人様々だけれど)になったということで一緒に集まって話し合ったり、
「病んだけれど、生きよう」とする同じ病気を持った他人の姿には。

「わかりあえないよね〜」←分かり合えた瞬間⁉︎

と、聞いたことがあります。
「分かり合えない」ことが前提にある、人間同士だけど、
同じ病を通して、語り合う中には、
たしかに重なり合う部分、共感は生まれて、
「あぁ、みんな命を必死に生きているのだなぁ」と感じることができる。

「わかりあえない」からこそ、
他人の命の輝きや、思いやりや真心に触れると、
すごく嬉しいし、本当に美しいって感じる。

「わかりあえないよね〜」←分かり合えた瞬間⁉︎

「分かり合えない」からこそ分かち合おうとする、っていうすごく人間らしい気持ち。
「分かり合えない」ことを自分自身痛感しながら、
みんなも「分かり合えない」ということを感じながら生きてる、と思うことでなんでか湧いてくる勇気。

だからこそ、それぞれの痛みを感じ、
普遍的な人間的悩みを感じ入り、
めげずに人と関わりを持とうと、
この病を受け止めた命を全うしようと、思えてくる。

なんだか勇気が湧いてくるような今日でした。

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