コロナウイルスに殺されないために、或いは心の健康を保つための考え方について
前回のnote「なぜコロナウイルスは飲食店を殺すのか」が、思ったよりもずっと多くの人の目に触れました。沢山の方にシェアいただき、感謝の念にたえません。少しでも飲食業界の苦しさが、定量/定性の両面で伝わればと思い、書いたnoteでした。
次は飲食店や中小事業者の方に向けて、各種制度融資や生き延びるための施策などについて、私なりの考えを書こうと思ったのですが、それはこの次以降のnoteに書くことにします。
今回は「コロナウイルスに殺されないため」の話をします。少し定性的というか、感情面に寄った話になりますが、飲食店に関わる人たちのみならず、美容室関連の方や役者の方達、フリーランス、個人事業主の方達、今コロナウイルスの影響を受け経済的・精神的に苦しんでいる全ての方達に伝えたいと思い、書きます。
生きていることよりも大事なことはない
生きていることよりも大事なことはありません。伝えたいことは、つまるところ、この一言につきます。どんなことがあっても、死なないこと、生きていることを最優先に行動してほしい。
それは、コロナに感染しないように外出を自粛することと、自らの精神状態を健全に保つための考え方を心がけることの2つに集約されます。特に後者に関して、私なりの考えを書こうと思ったのがこのnoteの趣旨です。
外的要因/内的要因の死について
人の死には外的(身体的)要因からくる死と、内的(精神的)要因の死の二つがあると考えます。今回のコロナウイルスの厄介な、そして何よりも恐ろしい点は、外的/内的の両面から死をもたらし得る、ということです。
リーマンショックの時は、経済的ショックからくる失業や生活苦からくる内的要因の死がもたらされました。統計上では3000人近くの方が失業/生活苦を理由に命を絶ったことになっています。失業率と自殺率の間には強い相関があるとされています。
今回のコロナショックは、近年最大の経済的危機を引き起こしているだけでなく、コロナ自体が人々の命を脅かすこと、更に我々一人一人がそれを媒介し、「加害者」のような立ち位置になってしまう可能性があることにその恐ろしさがあります。長く続く終わりの見えない自粛や、経済的な不安から、「コロナ鬱」と呼ばれる精神が落ち込んでしまう状態も人々の間に広がっています。
私は飲食店の経営などを中心に活動していますが、関わっている仕事の大部分で大きな影響を受けています。普段は詰まっているスケジュールがガラッと空いてしまったことに大きな喪失感を感じています。物理的にはここ数年で初めてというくらいにヒマになってしまいました。
一方で、精神的には毎日色々なことを考えてしまい、ヘトヘトになっています。自身の経営する会社も関わっている会社も大きなダメージを負っていますし、会社の存続のため、従業員の雇用を守るため、そして店の「場」を守るためにできることをずっと考えています。このコロナの影響はいつまで続くのか、どこまで耐えられるキャッシュを用意すべきか、それはいつまでにどの程度用意できるのか。
そして、どこまで行ったら撤退(会社の倒産を含めて)をすべきなのか。
テレビをつければ日々増える世界の感染者や死亡者に関するニュースが流れ、人々がいなくなった街の景色に、かつて知る世界が壊れていくのを見せつけられているようで、どうしようもない悲しみが募る。鬱々とした感情が堆積していく中で、どんどん気分が落ち込んでいきました。
このままではいけないと思い、不安の原因を分解・分析していきました。そして一つ一つについて自分なりの対応や答えを持つことで、ある種開き直りの境地に至りました。
どうあっても自分は内的要因で死ぬことはない、という確信・感覚を得られたことで、随分と楽になりました。
そのことについて書いていきます。
コロナが脅かす社会における心理的安全性
特に飲食店や美容室をはじめとして、営業の自粛を呼びかけられている業種に関わっている方は、今本当に大きなストレスを感じていることと思います。補償などは十分に与えられないままに、政府や自治体からの「要請」には従わざるを得ない。一方で、それでも働かないと生活を続けられない、という方もいらっしゃいます。
今、特にそうした業種に関わる方達については社会における心理的安全性が脅かされている、と言えます。
心理的安全性とは、「一人ひとりが恐怖や不安を感じることなく、安心して発言・行動できる状態」のことを指します。元々は、Google社が社内での生産性を高めるためのリサーチの中で再発見され、話題になった概念です。本来は企業運営において使われる概念ですが、ここでは社会に当てはめて考えています。
補償がない中で、店や事業の存続のために仕事を続けなければいけない人がいます。そうした方達は、コロナ自体の脅威に晒されるだけでなく、仕事を続けていること自体が実社会やネットからの実名/匿名での批判を集めるリスクを負ってしまいます。特に、自分が感染した時に、他の人に移してしまった時に「加害者」のようになってしまうことも、社会的な批判が集まりやすい要因となります。
政府が「自粛の要請」という「補償はしないけど従ってね」というスタンスに、個人的には卑怯さを感じてはいますが、それは今後の積極的な政治への参加をする以外に直近で解決できることではありません。
そんな中で、飲食店やその他の実店舗、および仕事を続ける選択をした人たち/続けなければならない人たちに関しては、上記の社会的批判を踏まえた上で、出来うる対策を全てとった上で、それを公示し、その都度の判断を迫られることとなります。引くも地獄、進むも地獄という状況の中で、これは相当にストレスがかかることです。
少しでもストレスがかからない考え方をもつことが非常に重要になっています。
死ぬこと以外はかすり傷
編集者である箕輪さんの著作のタイトルですが、今の状態に対して至言だと思っています。文字通り、死んでしまうこと以外は大したことではない。そして、前述の内的要因に関していえば、大抵のことは、死ぬようなことではない。
仕事がなくなろうが、貯金がなくなろうが、店が潰れようが、会社が破綻しようが、自己破産しようが、直接的に死ぬことはありません。日本においては各種セーフティネットがありますから、それらを知っていれば物理的に飢えて死ぬようなことは避けられます。経済・生活の要因による死は全て内的要因による死です。
もちろん、死より辛い精神状態というのは存在するのだと思います。それでも、あくまで私個人の考えですが、適切に備え、考え、調べ、行動すれば、今回のコロナがもたらす様々な不安には、ある程度対峙することが出来るはずだと思っています。
複合的な不安も個別に分解していけば対処可能です。そして、その中でももっとも重たい、事業の進退や生活の不安に対しては、撤退ラインを引くことで随分と楽になると思います。
終わりのラインを自分で引くことで、色々な対処が見えてくるはずです。
撤退ラインを引く/頻繁にレビューする
個人事業主や中小零細企業の経営者にとっては、複合的な不安があると思います。これまでやってきた事業や会社の存続や、従業員の生活・給与を維持することなど、不安を感じるポイントはいくらでもあります。その中でも最大の不安は、事業の撤退に関する意思決定でしょう。借入をするにしても、その後の返済を考えると、いくら借入をして、どこまで耐えるのかに関する意思決定は本当にストレスフルです。
これに関しては、適切な撤退ラインを引く以外にないと考えます。
ラインの引き方は人や業態によってそれぞれだと思いますが、事業を撤退しても、自分自身の生活を維持できるラインが一つの目安になるのではないでしょうか。
このコロナがいつまで続くのか、という期間の問題ですが、いつまでだったら耐えられるのか、自分なりの期限を引くしかないと思います。今回の5月6日までの自粛期間で収まれば良いですが、そうならない可能性も諸外国の様子を見ていれば十二分に考えられます。国からの補償はそこまで期待できませんし、あったらラッキーくらいの気持ちで、試算には織り込まない方がベターだと思います。
何よりもまずは冷静に数字を詰める必要があります。現時点でのキャッシュや流動資産の合計と、借入が可能とすればそれがいくらになるのか。動員できる流動資金の上限を決める。気をつけねばならないのは、業種によっては撤退にもお金がかかるところです。飲食店や美容室などは内装譲渡などをしないと現状復帰義務が課せられる場合があると思うので、その金額に関しても確認が必要になります。
また、借入の返済期間と月々の返済金額が通常時の利益水準を考えた時に不可能になるラインもあるはずです。借入月商倍率は一つの目安になります。
借入金額÷平均月商=借入月商倍率
一般的にはこの借入月商倍率は3〜4ヶ月くらいまでで、それ以上は危険信号とされますが、業種によっても変わるかと思います。
全ての数字を並べて、1ヶ月この状況が続いたら、2ヶ月なら、と、それぞれの段階の状態を試算してみると、自ずとそれ以上はもうどうにもならない、というラインがわかるはずです。そうなったら絶対に引く、という覚悟を持たねばなりません。
そして、特にこのコロナの状況下では刻一刻と状況が変化します。想定よりも長期化その撤退ラインも、少なくとも2〜3週に1度はレビューする必要があるでしょう。
終わりのラインが見えていれば、先の見えない不安と違って対応も具体化できるはずです。自らラインを引くことでいざという時に機動的な対策を取れるようにするのは、精神的にも余裕が出て、非常に有効です。
そして繰り返しになりますが、事業の終わりは人生の終わりではありません。倒産しようが自己破産しようが、死ぬわけではないのです。自己破産しても、もちろん様々な制約がつきますが翌日には会社を作ることができます。生きていくことはできます。
そして生きていればやり直しはいくらでもききます。ヘンリー・フォードもウォルト・ディズニーも、そして米国のトランプ大統領も複数回の破産や会社倒産を経験しています。その後の彼らの成功を見ていれば、破産や倒産くらいどうにかなる、という気にさせてくれます。
繰り返しになりますが、事業の終わりは人生の終わりではありません。つまり、内的要因によって事業をやっているあなたが死ぬことはありません。
それを踏まえていれば、いくばくかは気持ちも楽になります。(少なくとも私はなりました)
できる手段を全てとった上で気楽に行こう
とはいえ、もちろん大前提として事業が継続できることが一番です。使える制度融資、補助金は全て調べあげ、片っ端から申し込む。
飲食店ならデリバリーをやる、ホテルなら前売りチケットを売る、など、キャッシュを得られる手段は全て取る。そのために必要な各種サービスは、色々な方達がリリースしてくれています。
私自身は明確な事業撤退ラインを設けました。そしてそれによって随分気持ちが楽になりました。その上で、生き延びるためにできることは全部やりきるつもりです。
そして、ある意味、コロナの影響によって強制的に社会構造が変わる過渡期であるとも思っています。旧来の慣習や構造が壊れ、本質的に次の未来に必要なものだけが残る、そんな感触を得ています。生き延びることについて考えると同時に、未来についてできることの準備も少しずつ始めていくべき時なのかもしれません。
このnoteが少しでも誰かの役に立ったり、あるいは気持ちを楽にできれば幸いです。次のnoteでは、具体的な使える制度や融資などについてのまとめを、自らの勉強がてらまとめようと思います。
コロナの一刻も早い収束を心より願っています。
周栄 行
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