THINK TWICE 20200524-0530
5月24日(日) A THINK ABOUT RADIO
前々からやろうやろうと考えていたPodcastをスタートするべく、今日は選曲や、進行表の執筆などの収録準備をしていました。
まわりに使っている人が多いiPhoneアプリ「Anchor」でレコーディングして、SpotifyやiTunesなどで配信することも考えたんですが……ひとまず扱い慣れたmixcloudにアップする予定です。*1
今後、ゲストを招いてお喋りしたりするようなことがあれば……このnoteで直接配信することも考えています。
質問コーナー的な事もできたらうれしいので、下のフォームから送ってください。
あ、番組名は「THINK TWICE RADIO」です。
5月25日(月) THEY SHALL NOT GROW OLD
すべての都道府県で緊急事態宣言が解かれました。アベノマスクは結局、わが家には届いていません。
ぼくの住む街は、医療機関や介護老人ホームなどでときおりクラスターが発生し、感染者数を押し上げる以外、経路不明の市中感染がばんばん起こってるわけではないので、解除前と後で生活パターンそのものに変化は無いかもしれません。しかし、東京や北海道など感染者数が多い街にお住まいの方は、さぞかしほっとされていることでしょう。
ただ、明確な治療法もワクチンも見つかってない状況で警戒を緩めすぎるのは、ハンドルから両手を離して車を発進させるようなものです。誰も傷つけずに前に進みたいなら、せめて牛歩のようなスピードを保たないとなりません。それが今のぼくたちに可能かどうか。とても心配です。
県をまたいでの移動が緩和されたら、全国でトークイヴェントも再開したいところだけど、ぼくがお邪魔することの多い書店やカフェはどこもそんなに規模が大きくありません。
国が定めた基準に照らすと、屋内でのイベントの場合、実施の判断は定員の半分収容、かつ合計100人以下。これを遵守してイヴェントを決行した場合、おそらく収益的には経費すら出ないと思います。
そのうえ会場でクラスター感染でも発生しようものなら、どう責任を取っていいかわからない。イヴェントを企画/運営する立場としては、悩ましい日々がまだ続きます。
もっとも、なんでも元通りにしたいわけではなく、ぼくの気持ち的にはむしろその逆で。
お金のことは二の次にしても、新しいアイディアによって新しいおもしろさや繋がりが生まれるほうが愉快だし、爽やかですよね。
と、わーわー言うとりますが、先日、ピーター・ジャクソン監督の映画『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』をAmazon Prime(レンタル)で鑑賞しました。
イギリス帝国戦争博物館に保管されていた、第一次世界大戦に関する記録フィルムを最新のデジタル技術で修復し、白黒映像をカラーに加工。
音声は入ってないので(当時はサイレントの時代でした)兵隊たちの唇の動きに合わせて、役者に吹き替えさせたり、効果音を足すなどして作り上げた、ユニークなドキュメンタリー映画です。
第一次世界大戦は2つの顔を持つ戦争だと言われています。
みなさんも世界史の授業で勉強したと思いますが、ちょっと流れをおさらいしてみますと、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島に紛争の火種があり、それがサラエボ事件をきっかけに大火となり、やがて戦争の炎は欧州各地を覆い尽くし、戦線は拡大の一途を辿ります。
世界は大きくふたつの勢力に分かれ、ひとつがドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国、オスマン帝国の中央同盟国。そしてもうひとつが、イギリス、フランス、ロシア、イタリア、アメリカ、日本などの連合国でした。
そして戦いが勃発したのは1914年のことです。
当初から大砲、機関銃、ライフルなどの銃火器は使われていましたが、それらを輸送する手段は馬、列車、あるいは人力が主でした。
祖国のために戦う兵士たちは英雄視され、イギリスの若者たちはこぞって志願し、戦地に向かいました。なぜならこの戦いは、圧倒的な力を持つ連合国側が半年も経たないうちに勝利すると見込まれていたからです。
しかし予想に反して、戦争はそう簡単に終わりませんでした。次第に戦局は泥沼化していきます。かつての戦争とは比較にならないほど兵器は強力になった一方、戦術はナポレオン時代から続く戦列歩兵 *1 のまま、アップデートしていませんでした。
ナポレオンの頃の戦いのように、銃口から一発ずつ弾を込めて発射するマスケット銃ならいざしらず、戦場には近代的な兵器───戦車、潜水艦、飛行機、無線技術、火炎放射器、マスタードガスなど化学兵器が続々と投入され、戦渦はみるみる悲惨になっていきます。
頭上から砲弾が雨あられのように降り注ぎ、火炎放射器の炎や毒ガスさえ襲いかかってくる状況であっても、兵隊たちは上官の命令ひとつでろくな装備もないまま、相手の陣地に突進していかなければならなかったのですから。
敗北したドイツ側の戦死/行方不明者の合計は700万人、勝利したはずのイギリスなど連合国側にいたっては、戦死/行方不明者の合計が約1,000万人と言われています。
学校で習った以上の知識を持ってなかった第一次世界大戦でしたが、興味を惹かれたきっかけこそ、まさにピーター・ジャクソンその人でした。
『ロード・オブ・ザ・リング』3部作のDVDに、特典映像として、原作者であるJ・R・R・トールキンについてのドキュメンタリーが収録されており、トールキンがなぜ『指輪物語』を書いたのか、そのなかで詳しく語られていました。
じつはトールキン、イギリス軍の一員として最前線に送り込まれた若い兵士(通信士官)でした。
悪化の一途を辿る最前線で、親しい友人や仲間たちを大量破壊兵器によって奪われ、心や体にも深い傷を負ったのです。
戦場からもはや騎士道精神は消え去り、人間を殺めるためだけに人間自身が生み出した機械が蹂躙する戦争の姿を、トールキンは嫌というほど目の当たりにします。
そして強力な武器は自然環境も徹底的に破壊していく───そんな記憶に突き動かされ、トールキンは『指輪物語』を書き、ピーター・ジャクソンがそれを映画化し、やがて第一次世界大戦についてのドキュメンタリーを作るという必然に繋がったのです。
第一次世界大戦の頃は、映画技術が誕生してまだ20年そこそこ。カメラもはるかに原始的なものでした。今のようにどこでも簡単に運搬していけるものではありません。
ですから、このドキュメントにも、ハリウッドの戦争映画に出てくるような派手な戦闘シーンはまったく出てきません。
そのかわり映し出されるのは、戦場に置き去りにされ、腐敗し、蛆虫が湧き、敵味方関係なく山のように折り重なっている無数の遺体です。もちろんすべてがカラー加工されていて、その生々しさは100年前の映像とは思えないほどでした。
しかし、いったん戦闘が一段落すると、またしても牧歌的な空気が流れはじめます。捕虜となったドイツ兵たちとイギリス兵たちのあいだには戦った者同士の奇妙な友情さえ芽生えたようです。
あるイギリス兵はこう言っていました───死体を長く見すぎると、それが誰だか気にしなくなる」と。 *2
そういえば、まだぼくが幼かった頃の話。
季節は覚えていないのですが───とても気持ちよく晴れた昼間の出来事でした。
ふだんはとても静かな実家の周辺が、妙にざわざわとした人の気配があって、様子を見に外に出ると、水路を挟んだ向かいの家から、意識を失ったおばさんを男性3、4人がかりで運び出していました。
ぼくが驚いたのはそのおばさんが全裸だったこと。
家族以外の大人の女性の裸を、そんな明るいところで見るのは初めてでした。鮮やかな日差しに照らされて、中年女性らしいタプタプとした肉付きのおばさんのからだが真っ白に光っていました。*3
あとで母が「あのおばさんは入浴中に意識を失ったのだ」とぼくに教えてくれました。おばさんの家の風呂の追焚装置には安全装置が無く、浴槽につかったままうたた寝をし、お湯の温度が上がったのが原因だったそうです。
ぼくの思い出のなかでは、そのおばさんは亡くなっているのですが、はっきりとした記憶ではありません。ただ、じわじわ湯の温度が上がると、人間はそうやって意識を失って、場合によっては死ぬことさえあるのだ、と心に刷り込まれたのは、その事件がきっかけでした。
第一次世界大戦にかぎらず、あらゆる争いが泥沼化していくときも、近所のおばさんが意識を失うのと同じシステム───いつのまにか致死的な温度にまで上昇していて、人間の力では暴力の連鎖が止められなくなってしまう悪循環が発動しているのです。
この映画のタイトルを直訳すれば「彼らは大人になれなかった」ですが、「彼ら」は単に若い兵士たちを指すわけではありません。むしろ、こうした愚かな戦いのスパイラルから永久に抜け出せない人類全体を指しているのです。
5月26日(火) WALKING WOUNDED
さて、映画『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』からの流れで書きたいこと───劇中で耳にして、気になる言葉があったんですよ。
戦場では死者だけでなく負傷する兵士の数も尋常じゃありません。自力で動くことができず、仲間や衛生兵たちの助けで陣地に運び込まれる重傷の兵士がいる一方、自力で歩いて引き上げられる負傷兵たちがいます。 そんな人たちのことを軍隊用語で"Walking Wounded"と呼ぶそうです。
『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』のなかでは、野戦病院の場面のナレーションに出てきました。
"Walking Wounded"と聞いてパッと頭に思い浮かぶのは、エヴリシング・バット・ザ・ガールのシングルの曲名(および同名のアルバムタイトル)。
左がベン・ワットさん。右は公私ともにベンの伴侶であるトレイシー・ソーンさん。
「Walking Wounded」は1996年にリリースされ、邦題に「哀しみ色の街」と付けられました。
前作『Amplified Heart』からのシングルカット「Missing」(の、トッド・テリー・リミックス)や、トレイシー・ソーンがフィーチャリングされたマッシヴ・アタックのシングル「Protection」の大ヒットを受け、それまでのネオアコースティック〜A.O.R.的サウンドから、エレクトリック・ミュージック/クラブサウンドへ移行しつつあり、この曲はドラムン・ベース *1 を採り入れています。
一般的に"Walking Wounded"は、元気がない、精気がない、覇気のない人───という意味で使われる口語表現で、恋に破れた歌の主人公が、自分とすれ違う街の人々のことを辛辣に表現する言葉として、この曲には出て来るフレーズです。
ただ実際、"Walking Wounded"状態なのは主人公の方なんですけどね(笑)。なにせ最後のリフレインの歌詞が"Some days I could go insane"(=私はいつか発狂する)ですから。めちゃくちゃ怖いです。
1990年にベンが難病を患い、数年間も闘病したあと、奇跡的に復帰を果たしたのですが、復活後もご覧のようにとても痩せていて、まさに"Walking Wounded"でした。そのビジュアルがあまりにショッキングだったので、この言葉も彼の姿とともに脳内へすっかり刷り込まれたのです。
しかし、元々は軍隊用語だった、と。
こと、現代の戦争といえば、アメリカばかりイメージしてしまいますが、イギリスの方がはるかに昔から、他国への侵略や植民地化など、争い事をあまた引き起こしてきました。ぼくが物心ついてからだけでも、フォークランド紛争、北アイルランド問題、湾岸戦争、ボスニア紛争、コソボ紛争、そしてもちろんアフガニスタンやイラクでの戦争など───今でも戦場はイギリス国民とそう遠くないところにあって、こうした軍隊用語が口語として定着する素地があるんでしょうね。
そういえば、小沢健二さんが以前、こんなツイートをしてました。
これもまた欧米社会と戦争が密であるひとつのサンプルかと。
昨年、日本語訳も発売されたトレイシー・ソーンの自伝『安アパートのディスコクイーン』も読まなきゃと思いつつ、なかなかのお値段なので、残念ながら手が出てないうちに、来月には続編的な『アナザー・プラネット──郊外の十代』も発売されるとか。頼む〜〜、待ってくれ〜〜!
5月27日(水) OZKNに学ぶ流行語
このようにアメリカで今、流行っている言葉をTwitterで紹介してくれる小沢健二さん。
これを読むたびに思うのは「おい、アメリカ。流行語、ぜんぜんオモんないな!」ってこと。
小沢さんがそういうワードを特にピックアップしてるだけかもしれないな、とは思いつつ、アメリカで流行っているのは、このVirtue Signaling *1 に代表される、ラベリング/ゾーニング/レッテル貼りのような言葉がほとんどです。たとえば、OTAKUのような日本語発信でアメリカでも定着した言葉もラベリングですね。
かたや日本はどうでしょうか。
新聞や雑誌の見出しを派手に飾った言葉(例:神ってる、忖度、ゲス不倫)、ひと昔前だとCMのキャッチコピーやヒット曲のサビのフレーズは流行語になりやすかったですね。芸人のギャグはバズればデカいし、ギャル語や省略語(例:やばたにえん、タピる)は典型的な日本の流行語って感じがします。傾向としては、基本的に笑えるもの、会話の潤滑剤のような軽い言葉がほとんどです。
日本では年末の風物詩として、今年の流行語や今年の漢字みたいな発表が欠かせませんが、実はアメリカにも似たようなものがあります。
アメリカで最も権威のある米語辞典(not 英語辞典)、メリアム・ウェブスター(The Merriam-Webster Dictionary)が、その年にもっとも検索数が跳ね上がった言葉のベスト10を発表しています。
2019年は1位が"Quid pro quo"で、2位が"Impeach"で、3位がCrawdad……だそうです。
「おい、お前の持ってるかばん、Quid pro quoだなあ」「うれせえよ! お前のスニーカーだってImpeachだろ」みたいな会話は想像できないですね。
間違いナイトプールパシャパシャ! みたいな流行語はアメリカには無いのかな? もし誰か知ってたら教えてください。
5月28日(木) テレワーク日和
ぼくの住んでいる愛媛県では、観光客の減少や県外からの出張の自粛など、利用率の下がったホテルを活用するテレワーク支援事業を行っていて、デイユースをすると一部屋あたり3,000円の補助金がホテル側に支払われることになっているそうです。
利用者にいくら差額を負担させるか、何時間くらい使わせるかなど、条件は各施設が決めていいことになっていて、無料から数千円までかなり幅があります。道後温泉の旅館のなかには、内湯も利用可能で1,000円……なんて施設もあるから、風呂に浸かって、あとは部屋でのんびりするのもいい───って、かなり本末転倒な使い方も可能。
ぼくもそのサーヴィスを活用して、きょうテレワークしてきました。
選んだのは街の中心にあるビジネスホテル。朝8時半から20時のあいだ、9時間まで利用可能。利用料は無料です。
このホテルはこちらに戻って暮らす前、DJで帰ってきたときに、よく利用していました。たぶん10年ぶりくらいになるかな。DJは夜通しの仕事なので、数時間寝て、シャワーを使うくらいだから、値段が安いに越したことはなく、ここは出演するクラブもある飲み屋街のど真ん中にあるので、なにかと勝手がよかったのです。
1階にあったコンビニがたしかポプラで、ファクトリーメイドではない、地元のパン屋に作らせたサンドイッチとか、手作りのお弁当なんかを売っていて、夜食や朝ごはんによく買ってました。すごく美味しかったんだよなあ。
ホテルになるよりはるか昔は、佰味という民芸調のレストランのビルがあり、そこにはよく家族の誕生日とか、お祝い事のたびに連れてきてもらっていました。
海鮮系の釜飯や、ふ菓子くらい太くて立派なエビフライとか、どれも美味しくて大好きだったな。
ビルの地下には銀映という映画の二番館があり、007とかヤクザ映画などの三本立てが500円くらいで見られたんです。
まだかなり幼かった頃、父親がブルース・リーのプログラムを見に行くとき、ぼくもついていったら、3本どころか1本ももたずにグズりだし、早々に帰宅した記憶があります。ここはぼくが1人でようやく映画館に通い始めた時期(1983年頃)に閉館してしまいました。
佰味も本業の飲食が原因ではなく、バブルの頃に手を出した不動産投資に失敗したかなにかで潰れちゃったそうです。
朝10時半にホテル着。今日の主な目的はPodcastの収録。
ぼくがいつも仕事で使っている作業場は真横に大きな幹線道路が走っていて、生活には支障ないけれど、昼間に録音すると、車の走行音がどうしても気になってしまうのです。あてがわれたのは角部屋で、音も静か。
ただしWi-Fiの電波の届きが悪いみたいで、テレワークには不便だけど、今日の仕事は基本オフラインだし、作業に飽きて、YouTubeやNetflixを見始めたりできないからかえって好都合です。
お試しなので機材は極力簡易に。マイクはiPhone。カメラ用の小さい三脚にスマホ用のマウントを付けて、それをマイクスタンド代わりにしました。ポストプロダクションは音楽制作やDJミックスの作業のときに使っている、FissionやAudacity、Ableton Liveなどのアプリを使います。
トークに関しては、毎月出演しているラジオ番組と同様、アーティストや楽曲に関するメモ書き程度の備忘録、かんたんな進行表を準備して臨みました。
まずはエピソード1を収録。テーマは"AOIR"。ここ一ヶ月位でリリースされたものを5曲ほど紹介する構成。
iPhoneの内蔵マイクだと、どうしても電話っぽい高音部分が紙っぽいカリカリした音質なのが気になる(だって電話だもの)けれど、最近リモートで録音されたラジオ番組などを聞き慣れたせいか、まあこんなもんでいいか、という気持ちになる。今後はこのへんもちゃんとしていきたい。
お昼までにひと通り喋り部分を録り終えて、休憩。ホテルから歩いて10分程のところにある行きつけのカフェでテイクアウトのケーキを買い、並びにある定食屋さんでお弁当(塩唐揚げ弁当、500円)を購入。ドラッグストアでお茶買って、部屋に戻る。
自宅からだって自転車で10分そこそこの場所なのに、拠点が変わるだけでずいぶん新鮮な感じがする。
お弁当を食べたあと、2本目の収録。こちらのテーマはあるAOIR系のアーティストが今週リリースしたばかりの4曲入りカヴァーEPをもとに、じっくり解説するという内容。
さすがに2本立て続けに1人喋りの番組を収録するとなると、かなり体力も頭も使うのでヘトヘト。16時前に作業を終え、1階のロビーで無料サービスのコーヒーを取ってきて、買ってきていたケーキで糖分補給。そのあと少しだけトークの編集作業を行って、18時にチェックアウト。
しかし、振り返って今日のことをよく考えてみると、このホテルの使い方って普通のオフィスワークなんだよね(笑)。テレワークの補助金を使って、一般的な労働者の働き方を体験するというのも、コロナ禍の時代に求められている〈行動パターンの変容〉には即しているかも。
ちなみに初回の配信は5月31日(日)の午前10時としました。
5月29日(金) HAIL LOUIS COLE
ルイス・コールがひさしぶりにアップした動画がかなりすごかったのでシェアしますね。
彼はいわゆるマルチインストゥルメンタルプレーヤーなので、ドラムが本職というわけではなく、キーボードも弦楽器もなんでもござれの凄いミュージシャン(ビデオの編集も彼自身)なのですが、これを見るとドラムが打楽器ではなくメロディ楽器だということがよくわかりますね。
手数やスピード、リズムの正確さに圧倒されて、ついそっちばっかり耳目を取られてしまうのですが、彼のドラムはバスドラのディケイ(音の減衰/余韻)の踏み分けがすごいです(わかりやすいのはBEAT2)。
たとえばハウスやテクノのような4つ打ちのバスドラムの基本的なパターンは楽譜で書くと「♪ ♪ ♪ ♪」(ド、ド、ド、ド)となりますが、同じ「♪ ♪ ♪ ♪」でも、ドン、ド、ドーン、ドンというふうに、音の長さ、踏み込みの強弱などをうまくコントロールして踏むと、リズムに弾力、粘り、ハネが生まれます。
どんなドラマーもそう意識してペダルを踏んでいるはずなんだけど、ルイス・コールのそれは普通のドラマーよりもニュアンスが豊かで───なんというか、華やかです。
こういう点において、絵画、写真、書道のような視覚芸術と音楽は非常に似ているのですが、どんな楽器も音が出てる瞬間───ドラムならスティックやペダルがドラムヘッドに当たる瞬間、ピアニストなら鍵盤を押した瞬間、ギターなら弦を弾く瞬間に意識がいきます。でも良い演奏家は発音した瞬間よりも後の、余韻、余地の部分の制御が美しく見事なんですね。
サンダーキャットは前作『Drunk』に引き続き、新作『It Is What It Is』にもルイス・コールを招き、彼のドラムをフィーチャーしたその名も「I Love Louis Cole」という曲を共作しています。
リリックもめちゃくちゃかわいいです。
一晩中続いたふたりのセッションはどうやって終わったのかもわからないくらい盛り上がり、携帯も靴も、どこかに消えて行方不明になってしまったようです。すごいですね。
そして、サンダーキャットの最新ツアーで披露されているこの曲。
ルイスは帯同してないので代わりにバンドのドラマーが叩いているんだけど、ちょっと不憫です(笑)。
5月30日(土) 『幽霊塔』の秘密
江戸川乱歩の『幽霊塔』は小学校の頃、学級文庫に置いてあったポプラ社の乱歩全集(『時計塔の秘密』と改題されたもの)で読みました。
表紙に見覚えはなくても、この背表紙は誰の記憶にも鮮明なはず。
それ以来、読み返すこともなかったのですが、最近ふとしたことからこんな形で2015年に復刊されていることを知って、さっそく購入しました。
もちろん目的は宮崎駿が執筆した18ページにも及ぶ「ぼくの『幽霊塔』」というマンガ。映画がするわけじゃないよ〜って言い訳しながら絵コンテまで切ってる宮さんかわいい。
ところで、全然知らなかったんですが、この「幽霊塔」には底本があるんですね。しかも二冊。明治時代に黒岩涙香という作家が書いた「幽霊塔」。乱歩はこれを子供の頃に読み、それをリライトして乱歩版の「幽霊塔」を書きました。
で、黒岩涙香の「幽霊塔」は、そもそもメアリー・エリザベス・ブラッドンというイギリスの女流作家が書いた「A Woman in Grey (灰色の女)」を翻案───と言えば聞えはいいけれど、許可を取ったり、使用料を払ったわけではなく、勝手に翻訳して、涙香自身が発行していた新聞に勝手に掲載したのです。
しかも、涙香は自分が翻訳したのは「A Woman in Grey」ではなく、ベンジソン夫人が書いた「ファントム・タワー」という小説だ、と説明していたのです。つまり黒岩涙香が架空の作家の架空の作品をでっちあげたのです。
乱歩は涙香の遺族にちゃんと許可を取って、自分の「幽霊塔」を書きました。乱歩の研究者たちは、ありもしないベンジソン夫人の作品を探し続け、真相がわかったのは涙香が『幽霊塔』を発表してから、約100年間も謎のままだったそうです。
これにかぎらず、涙香はヴェルヌの「月世界旅行」やデュマの「モンテ・クリスト伯」、ウェルズの「タイムマシン」やユーゴーの「レ・ミゼラブル」まで同様のかたちで出版しています。戦前の日本では「翻訳権10年留保」と言って、原作者の許可を仮に得なくても、出版から10年経過していれば、無断で翻訳しても問題になりませんでした。
宮さんはこれを「わが国の文明開化の後進性だ」と嘆いているのですが、ぼくは逆にこのエピソードを知ると、初期のヒップホップ的というか、サンプリングに対しておおらかだった頃の話を連想してしまいます。
ヒップホップ/サンプリングに対する寛容性の潮目が変わったのは、1989年のことです。デ・ラ・ソウルのファーストアルバム『3 FEET HIGH AND RISING』に収録されている「TRANSMITTING LIVE FROM MARS」という短いスキット(コント)で「You Showed Me」という曲をサンプリングされたザ・タートルズが訴えた件。
デ・ラがザ・タートルズ側に支払った賠償金はなんと170万ドル(1億7千万)と言われてます。
そして、1991年に起きたビズ・マーキーとギルバート・オサリバンの有名な法廷闘争は、ビズが全面敗訴してアルバムも回収されました。
ヒップホップをつかまえて、宮さんのように「音楽文化の後進性だ」などと思う人は昔も今もいないでしょう。実際、サンプリングの許諾を取る専門のエージェントまで海外には存在するし、ヒップホップアーティストとサンプリング元の音楽家は持ちつ持たれつの立派なビジネスです。
もちろんぼくも自前の音楽や文章を発表して、お金をいただいている以上は著作権者のひとりだし、他のクリエイターが努力してつくりあげた権利をないがしろにするつもりはありません。
ただ、たとえ後進的で乱暴な方法であったとしても、涙香や乱歩がすぐれた英米文学に着目し、翻案した小説を書かなければ、この本の帯に書いてあったように、宮崎さんが「ルパン三世 カリオストロの城」という傑作を生み出すこともなかった(かもしれない)わけで、これからも双方穏便に───と願うばかりです。*2