THINK TWICE 20201018-1024
10月18日(日) 街の報せ
新宿大ガードの前にあったヤマダ電機「LABI新宿東口館」が2週間前に閉店したみたい───と言っても、ぼくは一度も中に入ったことないのですが。
したがって閉店云々にはなんの感慨も無いけれど、それ以前に、味のある古い雑居ビルがとり壊されて、ただ図体が大きいだけが取り柄の、存在感があるのかないのかわからないこうした建造物に変わってしまったのは、残念で仕方なかったし、一度こうなってしまったかぎり、次のビルがうまくいかなくてもTENETのように「時を戻そう」とはいかないわけで、建物の前を通りかかるとき、目に入れないようにしていた気がします。
このビルにかぎった話ではないのですが「これができる前、なにがあったっけ?」と考えても、自力で思い出すのはなかなか難しいですよね。
他力(Google)に頼って検索してみたら、2003年に撮影された大ガード付近の写真が見つかりました。右側のTDKの屋上看板があるビルの手前に建っているのが、LABI東口館ができる前の新宿大栄ビルです。
これは新都心歩道橋の上から撮られた写真だと思いますけど、ぼくにとってもすごく懐かしい風景です。
西口のヨドバシあたりで電化製品やカメラをチェックし、新宿郵便局の前を通って、この歩道橋に上がり、大ガード付近のこの風景を眺めながら小滝橋通り方面へ下って、西新宿のレコード屋街に向かうのは、よくあるパターンでした。まだ東京では珍しかった本格的な讃岐うどんが食べらる「東京麺通団」も小滝橋通りからちょっと入ったところにあるので、よく通ってたな。今は西新宿のレコード屋も絶滅寸前だし、讃岐うどんもけっして珍しい食べ物ではなくなったので、わざわざ足を伸ばさなくなっちゃいました。
こうしたひと昔前の東京周辺の風景を切り取ったスナップ写真を、大好きなカメラマンの滝本淳助さんがTwitterに日々アップされています。
ぼくが好きなのは新宿の東南口を切り取ったこの一枚。
にっかつでかかっていた作品(『ブルーレイン大阪』)からすると、1983年の夏のようです。
現在、南口の商業施設「Flags」が建っている場所は、ぼくが上京したばかりの80年代後半まで、このように古いバラック街が取り残されていました。これは滝本さんの写真では無いですが、今も同じ場所にある大きな階段と、その横にあった旧バラック街の位置関係がよくわかります。
滝本さんの写真の左下に旧バラック街側の旧階段、たばこ屋に向けて伸びている横断歩道が、下の写真で言えば〈FUJI SAFETY〉の文字の上にちらっとだけ映っている横断歩道ですね。
今日みたいに気持ちよく晴れた日曜なんか、午前中から電車に乗って、新宿や渋谷や池袋や上野や秋葉原に出かけ、何かを見たり何かを買ったり、何かを食べたり誰かと会ったりしたもんです。
街は今よりずっとぼくに親しくしてくれたし、ぼくも今よりもっと街に親しみを感じていました。街の報せも、人の報せも、モノの報せも、街に出かけなくては知りようがなかったし、そんなのあたりまえだと思っていました。それってずいぶん昔のような気がするけど、ほんの20年くらい前までの話なんですよね。
みんなも年を取り
いつかはいなくなるけど
また誰かがやって来て
音楽をかけてくれそう
何度も
夏に映画館出た時
終電が終わった駅前
波も涙もあたたかい
忘れていたのはこんなこと?
cero「街の報せ」(詞:荒内佑)
滝本さんが70年代に撮った写真がceroのシングル「街の報せ」のジャケットに使われ、その写真にインスパイアされた曲「ロープウェー」も収録されています。こちらも良い曲です。
10月21日(水) One Bad Habbit
ぼくの悪い習慣のひとつは積ん読だと思っています。
図書館で借りてきた本が常に何冊か手元にあって、期限があるのでそれをまずは優先的に読む。で、買ってきた本も並行的に読むわけですが、なんだかんだでそのうち2割くらいは手つかずのまま放置してしまう───なかには半年から1年、下手すると数年間も。いちどはおもしろそう、欲しいなあ、と思って手に入れた本なのにね。
今、手元には図書館の本は一冊もなく、時間にも少し余裕があるので、ずっと積ん読だったある本を読み進めています。
チャールズ・デュビュック『習慣の力』
去年の12月、イヴェントで熊本へ行った折、PEANUTS RECORDSの井手くんから強くレコメンされたのですが(どうしてだっけ?)発売されて間もなかったので、古本もそこまで価格は下がってなかった。結局、熊本から松山への経由地だった、福岡の大型書店で新刊を購入。そして結果的に今日まで1ページも読んでなかったのです。*1
第一章では、人間の行動がいかに習慣に支配されているか、その分析を脳のメカニズムにまで踏み込んで解説し、第二章以降では、垢のようにこびりついたある習慣を、いかに無理なく別の習慣へ書き換えることができるかという方法を、さまざまな個人や企業などに例をとって紹介しています。
まだ半分くらいしか読んでないけど、すでに感化されて食事日記をつけようとしているぼく。単純〜〜!
10月22日(木) October In The Rain
ひさしぶりのまとまった雨の一日。落ち着いて仕事したり読書をしたりするのには最高のお天気(野外で働いてる方、ごめんなさい)。
秋雨といえば───と、ある曲を思い出し、それが入っていたはずのドロシー・アシュビーのアルバムを引っ張り出して聴き直してみたんだけど、残念ながらぼくの勘違い。10月ではなく「9月の雨(September In The Rain)」でしたね。
ドロシー・アシュビーはジャズ界では稀有なハーピストです。1932年、デトロイトで生まれ、父親もジャズギタリスト。彼女の最初の楽器はピアノでしたが、進学したキャス工業高校でハープに出会います。この高校はハープの専門授業があることで有名なんだそうです。*1
そして、1957年にサヴォイのサブレーベル「Regent」からデビューアルバム『The Jazz Harpist』をリリース以来、53歳の若さで亡くなった1986年までに、全部で11枚のリーダーアルバムを発表しました。
ドロシーの存在は、扱う楽器と同じくらいあまり有名ではありません。ジャズファンでも彼女はそれほど知られた存在ではないでしょう。しかし、スティーヴィー・ワンダーの大名盤「キー・オブ・ライフ」に入っているこの曲で、彼女のハープの弾くと出会っている人は多いはずです。
あるいは、ミニー・リパートンの「Love and It's Glory」で心地よく響いているハープもドロシーが弾いています。
Discogsをチェックしてみると、ざっと見積もっただけで、彼女は100枚以上のアルバムに参加しています。ソウルやR&B作品のレコーディングに呼ばれるようになったのは、先ごろ亡くなったビル・ウィザースとの共演がきっかけで、彼がスティーヴィー・ワンダーに紹介したそうです。
特にラブ・アンリミテッド・オーケストラやサルソウルに代表される───70年代のブラック・ミュージックやディスコ音楽のなかで流麗なストリングスがフィーチャーされることが多くなり、ドロシーのようなクラシック畑以外のハープ奏者は特に重宝されました。
まずドロシーの作品をなにか一枚───ということであれば、ハープだけでなく、カリンバや日本の琴、自身のヴォーカルをフィーチャーした『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』(Cadet・1970年)ですかね。
某レコ屋のキャプションによれば〈オリジ万超えのメガレア盤!!〉〈MURO氏"第三段落97ページ"ネタ"DRINK"の鬼ドープな琴(≒ハープ)ブレイクで秒殺必至!!〉(笑)。
実際、オリジナル盤は5万円くらいで壁貼りされているのを見たことがあります。2016年にCDで復刻(2018年には日本盤も)され、2,000円しないで買えるほか、SpotifyやAppleMusicなどでも楽しめるのでほんとにいい時代ですね。
彼女の後継者ともいえる若手ジャズ・ハーピスト、ブランディー・ヤンガー(ロバート・グラスパーやコモンのアルバムにも参加)、ビョークとの共演経験もあるジーナ・パーキンス、あるいはシンガー・ソングライターのジョアンナ・ニューサムやミカエラ・デイヴィスなど、現在はクラシック以外のフィールドで活躍するハープ奏者が何人も登場しています。
ブランディー・ヤンガーがハープの魅力について、「ギター風にも、またはちょっとピアノ風にも、もちろんハープらしく弾くこともできる上、それらを組み合わせてまったく違うサウンドにもできる、ほんとうにイノベイティブな楽器なの」とインタビューで語っていましたが、当時としては珍しい女性のジャズミュージシャンというだけでなく、70年近く前にハープという楽器の可能性を切り拓いたという意味でも、やはりドロシーは偉大だなあと思います。
最後に、ハイ・ラマズが彼女に捧げた曲「ドロシー・アシュビー」を。
10月23日(金) 事実は小説より奇なり
午後。近所の焙煎所にコーヒー豆を買いに向かっていたら、路地から急にワンボックスカーが飛び出してきて、あわやぺちゃんこになるところだったのですが、その車は「○○珈琲」のトラックでした。*1
コーヒー豆を買いに行って、コーヒー豆を満載した車に曳かれて死んでいたら、さぞかし笑いの絶えないお葬式になったでしょうね。
10月24日(土) A Life Less Than Ordinary
シンプリー・レッドの名盤『Life』が、1995年10月24日の発売から今日でちょうど25周年。それを記念して「Fairground」のMVがHDリマスターされ、YouTubeで再公開されてます。
ぼんやり紗がかかったようだった画質は驚くほど鮮明になり、暗闇と光のコントラストも目が痛いほどで、”フェアグラウンド”感が10倍増しになってますね。
最初にこの曲を聴いたのは、テレビ番組『BEAT UK』だったと思います。
1990年11月にスタートした『BEAT UK』はイギリスのヴァージンメガストアのチャートを元にPVが次々と紹介され、MCは不在で全編英語のナレーションとテロップのみ。番組で紹介されたチャートは、同じ年の9月に新宿の丸井地下に誕生したヴァージン一号店の品揃えに反映されていて、番組でMVを見て気になったCDがお店ですぐに買えるのも、すごく新鮮でした。
「Fairground」はオランダのユニット"The Good Men"が1993年にリリースしたシングル「Give it up」をサンプリングしています。ぼくは1994年に初めて人前でDJをしたのですが、この「Give it up」もBEAT UKで聴いて大好きになり、イギリスのFFRR Recordsから出ていた12インチを買いました。
実は「Give it up」の全編に入っているサンバのリズムも、1992年にセルジオ・メンデスが出した大傑作アルバム『Brasileiro』の1曲目「Fanfarra」をサンプリングしています。
自分が大好きだった楽曲の一部分が、サンプリングという手法で次々と違うアーティストへバトンのように受け渡され、別の魅力的な曲に変化していくクラブ・ミュージックのおもしろさに、20代半ばだったぼくは一瞬で心を奪われました。
そしてそのバトンの先に、矢野博康くんや堀込泰行くんらと一緒に作ったぼくの「Fairground」のカヴァー・ヴァージョンも存在するのです。