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THINK TWICE 20200830-0905

8月30日(日) 君の声に恋してる 〜ロビン・ワード/ジャッキー・ワード(1)

暑いですね、まだまだ。

こんな日に聴きたくなるのが───ロビン・ワード「ワンダフル・サマー」(1963年)

初めて耳にしたのは、タツローさんのラジオ───サンソンじゃなくて、別の番組だったはず……と思って調べたところ、大阪のFM802の番組にシングル『僕らの夏の夢』(2009年)のプロモーションでコメント出演した折、〈夏の終わりに聴きたい曲〉というお題で彼が選曲したのが「ワンダフル・サマー」でした。

大瀧詠一さんもこの曲が大好きで、ラジオ関東でやっていたラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』で2度ほど流れてます。プレイリストを見直しても、同じ曲を複数回かけることはめったにないことなので、よっぽどお気に入りの1曲だったのでしょうね。

さて、この曲の歌い手であるロビン・ワードにはある興味深いエピソードがあります。というのも、このロビン・ワードは架空の歌手で、本当の名前はジャッキー・ワードといいます。

歌手としてかなりのキャリアの持ち主であるジャッキーのバイオグラフィはかなり詳細にわかっています。

1934年、海軍に所属していた父親の勤務地だったハワイで生まれました。そのあとネブラスカに転居して、そこで育ちます。*1

*1 英語版ウィキペディアや国内盤CDの長門芳郎さんのライナーノーツにも1941年生まれと書かれているけれど、Facebookでジャッキー・ワードのファンページを管理されてる方に直接尋ねたところ、1934年が正しい生年と確認しました。

8歳のとき、ふたりの姉と共にボーカルグループ「マクドネル・シスターズ」を結成して音楽活動を開始。13歳からの4年間はロサンゼルスで放送されていたテレビ番組「バンドスタンド・レビュー」のコーラスグループのメンバーとして活動するのですが、ソロ歌手として大成することはありませんでした。

主にジャッキーは作曲家に頼まれてデモテープに仮歌を吹き込んだり、コーラス仕事などのセッションボーカリスト───つまり裏方としてキャリアを重ねていきます。歌の実力は申し分なかった彼女は、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、ビング・クロスビーといった、錚々たる歌手たちのレコーディングに参加していたようです。

当時、アメリカン・ポップスの黄金期を支えた西海岸のスタジオミュージシャンの一群に〈レッキング・クルー(The Wrecking Crew)〉という人たちがいました。

主にフィル・スペクターがレコーディングのために選抜したメンバーで、ドラムスのハル・ブレイン、アール・パーマー、ジム・ゴードン、ギターのグレン・キャンベル、バーニー・ケッセル、ベースのキャロル・ケイなど、いずれも腕利きのミュージシャンたちで、数十人ほどがその構成メンバーと言われています。彼らはビーチ・ボーイズやサイモン&ガーファンクル、、フィフス・ディメンション、モンキーズ、カーペンターズなどのレコーディングに関わっていて、ジャッキーもコーラスとして欠かせないメンバーでした。

ジャッキーが30歳のときのことです。フィル・スペクター門下の作曲/編曲家、ペリー・ボトキン・ジュニアが、パートナーのギル・ガーフィールドと共に書いた曲「ワンダフル・サマー」のデモ録りのため、ジャッキーはスタジオで歌を吹き込みました。

レコーディングが終わったあと、ペリーがテープの回転数を上げてピッチを半音高くし、彼女の歌声をティーンエイジャーの歌手のように〈若返らせる〉ことを思いつき、実行します。そして最後に鳥の鳴き声や波の音といった効果音をダビングして曲を完成させました。あまりに良い出来だったので、彼女の承諾の上で正式なシングルとしてリリースすることになります。

しかし、ジャッキーはそのときすでに結婚し、娘を持つ母親になっていました。ジャッキーという名前もティーンエイジャーの女性歌手として売り出すには、少々古臭い響きです。そこで自分の娘の名前をとって、ロビン・ワードと名乗ることを彼女が逆提案しました。

ドット・レコードからリリースされた「ワンダフル・サマー」は、最終的に100万枚を超えるセールスを記録。ビルボードチャートでも最高14位のスマッシュヒットになりました。

そして、ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リヴァー」なども入ったアルバムを制作。また同じ制作チームで冬の曲「ウィンターズ・ヒア」を作って、柳の下の泥鰌を狙いますが、こちらは全米123位という結果に終わります。

お聞きのとおり、実に良曲なんですけどね。

つい先日、ある人気VTuber(YouTube番組のパーソナリティを務めるCGのバーチャルキャラクター)の〈中の人〉が、配信中にうっかり画面に映り込んでしまい、美少女の外見とは似ても似つかない中年男性だったことがバレて、ネットでちょっとした騒ぎになっているのを見かけました。

ジャッキーはいくら主婦とはいえ、まだ30歳と年若く、おまけに非常に美しい女性でしたから、現在なら〈身バレ〉したところでなんの問題も無いでしょう。しかし、ロビン・ワードは覆面歌手の宿命として、テレビ出演やコンサートなど、他人目に触れる活動はいっさい叶わず、やがてこの世界から人知れず姿を消したのです───この素晴らしい歌声だけを残して


8月31日(月) 君の声に恋してる 〜ロビン・ワード/ジャッキー・ワード(2)

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もう少しだけジャッキー・ワードの活動をフォローします。

1960年代、人気アイドルたちが主演して、若者向けの青春映画がハリウッドで量産されましたが、歌があまり得意でない女優のために、ジャッキーさんは歌声を吹き替えています(いわゆる『あまちゃん』の春子さん状態)

たとえばこのフランキー・アヴァロン、アネットらが出演した青春映画『ビンゴ・パーティ(Beach Blanket Bingo)』(1965年)に登場するリンダ・エヴァンスの歌唱シーンですが、実際はジャッキーさんの歌です。

こちらはブレイク・エドワーズ監督『グレイトレース』(1965年)のナタリー・ウッドの歌唱シーン

この動画を上げた人のメモによれば、ナタリーがうまく歌えていないわずかな部分だけを、ジャッキーの歌声で補っているんだそうです。

一番わかり易いのは冒頭部分で、歌いだしの「They Say」の2語はジャッキーが、そのあとの「There's a Tree」で、すぐにナタリー・ウッドの声に変わります(ヘッドホン推奨)。

ナタリー・ウッドを一躍有名にした『ウエスト・サイド物語』も彼女の歌はすべてマーニ・ニクソンという歌手による吹き替えられていました。マーニはオードリー・ヘップバーンやデボラ・カーなど、有名女優のゴーストシンガーも務めたことで有名な人です。

上のリンダ・エヴァンスのように、全部差し替えたほうが簡単でしょうが、ナタリー・ウッドは自分の歌に相当自信があったようで、『ウエスト・サイド物語』の件もかなり不本意だったのだと思います。それでおそらくこういう手間のかかる方法が取られたのだと推測します。

おもしろいところでは、あの『ロシュフォールの恋人』の英語吹き替え版というのがあり、ジャッキーさんはカトリーヌ・ドヌーヴの歌を吹き替えています。ちなみにフランソワーズ・ドルレアックの方はスー・アレン……この人もジャッキーさんに負けず劣らず、セッションシンガーとして素晴らしい仕事を残してきた歌手が歌っています。

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60年代後半、ジャッキーはアニタ・カー・シンガーズに加入し、数々のレコーディングやコンサート活動に盛を出します。黒髪の女性がジャッキーで、ブロンドの女性がリーダーのアニタ・カーです。


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ディスクガイド『モンド・ミュージック』や『サバービア』にも掲載され、日本でも非常に人気のあるアニタ・カー・シンガーズの『リフレクト』(バカラック/ハル・デイヴィッド作品のカヴァーアルバム)。この作品にもジャッキーはメンバーとして参加しています。しかし、ジャケットにはアニタだけが写っていて、ジャッキーの姿はどこにも掲載されていません。

これはオランダのテレビ番組に出演したアニタ・カー・シンガーズ。司会者と観客に即興で歌のご挨拶……といったところでしょうか。

アニタ・カー・シンガーズ時代はジャッキーが一人のシンガーとして、〈顔出し〉で活躍できた時期ですが、5年ほど活動した後、アニタがご主人の故郷であるスイスに移住し、ジャッキーは脱退を余儀なくされました。*1

*1 グループそのものはアニタの欧州移住後も、イギリスでメンバーを集めて存続され、アルバムも何枚かリリースされています。


アニタ・カー・シンガーズを抜けた後、アレンジャー/トロンボーン奏者のレイ・コニフが率いていたレイ・コニフ・シンガーズにジャッキーは参加します。

これは1976年に発表されたレイ・コニフ・シンガーズ『After the Lovin'』のレコーディング風景を収めた動画。右から2番目がジャッキーで、当時42歳。いくらか年齢は重ねていますが、とてもチャーミングですよね。

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こうして彼女が参加した音楽作品(CMやテレビ番組のテーマ曲などを含む)は60年代〜70年代にかけての10年間だけで数百曲に及ぶそうです。また、大人気テレビドラマ『パートリッジ・ファミリー』(夫を亡くした母親を助けるべく、5人の子供たちがバンドを結成して活動する)に登場するコーラスグループの一員として、ジャッキーも参加しています。

最後に、ジャッキーのオリジナルキーに合わせてピッチを元の高さに戻した正調「ワンダフル・サマー」を聴いてみてください

この歌声のように素敵な夏なら永遠に終わって欲しくないなあと思います。


9月1日(火) WHO ARE THE BRAIN POLICE?

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最近、自宅のテレビを新調して映画三昧している友人から、アマゾン・プライムで1日に5本映画を見た───という話を聞きました。

どんな作品を見たのか尋ねてみると、まず『スポットライト 世紀のスクープ』と『奇蹟がくれた数式』の海外実話モノ2本、そして中島哲也の『来る』(友人曰く「駄作! 俳優の無駄づかい!」)まではスルスルと作品名が出たものの、残りの2本はなかなか思い出せない様子。

ぼく「ヒントはない? 誰が出てたとか」
友人「一本はキアヌ・リーブスが主演だった」
ぼく「いっぱいありすぎだよ。もっとヒントちょうだい」
友人「アクションっていうか、サスペンスっていうか」
ぼく「絞りきれないなぁ。もう一本は?」
友人「あの人が出てたよ、えーっと、『羊たちの沈黙』の───」
ぼく「ジョディ・フォスター?」
友人「肉を食べる方のおじさん」
ぼく「アンソニー・ホプキンスね(笑)」


しばらくああでもないこうでもないと言ってるうちに、友人はこんなことを言いました。

友人「たしか《頭脳警察》とかそんなタイトルだった気がする」
ぼく「どっちが?」
友人「両方とも」
ぼく「両方とも⁉」


脳細胞の力だけで思い出すのは諦め、ぼくはポケットから便利板(スマホ)を取り出し、アプリを立ち上げて、アマゾン・プライムで今、見ることができるキアヌ・リーブスの出演作をチェックしました。

ぼく「この『フェイクシティ』ってやつかなあ?」
友人「(ぼくの便利板を取り上げて『フェイクシティ』の解説を読む)《「LAコンフィデンシャル」以来の衝撃。キアヌが挑むクライムアクション。最後に頼れるのは魂か、弾丸か》って内容のことがぜんぜん具体的に書いてないね。でも、たぶんこれだと思う」


実際『フェイクシティ』でキアヌが演じているのは、ロス市警の警察官です。

ぼく「アンソニー・ホプキンスが出てる作品はこんな感じだよ」
友人「(ふたたび、ぼくの便利板を取り上げてリストを眺める)あっ、これだ、『ブレインゲーム』」

なるほどふたつミックスすると、たしかに《頭脳警察》です。うまいこと混ざったもんだ、と思わず爆笑してしまいました。

ぼく「で、結局この2本は面白かったの?」
友人「うーん、面白かったような気もするけど、ほとんど覚えてない」

1日に5本も映画を見ると感想もタイトルも混ざってしまうので、程々にしたほうが良さそうです。


9月2日(水) BURNING

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小説をもとに映画を作るとき、どこかに原作よりすぐれた部分がなければ、わざわざお金や手間をかける〈必然性〉はありません

その点で『バーニング 劇場版』のヒロインを演じたチョン・ジョンソは素晴らしい。映画の中盤、夕闇の中で裸で踊る彼女の姿を捉えた長回しはため息が出るほど美しかったし、小説にも登場する「蜜柑むき」のエピソード───パントマイムを習っている「彼女」が、鉢の中に山盛りある蜜柑からひとつ取りあげ、皮をむき、口のなかに放り込む───もちろんそこに本物の蜜柑はない───を主人公の前で実演する居酒屋の場面は、他のどんなシーンよりもサスペンスフル

原作の中では名前さえ持たない「彼女」というキャラクターに、映画やテレビへの出演経験がいっさいなかったというチョン・ジョンソが体温や血肉を与えていました。彼女の存在そのものが村上春樹の「納屋を焼く」を『バーニング』という映画にする最大の〈必然性〉に見えました。

「君にはどうも才能があるようだな」と僕は言った。
「あら、こんなの簡単よ。才能でもなんでもないのよ。要するにね、そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ」
「まるで禅だね」
僕はそれで彼女が気にいった。

村上春樹「納屋を焼く」より

韓国の俳優たちは『バーニング』や『パラサイト』のようなシリアスな映画にしろ、『愛の不時着』とか『梨泰院クラス』のようなエンターテインメント色の強いドラマにせよ、まるで「蜜柑むき」同様に、自分の演じるキャラクターが現実に存在しないことを、観客が忘れてしまうことに全エネルギーを注いでいるような気がします。

演技だけでなく、整形手術で外見を整えること、男女問わず目のまわりを赤くぼかす、歌舞伎や浄瑠璃などに通じる不思議なメイクも、「どこかにいそうな誰か」に近づけるのではなく「どこにもいそうにない誰か」という存在であるための道具なのかもしれません。

観察可能な事象より、観察不可能な事象のほうに現実感がある───目の前に実在している誰かより、不在になることでかえって誰かのことが気になって仕方なくなってしまう───これは原作の「納屋を焼く」でも語られ、また村上春樹の小説世界で再三テーマになってきたことでもあります。*1

*1 賢明な読者の方ならすでにお気づきかと思いますが、これは日曜と月曜に書いたロビン・ワード/ジャッキー・ワードにも繋がるテーマです。

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ところで、この作品はNHKがアジアの映画監督に村上春樹の短編を原作とする映像作品を撮らせる───というプロジェクトからスタートしています。そういう経緯があったので、劇場版に先立つかたちで、2018年年末にNHKの地上波で95分の短縮版がドラマとして放映されました。

ドラマ版『バーニング』は、ちょうど原作の結末にあたるところで切られていたので、映画だけの脚色として、1時間以上の要素が追加されることに警戒心を覚えたのも事実です。今回、劇場版を見て、監督/脚本のイ・チャンドンが付け加えたストーリーや結末について、特に原作ファンの評価は非常にハッキリ分かれると思いますが、ぼくとしてはアリでした。


9月3日(木) BURNING DOWN THE HOUSE

バーニングと言えば───デヴィッド・バーンが若き日に自分が制作したある映像について、ツイッターで謝罪していました。

事の顛末を説明すると───1984年、デヴィッドがトーキング・ヘッズ時代に自らがディレクションして作った一人二役コント風の映像で、自分自身にインタビューする黒人キャラクターを演じた際、顔を黒塗り(=ブラックフェイス)していたことを、最近あるジャーナリストから指摘されて、大きく炎上(バーニング)する前に進んで事実を公表し、許しを求めたのです。

デヴィッド・バーンやトーキング・ヘッズのことをよく知る人にとれば、35年以上前に作られたこの映像が、デヴィッドのレイシズムの産物ではないことはすぐに理解できるでしょうし、目くじらを立てる人はそう多くないはずです。しかし、デヴィッドに何百人の黒人の友だちがいようとも、彼が運営しているレーベル「ルアカ・バップ」から、アフリカ系やブラジル系の黒人アーティストの作品が何十枚リリースされていようとも、顔面を黒塗りした映像作品がたったひとつあったというだけで、批判の対象とみなす人々もまた大勢いるのだと思います。

特に彼が、ここ数年ブロードウェイで取り組んできたコンサートプロジェクト『David Byrne’s American Utopia』を、スパイク・リーが今年映像化したこともあって、より慎重に対応せざるをえなかった───という事情もあるかもしれません。

いずれにせよ、ブラックフェイスにかぎらず、自分が行なったポリティカル・コレクトネスに反する表現に対し、表現者はどこまで過去に遡って責任を負うべきなのか……と考えることがあります。

例えばこれがもし書籍なら「執筆当時の時代背景と作品の文化的価値に鑑みて、そのままの表現とした」といったエクスキューズ付きでそのまま出版されていることが多いです。なんとなく不公平な気もしますね。

しかし、デヴィッドは彼に指摘をしたり批判を向けた人々に対して、篤い感謝を伝えたうえで、こんな願望を最後に綴っています。

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《誰もが成長することができ、また変わることができるということ、そして誠実さと自らの責任をもって、過去の自分のあやまちをいま一度検証することができるよう、みなさま方がわたしのような人間に対して、思いやりの心と共感を持っていただいていることを切に願っています》

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ポリティカリー・コレクトネスについては、先週のnoteに投稿した『ベスト・キッド』の続編ドラマ『コブラ会』についての記事でも触れたのですが、主役のジョニー率いる空手道場「コブラ会」のモットーは───

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《STRIKE FIRST(先に攻撃せよ)、STRIKE HARD(こてんぱんにやれ)、NO MERCY(相手に慈悲をかけるな)》

───と、好戦的で、野蛮で、前時代的です。

現代っ子ばかりの新生「コブラ会」の生徒からも、師範代のジョニーは「センセイ、これってポリティカル・コレクトに反するんじゃないですか?」なんてたびたび責められたりします。

ジョニーも若かりし日、この道場で鍛えられる中、誰よりもこのモットーに苦しめられ、あわや人生を棒に振りかけました。

だからこそ彼は、自分の再起を道場の復活に掛けるのと同時に、かつての自分のように不幸な弟子が出ないよう、今の時代にあわせた運営方針を不器用に模索していきます。

そのいっぽうでジョニーはこのモットーを掲げ続けることをやめません。誰かに咎められたからといって、壁から消してしまったり、修正を加えたりしないのです(どこかの国の政府や官僚たちとは大違いですね)

彼は批判されることで、このモットーにさらに向き合い、言葉のなかに潜む良き側面をなんとか見つけ出そうともがき続けるのです。

「コブラ会」というドラマが不思議とぼくらを感動させるのは、さっき引用したデヴィッド・バーンのツイートとも共通する「自らが犯した過去のあやまちへの償いはどうあるべきか」という要素が、物語の通奏低音になっているからです。

───そういえば今、気づきましたが、デヴィッド・バーンの映像も『ベスト・キッド』も同じ1984年の作品ですね。*1

*1 1984年にリリースされた音楽作品、公開された映画、放映されたテレビ、出版された書籍やマンガを聞いたり、観たり、読み直したり、考えたりするだけで、この先ずっと生きていけるんじゃないか、と思っているほど、ぼくにとって重要な年です。


9月4日(金) TRINITY

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昨日・今日で観た映画3本(『奇蹟がくれた数式』『僕と世界の方程式』『彼と彼女のセオリー』)のすべてにケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジが登場しました。

トリニティ・カレッジの中庭(The Great Court)には、卒業生であるアイザック・ニュートンが万有引力を発見したきっかけの、人類史上、最も有名な林檎の樹も生えています。イギリスに行ったら、一度は訪れてみたい場所のひとつです。The Great Courtが出てくる映画でぼくがいちばん印象深いのは『炎のランナー』です。

で、これらのことを総合してひとつ言えるのは、ケンブリッジ大学は映画の撮影にとても協力的、ということですね。


9月5日(土) サンダーキャットの母

サンダーキャットが音楽一家の出身ということはなんとなく知ってましたが、お母さんまで現役のミュージシャンなのは知りませんでした。

(文字どおり)サンダーキャットの産みの親であるパメラ・D・ブルーナー(=Pamela D. Bruner)はフルート奏者。先月25日にリリースされたばかりの最新シングル「クリスティーン」も、次男であるステファン "サンダーキャット" ブルナーとの共作です。

ベースはもちろんサンダーキャット、ドラムはパメラのご主人であり、サンダーキャットの父であるロナルド・ブルーナー・シニアが叩いています。

ちなみに長男のロナルド・ブルーナー・ジュニアジャズ界のレジェンドから最尖端のアーティストにまで、引く手あまたのドラマーです。プリンス、ケンドリック・ラマー、カマシ・ワシントン、スティーヴィー・ワンダー、ウェイン・ショーターといった錚々たるメンツとの共演歴があります。

2017年にリーダーアルバム「トライアンフ」もリリースしていて、弟との共演曲「Take The Time」も収録されています。

どんなスピードでもドラミングはタイトで正確無比、そして圧倒的な手数は、やっぱりサンダーキャットの兄。

日本にも音楽一家と称される人たちはチラホラいますけど、このレベルの優秀な演奏家が揃ってる家族は皆無でしょう。もちろん海外にだって稀有だと思うし、それゆえこのサンダーキャットの母ちゃんのことはとても気になります。息子たちになに食わせて、どう育てたんだろう? と。今度は音楽作品じゃなくて、育児本を出せばもっと売れると思います。

その名も『サンダーキャットの母の育児教室』ね。ん? どこかで聞いたような……。


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