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THINK TWICE 20200726-0801

7月26日(日) GO TO

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 仕事で松山〜広島を車で往復する友達が見つかり、広島市現代美術館に駆けつけることができました。

 玄関では厳重な検温体制が取られ、関連イヴェントは軒並み中止。
 展覧会の最終日なのに図録が完成していなかったり───と、美術館側の混乱もいろいろ生じてました。お客さんもまばら。仕方ないですね。

 書籍や写真などの資料展示が中心だったこともあり、式場さんについて予備知識のなかった同行の友は、点と点がうまく繋がらず、だいぶ首をひねっていましたが、本物の山下清(式場がプロデュースして展覧会を開くなど、多方面にサポート)の貼り絵や水彩画の迫力に、子供の頃によく見ていたドラマ「裸の大将」で植え付けられた先入観を(良い意味で)払拭されたし、精神障害を持つ患者が作った100年前のコラージュに心を掴まれたり、これまた式場さんプロデュースで作られた、ゴッホ浴衣、ゴッホワンピース、ゴッホ法被のモダンさにはかなりの衝撃(笑撃)を受けました。

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 特に解説には書いてなかったけど、これも式場さんの盟友、芹沢銈介さんのデザインかもしれません。

 行き帰りの山陽道、しまなみ海道、各地のサービスエリアなども、意外やずいぶん閑散としていました。そのわりに広島の中心街は4連休の最終日ということもあってかなりの人出で驚きましたが、その賑わいにはどことなくカラッとしていません。マスクの着用率も高く、口元だけでなく心にも薄くベールを纏っているような、やはりちょっと不思議な雰囲気です。東京や大阪の街もこんな感じなのかなあ。

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 食事メモ───朝9時半に広島に着き、そのまま仕事に向かった友人と別れ、たまたま入ったコーヒースタンド「Obscura Coffee Roaster Hondori」のかわいらしい女性スタッフと雑談してる中で「いろいろな店で食べてるんですが、結局ここに落ち着いちゃうんですよね」と、オススメされたお好み焼き「みつ」でお昼を食べました。

https://tabelog.com/hiroshima/A3401/A340119/34002795/


 旅先の「密」はなるたけ避けるつもりだったけれど、この「みつ」を避けるのは難しかったな。そばや豚の焼き加減がカリッとしていて最高でした。美味しかったです、とても。

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 おまけ:「本と自由」に立ち寄った流れで見かけたブレードランナーっぽい餃子屋さん。

 よくよく考えると、コロナ禍になってから……というより、今年に入ってから初めて四国の外に出たんだな。次はいつになるだろう。


7月27日(月) CAMERA CAMERA CAMERA

 せっかくもらった給付金も、ちゃんと使わなければ税金に持っていかれてしまうし(どういうシステム?)せっかくなのでカメラを新しく買おうと検討しています。

 と言っても、仕事で使っているキャノンの一眼レフも、スナップ用に持ち歩くミラーレスも、別にどこか壊れたわけではなく、スチルを撮影するくらいなら、しばらくは問題なく使えるはず。
 ただですね、そのカメラは2台とも写真好きの父の持ち物なんです。レンズは自分好みの単焦点レンズなどを買い足しているんだけど、ボディを何年も借りっぱなしというのは少々気になっていたんですよね。

 第一候補はせっかく揃えたレンズが引き継げるキャノン。でも、さっき書いたように、別にどこかがおかしくなったわけじゃないので使えるっちゃ使える。そんなわけで新しいメーカーのカメラをつい試したくなるけど、的が多過ぎて絞れない(カメラだけに)。 

 これは、と思った実機をカメラ屋で触ったりしていますが、どんなメーカーのどんな機種にも長短があって悩ましい。パソコンやスマホのように、アップル製品以外を選択する可能性が無いのは、めちゃくちゃ楽。

 ソニー、パナソニック、富士フィルム、オリンパス、ニコン、リコー、ライカ。一眼レフにするか、ミラーレスにするか……いったいみんなどういうふうにして絞り込んでるんだろうか(カメラだけに)。

 二十代から三十代の頃は、ちょっと高額な買い物でも失敗を恐れず、思い切って買っていたような気がします。
 むかしは実際の使い勝手を購入前に知ることがものすごく難しかったわけです。せいぜい店員にアドバイスをもらえるくらいで、ネット経由で購入者の口コミを見るなんてできなかったですからね。

 ひと夏のバイト代を全部つぎ込んで思い切って買ったのはいいけれど、使いこなせなかったり、求めてたものとイメージが違ったりして、結局、売り払ったり、物置にしまいっぱなしになった機材もけっこうありました。*1

*1 それらが今、メルカリなどでけっこうな金額で売れたりするから、捨てたもんじゃないですね。

 どんなメーカーの、どんなボディー、どんなレンズでもそこそこ使えるのはわかってる。でも、検討の材料が集まれば集まるほど、もはや何にこだわっていいのかさえよくわからなくなってくる。

 で、それを多分、人は「老化」と呼ぶ。

 余談ですが、今、地方のカメラ屋さんはだいたいどこをのぞいても閑散としていて、店員さんも手持ち無沙汰にしています。そんなところにノコノコ現れると、嫌でも接客のターゲットになってしまいます。

 こないだもある店で、けっこうなおばあさんがキャノンの高級一眼レフを目の前に何台も並べられ、店員さんから説明を受けていました。
 「ああ、気の毒に。余計なものを買わされなきゃいいがなあ……」と心配していたのですが、会話がふと耳に入ると「このレンズのf値はなんぼ?」とおばあさんが質問していました。完全にぼくの杞憂だったのです。


7月28日(火) 裸の大将

 先日の式場隆三郎展の会場で、目録の代わりにミュージアムショップに平積みされていた本が気になったのですが、たいへん高価だったので地元の図書館で借りてきました。それがこれ。

 かんたんに説明すると───山下清がいつ、誰に、どのような形で発見され、どう評価されていたのか、あるいは批判されていたか、という事実を丹念に追うことから、昭和の美術史の変遷、そして日本の福祉史を検証するという本です。

 山下清を芦屋雁之助が演じた人気ドラマシリーズ『裸の大将放浪記』がスタートしたのは1980年のこと。ぼくが11歳のときでした。

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 この写真だけで十分面白いですね。左が芦屋雁之助さん、右は小林亜星さんです。たしかこの回は亜星さんがニセモノの山下清で人を騙して各地でタダ飯を食らってる───みたいな話だったと記憶してます。

 日曜の夜9時からフジテレビ系でやっていた「花王名人劇場」*1 の枠内で変則的に放送され、家族揃って欠かさず見ていました。

*1 花王の一社提供でやっていたバラエティ。漫才ブームの引き金になったのもこの番組で、ダウンタウンをぼくが初めて見たのも名人劇場でした。演芸だけでなく、「裸の大将」のようなドラマも放送されていました。

 座頭市やコブラのように、身体的な欠損を持ったキャラクターが人気になることはあっても、軽度の知的障害をもった、放浪癖のある中年のおじさんが国民的ヒーローになるというのは後にも先にもきわめて稀なことでしょう。小学生だったぼくも、よく学校で友達と山下清の言葉遣い(吃音)の真似をして笑い合ってたんだから、今にして思えばおおらかですよね。

 それともあの頃、例えば、清の遺族や福祉関係者といった人たちの中に、「描き方に問題がある」「差別的だ」と怒りの声を上げていた人はいたんでしょうか。そういう疑問に関する答えも、この本の中に出てくるかもしれません。


7月29日(水) 山下清と『シングル・マン』

 『山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて―』はまだ序盤の、式場と山下清が出会う前のエピソードを読んでいます。

 養護学校(八幡学園)の教育方針で貼り絵を清が始めたところ、すぐに頭角を現し、早稲田大学の教育心理学の教授の目に留まります。

 その名は戸川行男。

 戸川の尽力で、大学の講堂を使って展覧会が開催され、清の絵の才能に注目が集まったことが、彼の名を世間に轟すきっかけとなったそうです。

 ここで話を日曜の広島行きに巻き戻します。

 その日、広島に行く第一の目的は現代美術館だったのですが、実は第二の目的がありました。

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 RCサクセションが1976年にリリースした『シングルマン』というアルバム。そのジャケットを飾っている不思議な絵が、子供の精神的な成長度を測るために使われる『児童絵画統覚検査』という本に収められています。

 何かの機会にふと思い出しては、その本を探していて、それが今回、広島の古書店の在庫で見つかったのです。
 もちろん通販でもいいのですが、そうした本を取り寄せて、目当ての図版だけ欠けているとか、汚れたり破れていた───なんてことが、これまでも多々あり、実際にこの目で確かめられるなら、それに越したことはありません。店頭で現物をチェックして、納得の行くコンディションなら買って帰ろうと考えていたのです。

 で、さっそく古書店に連絡してみたのですが、ぼくが広島に行くことになっていた日曜日と店の定休日がバッティング。目的は果たせませんでした。

 実はこの『児童絵画統覚検査』の著者こそ戸川行男だったんです。まったく関係のなかった2つの「用事」が結局くっついていたなんてまったく出来すぎですが、こういうことがぼくの生活の中にはわりとよくあります。みなさんはどうですか?


7月30日(木) THINK TWICE RADIO VOL.4


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 思い立って、ひさしぶりにラジオを作ることにしました。
 4回目用に予定していた企画を諸事情により保留し、新譜を中心にしたレギュラープログラムでいくことに。午前中に選曲&資料をまとめて、昼ごはんのあとにトークパートを収録して、午後に編集して夕方にアップ。
 なかなかのスピード感。

 今回のプレイリストはこんな感じでした。

<おすすめの新譜コーナー>
Sofie - Baby
TheSecondSex - Angel Baby
JW Francis - New York
Summer Salt - Get on Back to You

<PJN>
Peter Green - Proud Pint
Khruangbin - Connaissais de Face
Amo Amo -Meteor Martyr
Talking Heads - Once In A Lifetime

<お別れにまた新譜>
Dept - แค่วันพรุ่งนี้ที่ไม่มีเรา

PJNというのは「パクリじゃないよ」の略です。


7月31日(金) 秋葉原の思い出

 このあいだカメラの話を書いていて、ひと昔前の秋葉原でよく見かけた「チラシ屋」さんのことを思い出しました。

 誰かがどこかでもっと詳しく書いているかもしれませんが、ぼくはいちどもその事に触れたブログや記事などを読んだことはないので、備忘録のつもりで書いておきます。

 それはぼくが大学に入学してすぐの頃、つまり昭和から平成に切り替わる時期の秋葉原の思い出です。

 ヨドバシカメラ、ビックカメラ、カメラのさくらや、カメラのドイ(うしろふたつは2000年に入って倒産)といった大型カメラ店が新宿、池袋、渋谷といった街にあって、特に新宿西口は「新宿カメラ戦争」と呼ばれていたくらい、大型店が狭いエリアに乱立して、しのぎを削っていました。
 そういったお店では、店員との交渉次第で店頭価格より値引きしてもらえたり、ポイントを多めに還元してもらえたり、おまけを付けてもらえたり───といったことをしてもらえるのですが、交渉そのものが面倒。

 で、もっと手っ取り早く安く買えると評判だったのが、秋葉原にいた「チラシ屋」(あるいは「カタログ屋」だったかも)でした。

 今から約30年前───JR秋葉原駅の電気街口(ラジオ会館などがある方)を出たあたりに、ジャンパーやウィンドブレイカー姿のおじさんがたむろしていて、チラシを片手に電車から降りてくる人たちを待ち受けています。

 欲しい物がすでに決まってる場合、おじさんに商品のカタログを見せるか、または型番を伝えます。生活家電が得意なおじさん、オーディオが得意なおじさんなど、得意とするテリトリーがあったように記憶しますが、とにかくおじさんに導かれて「店」に連れて行かれます。

 お店と言ってもそこは裏道にある倉庫のような場所。商品は箱に入ったまま山積みされているだけで陳列はされていません。在庫のある商品はその場で買っていくこともできますが、置いてなくても(ほとんどの場合、無い)どこかに手配して後日宅配されてきました。
 支払いは現金一括がもちろん安いのですが、ローンも組めました。

 こんなふうに書くといかがわしくて、いかにも偽物を売りつけられそうな感じがするかもしれませんが、そんなことはなくて「チラシ屋」さんでローンを組んで購入したターンテーブル(SL-1200mkII)は、30年以上経った今も現役で使っています。

 萌えアニメとメイドさんの街にすっかり変わってしまった秋葉原ですが、その頃は家電やオーディオの安売りを中心に、あらゆる電気部品を網羅したラジオセンターに代表される、マニアックなショップがいろいろとありました。

 特にぼくが通っていたのは「オークビレッジ」というお店です。昭和通り沿いにあった古い雑居ビルの中にあって、当時は非常に珍しかった輸入ゲームやコンピュータの専門店でした。
 IBM、マッキントッシュ、アミーガなどのハードウェアやソフトウェアが狭い店内にぎっしりと展示されていて、買えもしないのにデモ機を触りによく訪れていました。

 アミーガというのはアメリカ・コモドール社製のコンピュータで、もともとコモドールがゲーム会社だということもあり、グラフィックや映像、音楽制作に特化したハードでした。フジテレビの伝説的子供番組「ウゴウゴルーガ」のCG制作に使われていたことで一部に有名です。


 月曜日の日記に書いた、ひと夏のバイト代をつぎ込んで買ってはみたが手に余ったもの───というもののひとつが、実はこのアミーガでした。

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 ぼくが購入したのはAmiga2000という機種で、当時、最高スペックのハードでした。本体やモニターなどを合計して30万か40万円くらいしたように記憶しています。
 本当はそれに加えて「Video Toaster」という映像制作アプリケーションが欲しかったのですが、それは先程の本体価格と同額か、それ以上の価格だったので、あとふた夏くらい棒に振らなければ買えませんでした。

 日本語のマニュアルも付いてはいましたが、周囲にアミーガを使っている人なんて皆無だったので、つっこんだ使い方もわからず、手に余るのは時間の問題でした。
 そこから詳しい人を探していろいろ教授してもらうとか、わからないことを自力で調べるガッツがあれば、その後の人生もずいぶん変わったでしょうが、ぼくが選んだ道はせっかく買ったコンピュータをもういっぺん箱に戻して、押入れにしまうことでした。


8月1日(土) 続・秋葉原の思い出

 チラシ屋さんに混じって、珍妙な掛け声を通りかかる人たちに発しながら、呼び込みをする若者たちが秋葉原の裏通りに出現したのは、90年代のはじめ頃でした。

 彼らが扱っていた商品はWindows以前によく使われていたDOS/VというOSが走るパソコンです。

 若者たちの正体はオウム真理教。オウムは当時、秋葉原で「マハーポーシャ」というパソコンショップを経営していたのです。

「DOS/Vハット」と称するPCを模した帽子をかぶった信者による派手なビラ配りが知られ、ビラは「マハーポーシャ新聞」などと称されていた。数人で組になり、「DOS/Vパソコンが」(リーダー)「激安だー」(全員)、あるいは「激安激安」(リーダー)「激安だー」(全員)という独特のリズムの掛け声とともにお辞儀をしながらビラを配る

Wikipediaより

 帽子のほか、「マハーポーシャ」のロゴが入ったおそろいのトレーナーやジャンパー姿で派手な宣伝を繰り広げていた彼ら。オウム信者であることをとりわけ喧伝していたわけじゃないのに、その特徴的な店名や彼らのふるまいから「あれはきっとオウムだな」と、当時の秋葉原にいた人たちなら、みんな直感的に気がついていたはずです。

 今ではオウムが引き起こした様々な事実が明るみに出て、そのフィルター抜きに彼らの存在を見ることができないけれど、少なくとも1995年の地下鉄サリン事件までは、彼らが宗教法人の傘の中で起こしていた暴力的な事件もまだ、多くは疑念でしかありませんでした。

 麻原たちが衆議院選挙へ出馬したのが1990年ですが、少なくともそのあたりまでは、サマナを着た彼らを繁華街で見かけても、そこまで特別、危険な存在としてみなしていなかった───むしろ、20世紀末に次々と出現した新宗教(幸福の科学、法の華三法行、パナウェーブ研究所……)同様、イジリがいのある、奇妙でユニークな存在としてメディアにも毎日のように取り上げられていました。

 上のニュース映像がいつ放送されたものか正確にはわかりませんが、ぼくが働いていた高円寺のレコード店の近くにも、映像に出てくるオウム経営のラーメン店「うまかろう安かろう亭」や訓練施設(サティアン)はありました。

 ぼくは一度も足を踏み入れたことはなかったけれど、好奇心旺盛な友人が「うまかろう〜」で食事したついでに、教団の本やカセットテープを買い込んで持ってきてくれたことがありました。店のカセットデッキでそれを流していると、たまたま来店したお客さんがなんともいえない表情───怒るでもなく笑うでもない、困惑した顔つきをしていたことを思い出します。

 この店もひょっとして? なんて考えていたのかもしれませんね。

 ヨガサークルを出発点とするオウム真理教は、かの有名な麻原彰晃の「空中浮遊」などのスチル写真が『ムー』に取り上げられて、まずそういった雑誌の愛読者から注目されました。

 サマナやクルタと呼ばれる衣服や、選挙活動のときに信者がかぶっていた象の帽子や麻原マスク、マハーポーシャのDOS/Vキャップ、電極の付いたヘッドギアなど、彼らは制服、仮面、帽子などを好んで着用しました。それを身につけることで俗世から切り離され、別の世界に帰依する───コスプレに似た感覚を引き起こしていたのかな、と想像します。

 また、どこまで計算で、どこまでが偶然だったかわからないけれど、信者獲得や資金集めのためにオウムが利用したもの───SF的な制服、パソコンやラーメン、これらはどれも実用だけではなくサブカルチャー的な側面を持ったアイテムです。そういう匂いをもった宗教団体というのは、おそらくオウム真理教が世界初だったでしょうね。

 そういえば当時(1995年)太田出版からこういう本も出てました。プランク(椹木野衣+木村重樹)が責任編集で、執筆者が岡田斗司夫、中原昌也、福田和也、根本敬、宇川直宏、伊藤ガビン、村上隆などなど、興味深いメンバーが揃っています。ぼくも買った記憶はあるのですが、もう手元には残していません。

 同時期に出たクイックジャパンの第3号もテーマは「ぼくたちのハルマゲドン〜マンガで読む“最終戦争”完全カタログ /『マンガ家とハルマゲドン』」ですからね。少なくとも当時のサブカルチャー界隈にいた「おたく」を自認する人々にとって、「ひょっとしたら自分がそうであってもおかしくなかった」存在としてオウムは認知されていた、とまぎれもなく思います。

正論vs正論もしくは妄想vs妄想、これがこの本のテーマです。みんな自分が正しいと主張することだらけですから簡単に答えは出ません。一方は「君、それ間違っている」といい、又一方で「君こそそんなことは妄想に過ぎない」なんて言ってるのだから大変です。ですからこの一冊で「いろいろな人がいろいろなことを考えているのが重要だね」と言うことを実感してもらえたら幸いです。(『ジ・オウム』プランク連名のまえがき)

 1995年から四半世紀経過した今もなお、SNS上では〈正論vs正論もしくは妄想vs妄想〉の戦いが際限なく続いています。となると、この先に待っているのはネクスト・オウムの登場でしょうか?

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 なお「マハーポーシャ」についてより詳しい記事を見つけました。当時、彼らが販売していたパソコンのスペック解析、また配っていたチラシなども掲載されてます。参考までに。


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