【短編小説】ハートフル保険
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません
毎日、白シャツが汗でべたっと背中に張り付く中学2年の夏。
健太郎、望、康平の3人は駅前のショッピングモールにあるフードコートで真剣な話をしていた。
「実は俺の母親が保険の営業をしているんだ。
小学生の頃はよく俺が留守番を嫌がったせいで、何度か営業周りに連れて行かれたことがあってさ。中学になってからも保険の内容について詳しく説明されたりするんだ…」と脈略無く保険の話をし始める健太郎。
カラン、とコーラの入ったグラスの中で氷が水泡に馴染んでいく。
望と康平は「なんの話?」という風に首を傾げるが、健太郎はそのまま言葉を続けた。
「保険の商品にはいろんなものがあって、契約内容にもたくさんの複雑な項目があるんだけど、聞いているうちにおかしな感覚になってくるんだよ…。まるでたくさんお金をかければ事故も病気も怪我も起きないんじゃないかって感じにさ。でも、どんな特約をつけてもそれを予防することにはならないし、あくまでも発生した後で事故や怪我とまったく関係のないお金で補うものなんだよな…」
「そりゃあそうだろ」と康平が相槌を打つ。
望は険しい表情で健太郎の顔をじっと見ている。
「母親はいつも『保険に入っておいた方が安心だ』とか言うんだけど、どこが安心なんだよって俺は思うんだ…」
「回りくどい。それが先週私がした告白への返事なんですか?」と望が話を止める。
すると、それに頷く健太郎。
康平は健太郎のその反応を見て「は?」と意味がわからず困惑した。
「つまり、あなたの言い分を整理すると…」と望が健太郎の会話の要約を始める。
「私自身は保険商品のようなもので、告白はその商品説明であり、告白への了承はまさに保険契約の締結だと?」
健太郎は頷き、康平は固まる。
「保険契約なんて無駄。だから告白も無駄ということですか?」と望が健太郎に確認をすると、「うん」と健太郎は躊躇なく肯定し話を引き取る。
「君の告白を受け入れることは、当然別の女性の告白を受け入れないということだ。これは選択の自由を失うことになる。また、金銭面については折半するとしても、僕は君と過ごすことを優先しなくてはならないという時間的制約も受け入れざるをえない。そして最もやっかいなのは君のことで頭の中が侵食されるということだ。感情の起伏が激しくなり、冷静さを失い脳が思考停止につながる可能性もある」
「これらは来年受験生となる僕にとって大きなリスクとなるだろう。それを受け入れても余りあるメリットがこの告白、いや契約にあるのだろうかと僕は悩んでいるんだ」
望に話が通じたことで健太郎は包んでいたオブラートをすべて剥がし、持論をさらけ出した。
「契約ってお前なぁ…彼女は勇気を出して自分の気持ちをだな…」と康平は健太郎をなだめるが、健太郎の耳には入っていない様子。そこで康平は横でフリーズしていた望に耳打ちをする。
「望、もう辞めよう。言ったろ? こいつはこういうヤツなんだって。顔だけの変人なんだって…」
すると「ははは!」と望が突然笑い出した。
「あなたが自分のことしか考えてない最低な人ということがわかりました!」と言い、なお笑った。
その言葉に康平も「そうだ、そうだ!」と共感を示し、健太郎を責めるような仕草をする。
一方「それは良かった」とむしろ安堵する健太郎。望の反応は予想していたようで「それでは、この話は無かったことに…」とすぐに席を立とうと腰を上げる。
「待って!」
しかし、それを掌を広げ静止したのは、告白を無碍にされ、さっきまで笑っていた望だった。
「その上で言います。付き合ってください」
「…え?」と反応する健太郎と康平の二人。
今度は望が持論を打ち出した。
「私との契約期間は中学卒業の日までの2年弱。時間的拘束といっても期限付きであり、受験勉強では成績上位者である私が協力することで、効率を大幅に向上させることができます。これにより、あなたの成績は飛躍的に向上し、志望校へ合格する可能性も高まるでしょう。したがって、公私ともに充実した時間を過ごし、今後の学校生活が満ち足りたものになることをお約束できます!」
マシンガンのように突きつけられた条件提示に、今度は健太郎が想定外の返答に固まってしまう。一方、康平はまともだと思っていた望が変人の健太郎の話に乗ったことで、自分だけが別世界に取り残されたかのように感じていた。
そこへ立て直した健太郎が「充実しなかった場合は? どのくらいの金額で補償してくれるんだ?」と下世話な質問を躊躇なく投げかける。
それを即答で「お金なんてありません」と一蹴する望。
話にならない」と呆れる健太郎。
そこで望は立ち上がり言い放った。「この体で支払います」と。
そして自身の豊満な胸の上に手を添える。
「なに!?…ブッ」驚く健太郎は思わず鼻を抑え、近くのおしぼりですばやく拭った。白い布が少し赤く染まる。
「…か、体で払うというのか?…そ…それは…そんなことが…」と少し思い悩むような仕草を見せた健太郎だったが、唐突に糸が切れたように態度を変える。
「確かに魅力的な商品かもしれない…」
健太郎の思考が理性的なものから動物的なものへと置き換わったのは明らかだった。
変態健太郎が望に手を差し伸べ、「交渉成立ね」と望はその手を握り返す。
窓から入った西日により影をまとった二人のシルエットは、まるで国際サミットで拍手喝采の中、条約を締結した大統領たちのようだった。
「真面目そうな会話しておいて、結局下ネタかよ、おい…」
帰り道、電車のホームで方向が異なる健太郎を見送った望に、康平はボヤいた。
「どういう思考回路してんだよお前ら…」と康平が望を揶揄する。しかし、車窓の窓から外を眺める望の目は満足気だ。
「どうすんだよ、学校生活の充実なんて約束できるのかよ。第一、そんなのどうやって測るんだ? 健太郎が一方的に不満をもらして、わがまま言い放題になる未来しか見えねぇよ…」
康平が不満をにじませた質問を畳み掛けると、望が答えた。
「”付き合う”という商品の性質上、お互いの協力が不可欠です。健太郎くんの配慮が足りないとか、努力が感じられないとか何とか、こっちも感情には感情でごねればいいんです。どうにでもなります」
「お前もお前で、最低だなぁ…」と康平が呟くと、望は康平の方へ振り返って弁解をする。
「保険に詳しい彼なら、保険会社が支払いの時に渋ることなんて常識です」
望はそう言い終えてから”当然”という表情を作った。
「そうだとしても、お前、どうしてあんなヤツのことをそこまで…」と康平が聞くと、その言葉が言い終わらないうちに「顔」と望は即答し、「”学生時代、こんなカッコいい人と付き合ってました”が欲しいの、私」と言い切った。
唖然とする康平は望から目を逸らし、「あー、なんかお前ら、お似合いのカップルな気がしてきたわ…」と棒読みに呟く。
「私もそう思います。健太郎くんはまだ私の魅力がわかっていないようですけどね」と再び車窓へ向き直した望の目は、どこまでも自信満々だ。
既にどうでも良くなっていた康平だったが、ふと疑問に思ったことを望に聞いてみた。
「あ、でもさ、卒業の日? その…満期の時にはどうすんの?」
望は答える。
「この商品は”掛け捨て”です」
望は自分の胸に手を当てながら、いたずらっぽく笑った。