見出し画像

栗木京子の短歌

をり鶴のうなじこきりと折り曲げて風すきとほる窓辺にとばす

言われてみれば折り鶴は最後に首を折り曲げて顔をつくります。命を吹き込むのに首を折り曲げる。逆の動作です。うなじを折り曲げるってなかなか怖いし「こきりと」響きの軽さが怖い度を増しているように感じたんです。最初読んだとき。折り鶴が擬人化されてますからね。ところがさわやかな下句への展開、見事だなあと、栗木京子の一番好きな歌です。

もっとも有名なのはこちらではないでしょうか。

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生

「君には一日」って決めつけちゃうのはなんか悲しいなあって思うんです。君は逆に「あなたには一日かもしれないが、僕には一生の想い出です」と思ってるかもしれないじゃないですか? それとも、このように詠むってことは、観覧車に二人きりでいながら君はあまり楽しそうじゃなかったのでしょうか……。

若き日の恋。リズミカルで覚えやすく「ぜったい自分の方が好き度大きいよね、負けてるわ、あーあ」という誰しもが覚えのある切ない気持ちが織り込まれているのが愛唱歌たる所以でしょうか。でも私、これ、本当に栗木さんが詠んだの嘘でしょ!? って思ってしまうんです。栗木さんなら「あなたと観覧車、ご一緒しましたっけ? ごめんなさい、覚えてないわ」とバッサリ斬ってくれそうであり、それでこそ栗木京子、なんて思っちゃうんです。NHK短歌「短歌de胸キュン」にて芸能人に混じり気っ風のよい姉御肌なお話ぶりだった栗木さんを思い出すにつけて。加えて、塔短歌会のHPに掲載されている栗木さんの評論が読み応えありすぎなんです。


あまり感心しない歌集評として幾つか揚げられていますが、そのうち、

★作品を離れて自説を展開する
★褒めすぎる、批判しすぎる

批判しすぎるを除いて、思いっきり自分、抵触しています。栗木さんにバッサリ斬られて喜んでいる自分がいます。というのは冗談ですが、ここに揚げられた歌集評を私も目にしたことがあります。歌だけダーッと並べてあるのとか。これを読まれた作者はギャフンとなったのではないでしょうか。

自分が書いているのは評というより「感想」あるいは「妄想作文」ではありますが、栗木さんが仰ることは非常に深く胸に刺さったし、戒めになりました。「無理に褒めたり批判したりすると文章が下品になる。」、、、、、


米不足サンマは豊漁ちぐはぐの気候に憂ふサンマ定食  若林明良
読売歌壇9月30日佳作 栗木京子選


栗木先生、ありがとうございました!