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アボリジナル・メモリー

 今日は彼らについて想いを馳せてみる。

 私が初めて彼らのことを知ったのは中学生の頃だった。その時はイヌイットやアイヌという言葉と共に学んだ。
 当時は、昔はこういう人たちがいて、今もまだ生きているんだなと漠然と理解しただけだった。
 彼らが現代でどのような立場なのか、どんな感情を抱いているのか、そのような具体的な事柄にまで関心はなく、想像力も足りていなかった。

 それから約十年の月日が流れた。その間、私は彼らのことを想像したことは一度もなかった。強いていえば、オーストラリアへ行くことを決めた際に、観光サイトか何かで先住民がいることを思い出したくらいだ。

 彼らに初めて出会ったのは、(私が認識できた限りでは)ウルル周辺の観光都市だった。友人と観光に訪れていた私は、そこで家族連れの彼らに遭遇した。
 朧げな記憶を辿ると、母親と思しき女性を中心に、数人の男性が歩いていた。一人は比較的背丈が大きく、父親か長男であろうと推察された。街灯に照らされた夜の街並みの中で、浅黒い彼らの顔をはっきり見定めることは難しかった。さらに初めてみた人種でもあったことから、私は彼の年齢を推しはかり兼ねた。そもそも人の年齢を言い当てることが苦手ではあるけれど。
 他の男性(もしかしたら女性も混ざっていたかもしれない)は比較的背丈が小さく、子供であると推察された。
 彼らは一様に大きな目と煌めく瞳を持っていた。彼らとすれ違いざまに目を合わせた時、私にはある記憶が蘇った。それは雨の夜、山道を運転中に突如崖から飛び出してきた大きな牡鹿の見開いた瞳だった。私は彼らに文明に迷い込んだ野生の生命力を感じた。あるいは、縄張りを主張する強い連帯を備えた意志を感じた。
 そう感じさせたのは、彼らがまた一様に派手な柄のポリエステル製のスポーツウェアを着ていたことに起因するかもしれない。後から知ったことだが、彼らが着たそれらの服の柄は、アボリジナルアートというドット絵をモチーフにしたものだったらしい。
 もう一つ、彼らの特徴を示しておくと、その多くの大人が胃下垂のようなどっぷりと太ったお腹をしており、足は妙に細っていた。逆に子供たちの多くは、栄養失調を疑わせるような貧弱な骨格であることが多かった。

 彼らの伝統文化を知ったのは、ウルルとその近くに設けられたカルチャーセンターを訪れたときだ。
 ウルルと呼ばれる一枚岩の9キロ以上ある周囲には、彼らが紡いできた神話の説明パネルが設けられていた。彼らはウルルの模様や周辺の動植物から物語を創り、その岩に意味を持たせ、崇めてきたようだった。
 そして、彼らはウルルに人が登ることを好んではいなかった。そこは彼らにとって神聖な場所なのだ。
 カルチャーセンターには、彼らの歴史資料や工芸品が展示および販売されていた。特に私の目を惹いたのは、先述のドット絵だった。描かれているモチーフの説明書きを読むと、カンガルーの足跡やオオトカゲ、蛇などの生き物を象っていることが多いようだった。そしてそれらの絵の多くは、上空から見下ろしたような視線で描かれていた。高台が彼らは登らないはずのウルルやカタジュタに限られるあの荒野で、いかにして彼らが天からの視点を手に入れたのか興味深かった。
 さらにカルチャーセンターでは実際に彼らがドット絵を作成している姿も見ることができた。細い筆で、ビビットな色を緻密に施していく姿を私はいつまでも眺めていたかった。
 これらの絵の購入を検討したが、いずれも数万円以上しており、長旅の道中に紙製のアートを持ち歩く危険を犯す気にもならず、ましてやそのような道中に経済的な余裕があるはずもなく、断念した。

 次に私が彼らに接近したのは、アリススプリングスに移住してからだった。
 当時私は、周辺の情報収集や英語の勉強を兼ねて、よく公立図書館に通っていた。そこにはコンピュータ端末も設置されており、調べ物や職探しを行うことができた。
 図書館の周囲には芝生の広場が備わっていた。そこには不思議なにおいが漂っていた。塩素のような鼻腔を刺す僅かな刺激臭。皮膚に蓄積した垢が強い日差しに焼かれるにおい。あるいは、公園内に撒かれた除草剤か何かのにおい。
 彼らはそこにいた。平日の昼間、仕事を探す私を横目に彼らは細い木の影に入って日差しを避けていた。その多くは老齢した雰囲気を漂わせ、着古した服に白髪まじりの髭を蓄えていた。
 図書館でカスタマーサポートを行う職員に聞いた話によると、彼らはオーストラリア政府から給付金を受け取って暮らしているらしかった。
 そもそも彼らが暮らしていたオーストラリア大陸に西洋人が入植し近代化がなされた。そこには血生臭い歴史もあったようだ。現代では、彼らからオーストラリア政府が土地を借りるという名目で成り立っているらしい。

 つまり、賃貸料として政府が彼らに給付金を渡している構図だ。
 しかし、彼らの多くは、毎月受け取れるその給付金を受け取ったその日に全て酒に変えてしまうという話だった。給付金以外にも食料や車を受け取れるらしく、それらを頼りに暮らしているようだった。
 一度、彼らの集落を見にいったことがあるが、そこには焼かれた車が数台あり、受け取ったそれらを必ずしも本来の用途に使用している訳ではなさそうだった。
 また、入植者が作った教育や就職という概念は、彼らには浸透していないようだった。彼らは本来なら風や土地の声を聞いて、狩猟採集をして暮らしていたはずの部族だ。そこに築き上げられたコンクリートジャングルに居場所を見つけるのは難しかったのだろう。
 そこにはいくつかの反発と柔和が見られた。

 酒の購入や車の破壊も反発のうちに数えられるが、それらを直接受け取るのは成人した彼らであった。一方、若い世代を見るとまた異なる反発の形があるようだった。
 噂ではよく聞くことだが、彼らは石を投げてくるのだ。それがどのような動機で行われるのかは定かでないが、私も自転車で走行中に車体に石をぶつけられたことがあった。
 それは、狩人として動くものを射るという、若者が当然訓練すべき能力のようにも思われた。彼らの目に我々が同種の人として映った上で行われた行為なのか、または大型の獲物として映っていたのかは分からない。
 しかし、彼らのこの行為は時に事件に発展する。
 私が一度目撃したのは、若い彼らの集団が、いつものように手頃な石を歩行者に向けて投げていた時だ。その石が大怪我を生むことはなかったが、タイミングが悪かった。近くに警官がいたのだ。彼らはそれに気がつくと、一目散に走り始めた。そのうちの比較的背の高い細身の男児が追いかけてくる警官に石を投げていた。その行為は警官の怒りを買ったようで、本気で取り押さえにかかった警官によって彼はあっさり捕まってしまった。警官は彼をうつ伏せに押し倒し、数倍はあろうその巨体を貧弱な彼の背中に乗せていた。
 私はやりすぎではないかと内心で思っていた。
 この諍いに正しさはないように感じた。土地を奪い暴力を特権に移譲した文明と土地を奪われ自らの暴力を維持する部族。
 むしろ私は文明の恐ろしさを感じた。組織的でない個人では抗し難い文明の暴力性。それは組織としての大きさだけでなく、組織が可能にした個人の強化も意味した。
 自分自身が文明側で生まれ育ち、それが当たり前として生きていたように、彼らも自らが育った環境や慣習を当たり前と感じているはずだった。
 私は外の世界を知ることで、内の世界を俯瞰してみる目を持ったと思う。

 そのような反発の現場がある一方で、他方では柔和している彼らもいた。
 私が聞いた話では、近年では教育を受け、進学や就職を行う彼らもいるとのことだった。欧米人やアジア人と一緒に教室に通い勉学を修める姿を私は想像した。興味深い転校生が訪れ皆がワクワクするような、悪くない光景に思われた。
 また、卒業後はレンジャーとして働く彼らもいるということだった。彼ら自身が文明の力を借りて文明から土地を守る活動に取り組むというのは、理想的な共生関係に思われた。

 人口が減り、その多くが未だ土地に根差した暮らしに軸足を置く中、これからどんな形で文明と共生していくのか、あるいは文明が彼らを打ち滅ぼさずに友好関係を結べるのか注視していきたい。

 最後に眉唾的に語られる彼らの特殊な能力について語って終わろう。
 彼らには、ドリームタイムがある。
 それは、言葉を介さずに意思疎通を行う方法とそれを行える時間である。
 アリススプリングスの街は小高い岩山に囲われており、街の中を川が縦断し、街の南のギャップと呼ばれる岩山の切れ目から流れ出ていた。
 この川は雨季になると多少の水の流れがあるらしいが、ほぼ平坦なこの土地ではほとんどの季節でそこに水は見られない。地図上は大きな川幅の川が存在するが、実際にそこに訪れると、そこには大きな溝があるだけだった。地下水のような状態で水は存在するのだろうが、地上は歩けるほどに硬い。
 ある日そこを訪れると、川の真ん中にドラム缶が置かれ、幾人かの彼らが屯っていた。タバコを吸いながらぼんやり眺めていると、夕暮れ近くなり、彼らはそれぞれ対岸に引き上げていった。
 それぞれが対岸に辿り着くと、百メートルは離れているであろう距離を隔てて、彼らは向かい合い奇声を上げ合っていた。
 その話を友人にしたところ、それはドリームタイムだという。
 彼らはある特定の時間において、言葉を介さずに意思疎通を行うことができるらしかった。
 察するに、焚き火を眺めながら相手と自分が溶け込むような幻想的なコミュニケーションを終えた後で、彼らはその結びつきを離れた後のしばらくの間、保つことができるのではないかと思った。
 妄想に過ぎないが、それが可能なら、もしかしたらそれは文明人が失いつつある、心の作用の一つなのかもしれない。

 この文章を書きながら、風景とにおいと対話を思い出し、彼らとまた心のつながりを取り戻せた気がした。

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