後からツケがくるネガティブパワー
SNSなどでの誹謗中傷事件があとをたたない。
自分はSNSは主に情報収集に使っていて、定点観測的にいろいろな事件や事象を眺めていることが多い。
SNSを観察していると、自分が体験したり仮説を立てたりしたことの「答え合わせ」を見ているような時がある。
それは「ポジティブパワー」と「ネガティブパワー」の作用だ。
何か物事を進めるに当たって「何を原動力にしているか?」はさまざまである。
でもざっくり「ポジティブな感情」「ネガティブな感情」のどちらかに偏っていることが多い。
人間の感情とはそれほどバランスの良いものではないからだと思う。
ポジティブが良くてネガティブが悪い、と言いたいのではない。
世の中は理不尽なので、社会生活を送っていると想像を絶する不条理を目の当たりしたり、時には運悪く罠にはめられてしまうこともある。
悪い人、ずるい人が都合よく世渡りしていることも多い。
理不尽な思いを経験すると、もちろんすぐに前向きになれるわけではない。
でもとにかく自分を鼓舞したい時がある。
そんな時にネガティブパワーが最大限その力を発揮する。
自分の正義に照らし合わせて「許せない相手」を何とかしたいという思いがパワーになるのだ。
「悪い相手に制裁を加えてやる」という復讐心であることも多い。
「こんな不正義がまかり通っている世の中が許せない」という感情になることも珍しくない。
ネガティブパワーは、ものすごい威力を発揮する。
レッドブルを毎日半ダース飲んでるみたいな即効力もある。
内なる炎がたちまち周囲にまで燃え広がるほどの影響力もある。
でも注意したほうがいい。
ネガティブパワー(おそらく関連する脳内物質)は中毒もしくは依存的になりやすい。
この点、ポジティブパワーというのは余程楽天的な性格でない限り、通電している間は順調だが、蓄電がむずかしい気がする。
ポジティブパワーを溜めておいて、艱難辛苦に遭った時にそれを使って自分を充電するのはなかなか難しい。
それに比べてネガティブパワーは秒で起動する。
辛さ、悔しさ、怒り、といった負の感情を想起するだけでむくむく力が湧く。
だからネガティブパワーは依存的になりやすい。
夢中になって「許せない何か」のことだけに没頭してしまう。
でも好むと好まざるとに関わらず、どんな物事にも終わりが来る。
何らかの事情でネガティブパワーに依存してきた日々が終わる。
その時、達成感はあるだろうか。
不条理な神の采配はどうなるのか。
どんな形であれ、物事の終わりには空虚がある。
SNSでの誹謗中傷騒ぎも、個人的な正義の主張も、人間関係トラブルも通底するものがある。
虚無感と脱力感、そして自分が生み出したのか費やしたのかわからない負の感情の後始末。
倦怠感。
呆然とするツケの大きさ。
そんなことを想像すると、ネガティブパワーを原動力にして生きるのは大きすぎるリスクだ。
だから、どれほどポジティブパワーが低調で万事前に進まず悶々とすることがあっても、ネガティブパワーを燃料にしてアクセル全開にするのはやめようと心に誓っている。