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パーソナルコーチング-向き合ってきた責任感と家族-
「人生の動機付けを探したい」
4月のまねさんパーソナルコーチング体験を経て、5月から6回のセッション、上記の目的を掲げてパーソナルコーチングを開始した。2023/9/28にラスト前のパーソナルコーチング5回目のセッションを受けた。第2回のセッション以降の体験をまとめておきたい。過去のコーチングについて書いた記事を埋め込んでおく。
※本記事、エモな感じなので、エモ苦手な方は読まないでください。
自らを縛りつける責任感と向き合い続けた
私を縛り付ける呪縛
私の40年は幸せだったのだろうか。他人から見れば幸せであるように見えるかもしれない。26歳で妻と結婚し、子供も2人生まれ、不自由なく暮らしている。しかし、私の心は常に満たされない感覚でした。
その正体は過去の自分の体験だった。母が教えてくれた親としてのあり方。母が導いてくれた大人になるための道標。恩返しできないままに亡くなってしまった母。
母への恩返しができなかった私は今の家族を幸せにする使命がある。
自分自身へ課したその使命は自分を縛り付ける呪縛となっていた。
ほとんどの責任感は母へ通じる
コーチングで自分と向き合う中で自らが家族に対して感じている責任感。
子育てからお金のことなど、どんなことを取っても母へとつながる。私が母に感謝する思いを消化できない感情、その感情はいつしか家族を幸せにする責任感へ変化した。その責任感は子供への身勝手な恩送り、そしてガチガチに固められたレールを作り、そのレールに従わない子へのイライラの原因にもなる。私の責任感は様々な不和の原因にもなっていた。
コーチングを通じて、責任感を一つ一つ手放すことで、自らの心がこの呪縛から解放されていき、そして、少しづつ生き苦しさが軽減されていった。
妻、そして私とさらに向き合う
妻との平穏を求める私
ここまで責任感を手放してきた私。感情の起伏が小さくなっていくことを感じた。感情の起伏が小さくなると、「もしかすると私はこの状態を求めているのかもしれない」と思うようになった。
普段からあまり妻と喧嘩をすることはなく、いわゆる仲の良い関係性だと思う。一方で、時々自分の中で納得できない瞬間が訪れることがある。この感情に向き合っていくと、ここにも責任感がある、と気づきがあった。自分が仕事が忙しくて家事をできていない状態、しかし、私がやらなければいけないという責任感。自分の責任を果たせていない自分自身へのイライラ。しかし、妻は私を想い、家庭のことを優先してくれている。それを思うと妻にはあたることができず、結果的に矛先は子供へ。このような(何とも身勝手だが)不健全な関係性があったことに気づいた。
この気づきから、その後、より家族に対して優しく接することができるように変化していった。
自らの点数は10点
仕事は内発的動機付けでチャレンジできている。今の状態で50点弱くらいの点数、と付けた。一方で仕事以外のプライベートの自分に点数をつけると?10点。自分で話をしていて面白くなって笑ってしまった。
「そうか、私はこんなにも自分を認められていなかった」
では、なぜそんなに点数が低いのか。それは自分の中にある多面性だった。自分の中に複数の人格が存在しているようで、その複数の人格を常に抑圧している状態。いつしかその抑圧された感情たちが爆発し、自分の嫌いな一面が出てくる。この状態が過去の状態だった。一方、妻を見ると、多面性がなく、ひとつづきに球体であるかのように見える。その違いが私の10点という点数に表れていた。
サブパーソナリティを受け入れ、自らを受け入れられるように変化
その後、まねさんからサブパーソナリティの考え方を教えてもらった。前述のような多面的な感情や思考は全ての人間が持っている。そしてパーソナルセルフが軸となってその時に出すべきサブパーソナリティを選択する。このように選択することでサブパーソナリティ達を抑圧することなく、彼らの感情を大切にすることができる。
その後、サブパーソナリティを大事にするように生活していると、いつしか自らを受け入れられるようになっていった。
つまり自分を大切な存在として扱えるようになったのだ。
自分の感情に従う?それって自己中?
いつしか自分の感情を大切にしようと思えるように
自分を大切な存在として扱えるようになってきた。その時その時の感情を大切に思えるようになってきた。そうして自らを受け入れ、自らを好きになる。そんな感覚を感じられるようになったのが、8月末頃からだった。
感情を大切にする。感じる違和感。
感情を大切に生きる。自由気ままに生きる。心が弾む。
しかし、常にあった違和感。
それは家族の存在。
自らの感情を大切にする。その時、必ず家族が頭をよぎる。
本当に自分の感情を大切に生きるのは正しいのだろうか。
「これから6回コーチングを受けた後に見える晴れた空の世界に至るまででどんな過程が見えますか?」という問いに対して、見える先には何も見えない(海があるのか、森があるのか、険しいのかなど、想像できない)状況ではあるものの、そこに「飛び込むことに自分自身がワクワクしている」という話が自分のことではあるものの印象的でした。
この引用で書いた文章の時、「晴れた空の世界」そこに私は家族といる感覚があった。ここまで到達して、「私」は「晴れた空の世界」に到達している。しかし、今、私の心は弾んでいても、家族といる感覚はなかったのだ。
背後から声をかける別の自分は最後の責任感
心が弾む自分の背後からサブパーソナリティが私に声をかける。
「本当にそれでいいのか?」
「背後の自分」が大切にしているものは何なのか?コーチングでそこに目を向けていった。彼は規律・道徳などの形式的なつながりを大切にしている。彼は私の責任感の最後の形だった。
つながりをリフレーミング。形式的なつながりを心のつながりへ
「形式的なつながり」を求める最後の責任感。
家族、それはどのような関係性であるべきなのか。
婚姻届や戸籍などの「形式的なつながり」。
しかし、本当に必要なのは「心のつながり」だ。そうして後ろの自分達をその温かみのある「心のつながり」として再度見つめてみる。
先ほど「前に1人でいる自分」と「後に家族といる自分」は1つの存在に感じられた。
それまで自分勝手に生きようとしていた自分は消え去り、家族は自分を後押ししている感覚を感じた。私は自分の感情に身を任せたいのではなく、自分と家族の関係性に身を任せたい。この関係性の中で感情に身を委ねて生きたいのだ。
そして最後のコーチングへ。人生の動機付けは得られるのか。
ここまでが現在地だ。1ヶ月後、最後のコーチングを迎える。
4月から約5ヶ月にわたって受けてきたコーチング。当初探していた人生の動機付け。現在地において着実に見えてきている。
自ら課していた呪縛・責任感から解放され、感情に身を委ねることができるようになり、そして、家族との新たな関係性を見つけ出すことができた。
次回に向けて人生の動機付けを探す旅の終わりは見えてきている。
今日、妻との未来について向き合いたい想いを伝えた。