#検察庁法改正案に抗議します

一体、『なぜ』この改正案がダメ(問題)なのか、幼稚園児でもわかる解説。

問題ないとしている人たちの主な2つの論拠
1.国民が選んだ国会議員等が組織する内閣が特に必要がある場合に検事総長などを指名する変更だからむしろ正しい。
2.検察官は国家公務員なのだから、定年はほかの国家公務員と同様の扱いとする方がむしろ正しい。

一見、何の論理矛盾もないような屁理屈をかざし、堀江氏(1.)や吉村府知事(2.)まで問題ない的な発言をしているが、この方々非常に知性が高かったり法律家だったりするわりに、法律だったり、法律の『立法の趣旨』について全く理解していない。
堀江氏については法律の専門家ではないので単なるポジショントークの域を出ないが吉村氏については大阪府知事として適切で積極的な言動が目立つ中この検察庁法の認識については法律家らしからぬ大きな誤解をしている。
私は法倫理の専門家ではないが立法の趣旨に反する上べだけの条文の理解、形式上の運用をよしとするのは、それは法律家ではなく法律屋と呼ぶべき人の認識だと思う。そこが解っていないから合法だから逮捕されないだろうとタカをくくって落し穴にはまり、検挙起訴されてしまうのがホリエモンなのである。なんも解っちゃいない。

そもそも検察庁法はその歴史的立法の趣旨に鑑みて「それ」が国民に選ばれたものであろうがなかろうが、特例であろうがなかろうが、「内閣」が検察の人事に介入しないように制定され内閣が検察の人事に介入してはならないことを『立法の趣旨』として立法制定されていることは明らかである。にもかかわらず、人事に介入することはないと言いながら、介入できる可能性を許す法律に改正するということは全くの論理矛盾であるし、何度も言うが、そもそもその立法の趣旨に照らし今回の改正法案は180度違うものである。『検察の独立性の担保』がこの法律の基本的意味なのである。
では『なぜ介入してはいけない』のか。今回そこが語られていない、だから話が混乱する。
若狭弁護士がテレビなどで何度も言っている。その意味は何か。考えてみてほしい。

例えばもし、今ここに大きな自動車会社があって車を作るための工程、完成してからの検査の工程で、ここが抜けたら安全性に疑念が生じるという場所が解っている工場長がいたとする。現状、手抜きをしない限り、安全性を100%担保した上で最善のコストパフォーマンスだと確信しているとしたらこれを、製造工程の細かい流れや検査のフローの専門知識がないただ理工系の大学を出ただけの社長がやってきて、ここの工程はコストがかかり過ぎだから省略して製造原価を1%下げて欲しいと言ってきたとしたら、その現場の工場長は「解りました」と言いますか?という話。もしその結果、20万台のうち1台の重大事故につながる欠陥車を生む可能性があるとしたら、工場長は断固として断るでしょう。それがエンジニア、職人としてのプライドと倫理観なのですよ。そうした基本的職業倫理を捨てて自分の出世のことだけを考える総合職みたいな工場長だったとしたら、どこかの国のM菱自動車の空飛ぶタイヤになっちゃうわけ。
こうした不正はマンションディベロッパーのFューザーや検査会社の事件等でも同様の構造でおきています。ディベロッパーは検査会社にまで介入してはいけない。専門外の人が、専門外の部署や機関の作業や人事に介入してはいけないのです。
組織に存在する上下関係・指揮命令系統とはと別に、口出しできる人できること、口出しできない人できないことってのが初めからあるわけです。
検察官は独任勘定で、起訴に関する全ての責任を負いそうした外の利害関係から離れて、常に真実のみによって判断・行動するため・高い倫理観と公正さを磨くための訓練された『特別公務員』です。「検察官は国民から選ばれたわけではないからむしろ危ない」というようなホリエモンの言説は単なる意趣返しであり全く当たらない。なぜなら検事はむしろ国民から選ばれてはいない、だれからも誰に対しても利害関係がない環境を担保されている特別な人々、いわば『職人』なのです。工場長の保身や不正を正すことはできても検察官の保身や不正は誰も正せない、検察はある意味、国・国民の最後の砦なのです。それでも検察という組織防衛のためにある検察官が不正をした元厚労事務次官の村木さんの事件がありました。これはなぜ明るみに出て、検察にはなぜ自浄作用が働いたのか。それは恐らく検察官が仲間を守るよりも、正義を守らなければ彼らの存在意義自体が崩壊するという危機感と誇りを、人として共有していたからです。最後の砦のわれわれが不正をしたら、この国の正義は誰が守るのかと。
細かい人事の手続き(例えば、組織内の推挙・稟申 ⇒ 総長の稟承 ⇒ 内閣の承認と任命)や、その手続きのあるべきフローを語るときりがないので割愛するが、そもそも内閣がある人を指名して、この人の定年を延長せよとか、この人を総長にせよという権限はなく、組織が稟議承認した人選について、著しい問題がないかチェックをしてそれを形式上承認するだけであるべきであろう。現状そうなっている。それにもかかわらず、内閣が特例(即ち恣意的)に人事を決定できるしくみなどあり得ない。特例とは恣意的ではないと内閣府は言っているが、であるならその「特例とする場合の基準」を示せと野党は言っている。しかし基準は示されていないばかりか、「今はない」と開き直っている。何のわるふざけなのか?内閣が形式上承認するのは今まで通りでよいが、内閣がある検察官の定年延長をしたり、ある検察官の役職をその時々の都合で恣意的に延長できる可能性を残す仕組みこそが、明らかにおかしいとなぜ気づかないのか。
鶴瓶さんも小泉今日子さんも、皆そこを指摘しているのです。

因みにこれも私の勝手な『解釈』ですが「解釈の変更」って簡単に言いますが、その変更とは「『立法の趣旨』をねじ曲げます」という宣言ですから。悪しからず。

※ 堀江貴文さんが正しいと思う方、全員読んでいただけたでしょうか? ^^
  全員見ろとか言ってる場合チャウで。




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