界のカケラ 〜42〜
しかし、話を聞くためのきっかけは何にしたら良いのだろう。唐突に言っても警戒されてしまうだろうし。こういうときにコミュニケーション能力を磨いておくべきだったと後悔するのはいつものことだ。医者としてのコミュニケーション力と人としてのコミュニケーション力は全く別物である。
あれこれ考えてもらちがあかない。この低いコミュニケーションスキルでなんとか聞き出すしかないので、直球勝負で勇気を出して聞こうとしたときに、生野さんが市ヶ谷さんに話しかけた。
「市ヶ谷さん、あなたにとって『生きる』とはどういうこととお考えですか?」
そうだ。シンプルにこの言葉で良かったのだ。深く考えすぎたのだ。最初から彼は生きることとは何かを問いていた。それならそれを聞けばいいだけだった。なぜこんな普通のことが思い浮かばなかったのか。きっと頭を打ったせいということにしておこう。私は市ヶ谷さんの返答に静かに耳を傾ける準備をした。
「私にとっての『生きる』ですか・・・」
「そうです。あなたは『生きる』と『死ぬ』を必死で考え、私たちにもそれを問うてきた。でもあなたにとってのそれがまだ何なのか聞いていなかったので知りたいのだ。人に問うだけではなく、市ヶ谷さん、あなたの考えや思っていることを。それが今のあなたに至るまでずっとそばにあったものだからです」
生野さんの優しくも的確で、人に寄り添う、もっといえば同化してしまいそうな言葉と口調は誰にも真似できない。彼が今までの長い人生で経験した様々なことが土台になって作り上げられたものだ。市ヶ谷さんに語りかけているのに、思いがけず私が答えそうになってしまった。こういう医者がいたら何でも話してしまうだろうと私は思っていた。
「私にとっての『生きる』とは・・・
『生きる』とは・・・
『生きる』とは・・・
何をしても意味がないことをただ淡々とやっていくこと・・・です」
予想外の言葉に私たちは戸惑った。
彼の中では全てが意味のないことが前提になってしまっている。生きることが意味がないことだということを意味している。しかしそれで自殺未遂をするというのはなぜだろう。何かに絶望したり、悲観的にならなければ自殺をしようとは思わないだろう。
もっと彼の中でそう思うに至った過去を掘り下げなければいけないと生野さんと私は目を合わせて無言の会話を交わした。