界のカケラ 〜43〜

 少しの間、沈黙が続いた。この沈黙が起きるのが事前に分かっていたように、さっきまで人が十数人解いた中庭には私たち3人以外いないことに気がついた。この機会を逃しては市ヶ谷さんの過去を知るタイミングが来ないことは直感で分かった。なるべく人が来ないうちに核心へとたどり着きたい。急ぎながらも慎重にしなければいけない。ここはやはり生野さんに口火を切ってもらいたかったが、そうはいかないだろうと思い、私は聞き返した。

 「『何をしても意味がない』とはどういうことですか?」

 「普段、私たちがやっていること全てですよ。寝ること、ご飯を食べること、働くこと、楽しいと思われることなど全て。私はこれら全て興味など湧かない。食べ物はお腹を満たせれば何でもいい。眠ければ寝てしまえばいい。最低限の衣食住ができればそれでいい。それ以上は望まない。楽しいことだってその時間が過ぎれば楽しいなんて思いません。そればかりかそればかり思い出して浸るなど無意味です。つまらないことなんてもっと無意味だからやらなければいい。人と話すのさえ無意味です。その時だけの話なんてもっと無意味です」

 私の予想通り。というか誰でも予想がついた返答だった。

 彼の意見に同意する部分もあるが、人は先々にとって無意味、無意味ではなくても忘れてしまうようなことでも、その時その時で意味のあることは多い。その一瞬を楽しむことも大事である。それを楽しむ余裕がなければ、人は肉体も精神も健康を保つことはできないだろう。

 現に市ヶ谷さんはそれを楽しめていないから、あの行動をとったのだろうと思っている。心の奥底ではそれを望んでいるのかもしれない。だから自分の体を傷つけてまで今までの思考や感情を一時的に止めることを無意識にしたのだと思う。それが死ぬことになってもだ。死んでしまえば思考や感情をリセットできる。肉体は死んでしまうリスクもあるのだが、そうしないと命、魂というものが壊れてしまうのかもしれない。

 何にせよ彼のこの言葉の裏にあるものをきちんと理解し、共感した上で彼自身が答えを出さなくては意味がない。人から答えを聞いたところで本人の心が変わることはなく、また同じ行動をしてしまう。もはや正義感やエゴではなく、医者としてでもなく、ただ一人の人間として純粋に救いたいのだ。

 その上で彼が生きていく方を選ぶのか、死ぬ方を選ぶのかを決めるしかない。医者としては死ぬほうを選ぶことはつまり自殺することだから避けたいが、一人の人間としてでは止めることはできない。

 だから私は迷うことなく彼に正面でぶつからなければならない。心を鬼にしてでも、自分の感情を無にしていくしかない。

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