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学校をOSのバージョン別で考えてみる
現在の学校システムは、学校3.X
数年前からソサエティ5.0と聞くようになりました。
社会1.0は狩猟民族だった社会
社会2.0は農耕など一次産業が主となる社会
社会3.0は工業化された産業革命以降の社会
社会4.0は情報化社会
社会5.0はサイバー空間とリアル社会の融合
などと言われています。この社会の構造から考えますと、今の学校システムは産業革命後の明治時代に基本設計されましたので、3.0バージョンと考えられます。
学校3.0の基本OSはどのようなものでしょうか。ある年齢に達したら一斉授業を行うシステムです。6歳になると小学校に入学し、黒板に机椅子が並べられ、時間割があり、児童生徒は決まった時間に決まった科目を行います。そして中学→高校→大学と高等教育に進みます。明治から昭和、戦後にかけて様々な改革を進めてきましたが、3.0、3.1、3.2、3.3といった類です。
尋常小学校を小学中学校化することや高校を設置すること、教科の類のバージョンを上げること、科学が進化するとその内容が変わること、一つの教室における人数を少なくすることなどが考えられ、その都度当時における大きな教育改革がなされてきていますが、基本OSは変わりません。3.Xバージョンといった進化した過程と考えられます。
学校OS4.0とは?
情報化社会の到来ですから、最初はLL教室の設置やビデオ教材の導入あたりから片鱗が見え始めます。そして、大きなターニングポイントはコロナ禍で投稿をせずに、一部オンライン授業が出始めてきたことです。つい最近ようやく4.0へ徐々に近づいている、もしくはようやくなったと考えられます。
タブレット端末が児童生徒に行き届き、授業における鉛筆、消しゴム、黒板、ノートといった文房具類がデジタル機器に移行されました。教科書が電子書籍になり、黒板がプロジェクターに変わり、サイトや動画を検索して授業を進めるようにもなりました。遠隔授業も徐々に普通の授業に取り入れられています。
これらは現在移行過程で、地域間、学校間、教員間の差など、まだまだ完全に整っているとはいえません。校舎や機材などのハード面と教員スキルの質的転換といった点はまだバラバラです。特に教員スキルに関しては大きく、一部の学校や授業で4.0になったと思ったら、人事異動でできる先生がいなくなり、従来型の先生が来て元に戻るといった現象も聞きます。そのため、大きく投資した通信インフラが今イチ活用されていない校舎もあります。ちなみに、通信インフラが整っていない校舎もたくさんあります。
また、教員の働くシステムでも情報化の恩恵はまだまだです。出勤管理や学校経営に関する公務管理や会計システムなど、色々試行錯誤中で、4.0に移行した学校とされていない学校が混在している状況です。教育行政機関などとの関わりも多く、行政組織の運営が4.0に対応しないと、そもそも変わらないことも多くあります。
ですから、まだ日本の全体の学校システムが4.0になったとは言い切れないとと思います。しかし時間と共に徐々に解消されていくでしょう。コロナ禍が大きく後押ししたといえ、現在移行期と捉えて良いと思います。
学校5.0とはどんなもの?
これはバーチャルとリアルの融合の社会にフィットすることになります。今現在最も近いのはN高をはじめとした通信制の学校にそのヒントが見え隠れします。アバターを起動させ、VR空間の教室を活用し始めると劇的に変わってきます。そうすると空間的な制約がほぼない状態になります。教員をBot化させると24時間動き出しますので、時間的制約もない状態が生まれます。
例えば、一斉授業はほとんどしない。登校するという概念がない、つまり不登校という言葉すらなくなる。あるカリキュラムは〇〇学校の〇〇先生の授業を受け、別のカリキュラムは〇〇学校の〇〇先生の授業を受けることができます。そうなるともはや〇〇学校に所属するといった概念がなくなります。そうなると、必然的に〇〇有名大学に進学を目的に受験勉強するいう行為がなくなります。
同じ年齢と一緒に学ぶ必要もありません。進捗度合いによって学ぶ内容やスピードは個々人で決めることができます。例えば、高校生の年齢でまだ中学生の一次方程式を勉強しながら、一方で日本文学は大学レベルの勉強をしている、といった生徒も成り立ちます。また、検索し放題なので、カンニングといった概念もなくなります。
このようなイメージが学校5.0の世界なのかと思います。今までの常識とはかけ離れた世界ですが、技術的には可能な社会になっていますし、このような空間で、子どもたちの成長促進を引き上げ管理できるシステムの構築は可能でしょう。このような学校が増えると、もはや「学校」という言葉すら合わない別の言葉で表現すべき世界かもしれません。
ちなみに学校2.0と1.0とは
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学校2.0とは、江戸時代の寺子屋などを例にした私塾的なもので、すべての子どもが関わる通うといった状況にはなく、教材もあまり体系化されていないもので、人が集まって学ぶ場所があった時代だといえます。
さらに学校1.0とは、伝聞伝承といった代々親などから子どもや子孫に継承する手法で、学校のような場というよりも現場での学びの過程になると思います。この場合は「学校」とはもはや呼べない状況とも言えます。