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日曜日の憂鬱が長かったり短かったり

 カレンダー通りに働く社会人にとって日曜日は憂鬱だ。明日から5日連続の労働が始まろうとしている。今日は自由に過ごせるけれど,その自由さが明日からの労働のしんどさを浮き彫りにしてくる気がするんだ。
 さあ,そんな日曜日の午前中は怠惰に時間が流れていくのを感じているだけのことが多い気がする。何にもしていない罪悪感と共に,明日から始まる労働へ対する憎悪が募っていくのだろうか。それはそれで生きているということなのだろうか。

 今日はやることがあるんだ。気がつけば正午も過ぎて2時間が経とうとしている。昨日は大忙しで,日の出の前から動き出して,日付が変わってから帰ってきた。忙しいといっても,全部趣味の時間で,自分で組み立てた予定である。だから,文句はないし,しんどくても了解の上なのだ。でも,明日から始まる平日の過ごし方は違う。自分でコントロールできる時間はかなり少ない。私は,敷かれたレールではない,凸凹で予測不可能な道をかなり軽装で進んでいかないといけない。そんな感じがするんだ。ある程度の準備はもちろんできるし,しなくてはならない。それが,必要以上の重装備になってしまうこともあるし,脆過ぎて使い物にならない時もある。また,何かの処理に追われて十分な装備が出来ず,下着同然で挑まなくてはいけない時だってあるんだ。
 こうやって整理していくと,この憂鬱は本当は恐怖心だと思えてくる。未知のものは怖いのだ。それは人間として生きていく上で仕方がない。誰にも未来はわからないのだから,できる準備をしていくしかなさそうだ。特に人間を相手にしている仕事は,予想外のことが起こらないなんてことは無いんだ。その時に自分が考えられる最善でやっていくしかなさそうだ。あとから,こうしたらよかったと思ったり,ぐちぐち言ってきたりする人はいるけれど,考え出したらキリがなさそうだ。自分の最善を尽くしていたらいいんだろう。

 自分が壊れない範囲で,ダメなら逃げ出したっていいから,それを罵倒してくる人とは縁を切って,生きれるだけ生きていこうと思う。そう考えたって,明日からの生活を考えると憂鬱だ。本読みたいのに。

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