喫茶店に1人で来ている人は意外と少ないと思いながら1人コーヒーを啜る
我が家から1番近い喫茶店は昭和から続いている雰囲気である。初めは入りにくかったが,1度入ってみると次からは簡単に入れるものである。営業時間は8時から17時。日曜定休なので,カレンダー通りに働いている私は土曜日にしか訪れることができない。コーヒーを飲みながら1人本を読むのだ。
1人で来ている人は意外と少ない。常連が何人かで来ている。たいてい2人だ。カウンター越しに店員さんと会話している。結構大きな声で。これが昭和の喫茶店の風景なのだろうか。平成生まれの私にはよくわからない。
何かの本で読んだことがある。喫茶店は1杯のコーヒーで何時間もだらだらと話す場所だったと。そこにはくだらないことから,政治的なこと,学術的なことの共有の場であった。哲学はそう言ったところで深まるのだろう。
関西の喫茶店の方が,関東の喫茶店に比べて会話が多い気がする。関東の喫茶店では静かに自分の作業に集中している人,誰かとの待ち合わせをしている人,とりあえず時間を潰している人がいるイメージだ。関西では,とにかく話している。話すために喫茶店に入っている人もいるのではないだろうか。私は喧騒の方が好きだ。あまりそれぞれの声が目立たない,それぞれの会話が混じり合い,1つの雑音みたいになっている感じが好きなのだ。
チェーン店でも関西では心地いい雑音が展開されている。そして,なんだか微笑ましい光景だっていつでもそこにある。特に学生の戯れには,何か心に来るものがある。それは苦しみに近いのだろう。この先私にはもう経験することのできない,そんな思いを持って会話を盗み聞いてしまったり,その様子を横目でチラリと見てしまう。世界にある若さを確認するかのように。
隣に座っているカップルは,勉強をしに来たようだった。彼氏は机に伏して寝てしまった。彼女は起きて欲しいみたい。ペンで何度も頭をつついている。私は耐えきれず店を出る。カランコロンカラン。