『都知事の虚像~ドヤ顔自治体の孤独なボス』②「東京市」の亡霊を解き放つ
東京市長と言えば、後藤新平を思いつく人が多いのではないでしょうか。後藤は関東大震災の帝都復興に取り組んだ政治家で、〝大風呂敷〟という言葉でも有名です。なので、東京市長というのはとてつもない大物に見えます。でも、帝都復興に取り組んだ時代の後藤は内務大臣であって、東京市長ではありません。
後藤が東京市長に就任する前、東京市の職員や市会議員などの汚職が相次ぎ、事件の責任を取って田尻稲次郎東京市長が1920年11月に辞任します。市長の後任に市会は、市政刷新のため大物政治家である後藤をほぼ満場一致で選出しましたが、後藤はそれを断りました。そこで市会の幹部は、一万円札でお馴染みの渋沢栄一や、当時の首相である原敬を動かして、後藤の説得に乗り出したのです。
後藤は「一度貧乏籤ヲ引イテ見タイモノ」と市長を引き受けました。後藤にとっては東京市長は「貧乏くじ」だったのです。
東京市長時代の実績はここでは省きますが、後藤は2年5カ月程度で突然辞任します。それは、ソ連の革命家であり外交官であるヨッフェとの交渉に専念するためでした。当時、ソ連と中国が距離を縮める一方、日本とソ連は実質的に交戦状態で、後藤は日ソの国交回復の必要性を感じていました。そこで、私的交渉に臨むためにヨッフェを日本に招いたのです。
東京市長の立場で、ソ連の代表と外交交渉を行えば、東京市や市民に迷惑をかける。後藤はそう考え、市長を辞任しました。
知事の任期中、都庁には週2回しか通わず、大臣面して米国を訪問していた石原知事とは大違いだとは思いませんか。それは、その後の歴代知事にも言えることです。後藤には東京市長という器があまりにも小さすぎましたが、自分の立場をわきまえた処世術を持っていました。
法改正の趣旨や実態を無視した「東京市」の亡霊
石原知事を含めた歴代知事はたびたび後藤新平の名を挙げて、あたかも自分が東京市長の〝子孫〟であるかのように発言し、そのように振る舞いました。知事だけではありません。現在も都庁マンの多くがそういう誤解を持ったまま執務に当たっています。
みんな、後藤新平を東京の礎を築いた人物と思っているでしょう。その認識に間違いはありませんが、彼が東京市長だったのはたった数年です。
彼らは後藤新平になりたいのでしょう。彼らにとっては23区は「東京市」の下部組織で、都の内部団体であり、言ってみれば行政区に過ぎません。あくまで東京の統治機構は「東京市」であり、東京都こそ「東京市」であると思い込んでいます。
そういう考え方に法的根拠がないことは、前回書いた通りですが、他方で廃止された法律の残骸が今も脈々と生きているのも事実なのです。
1942年に地方自治法が制定され、旧東京都制は廃止されました。しかし、地方自治法の附則第2条には旧法の一部の効力が残され、都を旧東京市と読み替える規定が含まれており、旧都制時代に都が処理していた事務の多くが都に留保されました。
1998年の自治法改正で、特別区が「基礎的自治体」、都は「広域自治体」と明確に位置づけられた今も、この附則第2条の規定が残されているのです。
この戦前の法律の残骸が根拠となって、「東京市」は「東京都」と読み替えられています。
これではまるで、地方自治法施行後も都は「市」としての機能を持ち、特別区の存する区域(23区)で都が特別の権限を持っているかのように読めてしまいます。『新版 逐条地方自治法(第8次改訂版)』(松本英昭著、学陽書房)は、「特別区(または特別区の区長)の処理(または管理執行)する事務についてはその適用はないこととされ、都区間の事務・権能の競合を避けることとされている」と解説しています。要するに、改正地方自治法の趣旨は条文に書いてある通りだという結論なのですが、では東京都は、自治法が規定した市町村事務以外に「東京市」の何を受け継いでいるというのでしょうか。
実は東京都は、実態としてはすでに「東京市」を引き継いではいないのです。戦後、23区の自治権拡充運動や、地方分権などにより、「基礎的自治体優先」の原則から住民に身近な事務は住民に身近な基礎的自治体へと移譲が行われてきました。特別区では各区に保健所が設置されていて、都区制度改革以前には都が処理していた清掃事業も23区に移管されています。児童相談所も各区が設置できることになりました。現在の23区は、自治法に基づき都が一体的に処理している事務を除くと、中核市並みの権限を持っており、政令市の一部の仕事まで持っています。
都から区への権限移譲は不十分ではありますが、特別区は立派な基礎的自治体として成長しています。
自治法の附則第2条は実質的に空文化しているのではないでしょうか。
東京都知事が「東京市長」であるかのように振る舞うのは、実態とかけ離れているのです。
五輪「開催都市」とは「都市(City)」
「オリンピック憲章」(五輪憲章)を読んだことはありますか? オリンピック憲章は、国際オリンピック委員会(IOC)によって採択されたオリンピズムの根本原則、規則、付属細則を成文化したものです。憲章はオリンピック・ムーブメントの組織、活動、運用の基準であり、かつオリンピック競技大会の開催の条件を定めるものです。
日本オリンピック委員会(JOC)のHPに最新版の日本語訳が掲載されていて、いつでも誰でも読むことができます。
「第5章 オリンピック競技大会」を読んでみてください。
ここには「オリンピック競技大会を開催する栄誉と責任は、オリンピック競技大会の開催地として選定された、原則として1 都市に対し、IOC により委ねられる」と書いてあります。五輪開催都市とは、基本的には「都市」のことです。元々の英文ではこう表現しています。
英文を見て分かるように「都市」とはcityのことです。
過去のオリンピック開催都市は、すべて「都市」が選ばれています。例えば、夏季大会だけ振り返っても、リオデジャネイロ、ロンドン、北京、アテネ、シドニー、アトランタ、バルセロナ、ソウル、ロサンゼルス……。全て都市です。
日本では冬季五輪が2度開催されており、1972年の札幌、1998年の長野、いずれも「市」が招致しています。招致できなかった都市では、名古屋、大阪の例がありますが、それらも「市」が手を挙げました。
IOCは、東京という「都市」を選んでいるのです。だから、東京が「City」として立候補するなら、広域自治体である東京都よりも、基礎的自治体が手を挙げた方が自然です。
例えば、新宿区は英訳では「Shinjuku-ku」ではなく、「Shinjuku-city」です。千代田区は「Chiyoda-city」です。東京23区が「区」を名乗っているのは、区が創世期から法人格のある「区」として始まっており、地方自治法施行後も「特別区」だからですが、自治体の性格としては基礎的自治体と同等で、「市」なのです。
こんなことを言うと、「オリンピックの開催都市は原則1都市だ」と反論する方もいるでしょう。実際、2020年五輪招致で広島市と長崎市が共同開催を前提に立候補に動いたことがあります。このとき、五輪憲章の「原則1都市」に反するという理由で、JOCは却下しています。東京23区がオリンピックを開催するとしても、市街地が密集した新宿区や渋谷区が1区だけで開催することは難しいでしょう。
2019年6月、IOCは複数の国や地域、都市での開催を認めることを決定しました。近年、住民の反発で立候補を却下する候補地が相次いでいることから、開催都市の条件を緩和したのです。ですから、2020年7月現在の最新版の憲章には、「適当であると判断できるなら」という条件付きでIOCは複数都市開催を認めています。これを受けて、2026年冬季五輪はミラノとコルティナ・ダンペッツォの共同開催が決まりました。
つまり、これからは東京が五輪を招致する際に、東京都である必然性はないのです。東京23区や、その周辺の多摩地域の市などが共同で立候補を申請しても、五輪憲章には違反しません。
むしろ2020年五輪招致において、「1都市」を条件にしていた五輪憲章の下で、「City」ではない広域自治体である東京都が立候補し、開催都市に選ばれていたことが原則に反しているのです(改定された最新版の憲章なら地域・州も認められているので、広域自治体が立候補することに異論はありませんが)。
基礎的自治体が主体となる五輪
2020年五輪招致は初心が間違っていました。その理由は3点あげられると思います。
①都政に無関心な石原知事が旗振り役だった
②石原知事が典型的なレイシストであり失言王だった
③五輪後の東京の将来像が不明確だった
この3点は連載の中でさらに深掘りしていきたいと思います。
東京都が「東京市」として振る舞う限り、都は膨大な財源を都心から吸い上げ、無駄と浪費を重ねる運命にあります。そうして消費されるカネには、これまた膨大な利権がぶら下がります。東京五輪の経費が当初の想定を大幅に上回っても、それに対する歯止めが効かないのは、なまじ金持ち自治体であるがゆえにどんぶり勘定になりやすいからです。
そして、首都・東京のリーダーとして君臨する都知事は、膨大な財源と権限を背景に、国家元首並みの発言力・発信力を持ち、自らの政治力を誇示します。
国会議員を辞職し、首相の芽がなくなった石原慎太郎は、都知事の発信力や政治力を自らのイデオロギー装置として利用しました。「首都のリーダー」という虚像を大いに悪用したのです。
仮に3度目の東京五輪を招致するのであれば、立候補の主体は基礎的自治体であるべきです。五輪憲章が複数都市による開催を認めるのであれば、東京都が立候補する必然性はありません。都は本来の広域自治体の仕事に専念し、特別区に移譲すべき権限と財源はできる限り移譲し、多摩地域を含めた広域自治体として基礎的自治体のバックアップに比重を移すべきなのです。そのときの「都知事」とは、「首都のリーダー」ではなく、「東京都」という広域自治体の首長でしかなくなります。
それによって、東京都はようやく「東京市」の亡霊から解き放たれます。もう石原慎太郎や小池百合子といった稀代のポピュリストたちが触手を伸ばすような特別な存在ではなくなるでしょう。
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