教科書と本の違い
教科書と本は、どちらも書物であるが、これらは決定的に異なるということについて書こうと思う。
教科書には真実が記されている
1+1は2であるし、「書」という漢字は「しょ」と読む。
これらは現在一般的に真実とされている事柄であり、これらを原則として「世界」は回っている。(新たな真実が発見されて修正されることもある。)
人間は、教科書を読むことによって「世界」の姿をとらえることができ、「世界」を理解することができる。
本には真実は記されていない
専門家による評論、文学作品、ノンフィクションに至るまで、そこには真実が記されることは無い。
評論はその個人あるいは組織の意見や見解であるし、文学作品は言うまでもなく、ノンフィクションにも著者の思想が入り込んでいる。
読んだだけで、「なるほど、そういうことなのか」と解決させてしまうことは本の使い方を間違っていると言えるのではないだろうか。
本を読む意味
では、真実でないことが記されている本は、嘘まみれの有害なものなのだろうか。
そんなことはあるはずがない。
本を読むことは、自分で考えるきっかけやヒントを与えてくれるものである。
さらに言うと、「自分で考えるために本を読むのである。」
他人の考えを読み、そこにある論理や矛盾について熟考することによって、自らの考えを醸成していく。
その前段階として必要なのが教科書であるのではないだろうか。真実という土台がないと、考えの基準を設けることができない。
本を教科書として読んでしまわないように注意したいものだ。
「本に真実は記されていない」
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