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名作「秋刀魚の味」を今見たら…セクハラ?

 リタイアに伴い、昼間の自由時間に余裕が出来ているので、NHK BSの午後の映画放送で、「秋刀魚の味」を久しぶりに鑑賞させて頂きました。「秋刀魚の味」と言えば、日本映画の二大巨匠である小津安二郎の遺作であり、これまで何遍か見ていたと思いますが、今回はそのセクハラ表現に驚いてしまいましたことから、この記事を書かせて頂きました。
 さて、「秋刀魚の味」をご存じの方には、再度になりますが、これは、間違いなく名画中の名画です。全体の概要とストーリーをお話しします。実は、秋刀魚料理は出てきません。この映画は、1962年に公開された小津安二郎監督の日本映画で、監督の遺作としても知られています。物語は、妻を亡くした初老の父親とその娘の関係を中心に展開されます。主人公の平山周平(演:笠智衆)は、海軍の艦長上がりで、大手企業の重役として働いています。彼は、妻を亡くし、長女の路子(演:岩下志麻)と次男の和夫(演:三上真一郎)と共に暮らしています。ある秋の日、平山は旧友の河合と再会し、娘の結婚について話し合います。平山は娘が家を出て行くことを恐れ、結婚を先延ばしにしようとしますが、最終的には娘の幸せを考え、無事、結婚を迎えるまでの、言ってしまえば、ありふれたストーリーです。この様に、「秋刀魚の味」は、戦後日本の社会変化と家族の在り方をテーマにしています。映画は、伝統的な家族観と現代の価値観の対立を描き、観客に深い共感を呼び起こします。特に、父親としての責任や孤独感、そして家族の絆が丁寧に描かれており、時代を超えて多くの人々に愛されている映画です。また、この映画では、小津監督の特徴である低いカメラアングルや静謐な映像表現が、それまでの彼の作品に増して強調され、俳優のカメラと面と向かってカットの積み上げによる物語への没入感と、それぞれのありふれたカットでもその視覚的な美しさが際立っています。また、戦後の変わりゆく時代の中での家族の変化を通して表現されているものの、今でも在り得る普遍的なテーマを描いた抒情的な作品です。
 以前に「秋刀魚の味」を見たのは、十年以上も前でしょうか? 今回の鑑賞で、リラックスして見ていたのですが、主人公の平山が、部屋にやってきた秘書?に対して、「何歳になった? 結婚の予定はないのか?」的な発言から始まることにびっくり。管理職としてはリタイヤして既に、10年程度は経っていますが、当時、教育された知識のせいか、本当にドキッとさせられました。その後の展開で、同窓のクラスメイトが、後妻として若い奥さんを迎えたというエピソードが、映画全体のストーリーの一翼を担うのですが、このエピソードが出てくるタイミングで、「あっちの方のクスリを使っているのか?」、「それで夫婦生活が上手くいっている」等の性生活を彷彿とさせる表現にもビックリしました。挙句の果てに、飲み屋の女将さんにも、「旦那があっちの方のクスリを使っているのか?」、「それで夫婦生活が上手くいっているのか?」と投げかける始末でした。この様なセクハラ的な表現については、現代の視点から見ると問題があるとも思われますが、当時の価値観や文化背景を反映しているとすると、世情を理解する上での作品であるとの理解で鑑賞させて頂きましたが、現在の会社生活で植え付けられたセクシャル表現の概念からすると、現代社会の会社生活と会社員として飲み屋での振舞いとして、アウトに近いと思ってしまいました。
 加えて、描かれている皆さんの家庭での状況が、老いた主人公の家庭、子供がまだ居ない若夫婦の家庭、食堂自営業家庭と合わせて描かれているのですが、何れも、家事は女性、男はやってもお手伝い程度で描かれており、家事を分担させられている女性も、昼は、仕事に従事していることになっている状況で、現代社会では、非難されてしまうような状態を平常として描いていることにも、違和感を抱いてしまいました。男性である私がこれなんで、女性からみるとどうなのでしょうか? 反対に、聞いてみたい位です。この様に、この映画内での女性キャラクターの扱いや、男性キャラクターによる女性への発言や行動が、多々気になってしまいました。映画評論家の中には、映画内での女性キャラクターが男性キャラクターによって軽視される場面や、女性の役割が家庭内に限定されている描写が問題視されることがあると指摘している様ですが、当時の日本社会における性別役割分担や、女性の社会的地位の低さが反映されているとする批評もあります。このような批評は、映画が制作された時代背景を理解する上で重要であり、現代の視点から再評価することで、当時の社会の問題点や進歩の必要性を浮き彫りにする役割を果たしたとも言えるのではないでしょうか。
 小津安二郎の映画では、俳優を正面から撮る手法を独特な映像スタイルとして有名です。この手法は「正面ショット」として知られ、この映像により、観客とキャラクターの間に直接的な視線の交流が生まれるとされています。これにより、観客はキャラクターの感情や内面により深く共感を醸成するとされています。正面ショットは、特に対話シーンで効果的です。キャラクター同士の会話がより強調され、言葉の重みやニュアンスが観客に伝わるとされています。この特徴ある手法に加え、カメラがほとんど動かない静的な構図が多用されています。正面ショット以外でも、街の様子や、建物の外形といったシーンで、全体に落ち着いた雰囲気を与えていると思います。
「秋刀魚の味」でも家族の会話の場面、同窓の間の会話で、得意の「正面ショット」で、物語が綴られて行きます。はじめは、言葉毎にカットが変わるので違和感を持ちますが、見ているうちに、会話に引き込まれてしまう気がします。
 主人公の平山と彼の友人たちが居酒屋で飲むシーンが二度三度と描かれますが、小津映画の特徴である低いカメラアングルと、日常の中にある人間関係の微妙な変化が、「正面ショット」と軽妙な会話で、見事に捉えられています。
 長女の路子の結婚話を進めるうえで、彼女の思いが破れてしまい、家の二階の部屋で一人机に向かい悲しみを堪える場面とそこにやってきた父 平山が、寄り添わないまでも「下に来なさい、一緒にお茶を飲もう」と慰めにもならない声を掛けるのが日本のおやじらしい場面で、悲しみを深く描かない手法は、驚きさえ覚えます。後に路子を演じた岩下志麻さんの回想で、この場面を数百回やり直しさせられた話を聞きました。撮影が終わった後、小津監督から、悲しみの中には、色々な感情が混沌と入交、それを表現できるまで待っていたとい逸話が伝えられています。
 この娘路子の結婚式のシーンでは、伝統的な日本の結婚式の美しさと、父親としての平山の複雑な感情が描かれています。実際に結婚式の場面は無いのですが、正装の男性の様子と娘の白無垢の姿が描かれ、それだけで神聖な映像が構成されているところは、高度なテクニックと感じられる次第です。
結構式が終わり主人公の平山周作が一人で酒を飲むシーンでは、クローズアップされた彼の映像で、彼の孤独と人生の無常を象徴され、特に何も描かないながら、静かで抒情的で非常に感動的な場面となっている気がします。
その他、特徴的な固定映像の場面では、東急池上線の石川台駅が登場します。この駅は、映画の中で重要な物語の舞台となっています。石川台駅の風景や、近くの踏切を通る電車の映像が、映画に入ることで、時間経過や物語が綴られる状況を自然に描き出していると感じています。また、貴重な映像が、当時のままの雰囲気を残しており、映画ファンにとっては訪れる価値のある場所となっている様です。
 突然映画の中で登場するビルのカットは、東京の銀座にあったビルが使われているとのことです。このビルは、映画の中で重要なシーンの背景として登場し、上記の抒情的な池上線沿線の雰囲気から、会社生活が営まれている都会の雰囲気を描き出しています。また、この映像は、当時の東京の都市風景を象徴している点で興味深いと思います。

 最後に、日本映画界の二大巨匠である小津安二郎と黒澤明とに触れさせて頂きます。二人は、日本映画界の二大巨匠として知られていますが、その作品やテーマ、スタイルは大きく異なっています。黒澤明の代表的な映画には、「七人の侍」や「羅生門」、「生きる」などがありますが、ダイナミックでドラマチックな要素が強いと感じています。彼の映画は、サムライや戦国時代を舞台にしたものが多く、アクションシーンや壮大なストーリーが特徴で、そんな緊迫した物語の中で、人間の本質や社会の問題を鋭く描き出し、観客に強いインパクトを与えている様に思います。一方、小津安二郎の作品は、主に家族や日常生活をテーマにしています。彼の映画は、静かなカメラワークと低いアングル、そして緩やかなテンポが特徴であると思います。彼の映画は、家族の絆や世代間の葛藤、そして変わりゆく日本社会を描いています。例えば、「東京物語」や「秋刀魚の味」などがその代表作です。二人の映画は、テーマやスタイルの違いから、対照的な位置にあり、小津安二郎の作品は、静かで内省的な作品であり、観客にじっくりと考えさせる一方で、黒澤の映画は、力強くドラマチックな展開で観客を引き込む大きな力のある映画と思います。このように、二人の監督はそれぞれ異なるアプローチで日本映画界に大きな影響を与えてきたと思います。注目されがちな黒沢明監督の作品だけでなく、小津安二郎の作品も、広くご覧いただきたいと思います。

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