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子どもが選び取る力を育むために
反省を求められる朝
年末の帰省中、母からの一言で考えさせられる場面があった。
「毎朝6時に起きるって言ったくせになんで7時半なの?」
「孫が洋服をきちんと畳めないのは、あんたの躾が悪いからだ。」
「どうしてあなたは素直に非を認めないの?」
母は私に反省するように言ってきたんだけど。
年末、日曜日朝7時半に起きたことや、娘が洋服を畳めないことが、本当に「謝るべきこと」なのだろうか。
私にとって「謝罪」を言う基準は明確だ。
それは、自分の行動が他人に迷惑をかけたときだ。
娘も洋服を畳むことの大切さは理解している。ただ、それが習慣になっていないだけの話だ。
社会で学ぶべきことは、いずれ本人が自然に学んでいくものであり、この場面で母に謝る必要はない。
親の価値観が苦しみを生むとき
この事例を通して思うのは、母の価値観の絶対性が、私自身をどれだけ苦しめてきたかということだ。
そして私自身も、かつては絶対的な基準を持つ「君主」のように、娘に価値観を押し付けていた時期があった。
「こうあるべき」「これが正しい」という価値観を一方的に伝えることで、娘の中から「自分で考える」力を奪ってしまう危険性に気づかなかったのだ。
価値観を押し付けるリスク
親が価値観を絶対的なものとして子どもに押し付けると、子どもはどうなるのか。
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