「人生肯定」全文公開 【 第1章 人生にはおやすみも必要 】
初の著書「人生肯定」出版から1年が経ちます。
はじめに
第1章 人生にはおやすみも必要
第2章 足りないものを埋める為に人生を使っていないか
第3章 一生懸命に駆り立てられる人生の根っこにあるもの
第4章 固定概念を手放して、人生をデザインしよう
第5章 パートナーシップと人生の深い関係
第6章 「人生肯定」を、今ここからはじめるエッセンス
特別対談
あとがき
巻末付録(本プロジェクトについて)
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本日は、第1章「人生にはおやすみも必要」の公開です。本章では、著者である私が「人生肯定できるまで」を、勇気を出して赤裸々に綴りました。
責任感や欠乏感、危機感から、「期待に応えるために、自分を犠牲にしても頑張る!」しか人生の選択肢になかった私が、肯定感と心に余白を取り戻した6ヶ月間のリアルストーリーに、たくさん「共感しました!」の声を頂けて嬉しかった私の一番好きな章でもあります。できればお時間がある時に、ゆっくりと読んでいただけると幸いです。
責任感から奮い立つ自分に疲れてしまった
2019 年 5月18日の日記にこう書いてあった。
何者にもならずに死にたくない。いつでも野心的に、でもしなやかに、ないものを創造する私でいたい。壮大な夢を語り、理想を現実にする、そんな生き方がいい。 新しい時代を創ったと胸をはれる自分でありたい。世界の希望になりたい。
でもこの4ヶ月後 、34 歳の誕生日を迎える9月。ピンッと張った糸が切れる音と同時に、 「もう頑張れない......」という自分の心の声が聞こえてしまったのです。思えば、私はいつもなにかに追われていました。私はいつも頑張っていました。何者かになりたくて。でも内心は不安で、認められたくて、存在意義を求めていました。
2018年8月 、株式会社 CRAZYに転職して以来3年半所属していたウェディング事業部を離れて、「 法人向けのお祝い事業 」をリーダーの立場で立ち上げることになりました。これまで結婚式で培ってきたメソッドを生かし、社員総会や周年イベントを機に、 会社で働く1人ひとりが「この会社にいる意味 」や「この仲間と共に目指す理想 」を体感する機会を届ける事業。周年イベントや社員総会のマンネリ化に課題を感じている企業様 、節目をきっかけに社内の関係性を強化したい企業様に向けて、組織コンサルティン グとイベントプロデュースをかけ合わせたサービスをスタートしました。
当時の私は「この想いを届けたい 」「もっと多くの方にこの事業を知ってほしい 」と連日休みなく奔走していました。毎日営業に伺い、各企業様の課題に合わせた提案書を作成。 毎週のように納品をしながら、ゼロからのチームづくりに奮闘する日々。いちウェディン グプロデューサーだった立場から、私自身がこの事業 、このブランドの顔という立場へ。 喜びややりがいと同時に、売上をあげることへのプレッシャーと責任を感じ、「私が倒れちゃいけない 」と常に自分を奮い立たせていました。法人向けのお祝い事業立ち上げから1年間 、家事をする余裕もなく、夫が眠る頃に帰宅して、夫が起きる前に自宅を出る生活。「あくせく働く日々が充実している 」という錯覚と共に、使命感に駆られ、必要とされるのが嬉しくて、仕事に生きがいと喜びを感じ、「私にしかできない仕事だ 」と思って邁進していました。でも実は身も心もボロボロ......。限界が来ていました。突然涙が出て、鼻血が出て、朝は全然起き上がれない。部屋は荒れ、夫との会話は減り、人に優しくできなくなり、ひがんだり、八つ当たりしたり。本当はもうとっくの前から身体と心が悲鳴を上げていることに、見て見ぬ振りをしていました。そして私は気付いたら、大切そうななにかのために、本当に大切なものを失いかけていたのです。
私にとって本当に大切なものは、純粋な心 、家族 、人間らしい暮らし。大切そうなも のは、会社 、仲間 、責任 、目の前のタスク。
昔から根っからの負けず嫌いで責任感が強く、「期待に応えたい」が原動力だった私は、 社会人生活がスタートしてからはいつも、大好きな仕事に身を捧げていました。でも、純粋な気持ちで“誰かのために”で取り組んでいたことが、いつの間にか、“自分を犠牲にしても誰かのために”にすり替わっていました。そんな精神状態に追い打ちをかけるように訪れたのが、父の余命宣告だったのです。
私を立ち止まらせた、父親の余命宣告
長年入退院を繰り返していた父の最期が近いとわかったのは、2019 年 7月。大きな仕事がいくつも重なって、忙しさもピークの時でした。週末になんとか時間をつくって、大阪の実家の近くにある病院に通いました。人工呼吸器を付けていて、すでに会話はできなくなっていても、私が病室を訪れるときにはにっこりと嬉しそうに微笑む父。いつも「病院食が嫌だ、食べたくない 」と駄々をこねるのに、私がお粥をすくって食べさせてあ げたら大人しく食べる父。幼い頃とっても厳しくて怖かった父がだんだん衰弱していく姿 を見ながら、何もできない自分への歯がゆさばかりが募っていたけど、そんな姿を一瞬見れるだけでも「来てよかったな 」と思えて、東京と大阪を往復する日々を約 2ヶ月間続けました。もう一踏ん張り奇跡を信じて延命治療を望む気持ちと、ここまで頑張って生きた父に「もう休んでいいよ 」と言いたくなる気持ちの狭間でもがきながら、父との最期を悔いなく過ごすために、少しずつ自分の状況を変えていきました。会社と相談しながら仕事量を減らし、なるべく遠隔で可能な仕事に切り替えさせてもらい、父の余命宣告に背中を押されるようにして、自分の働く、いや「 生きる 」スタイルを変えるための舵を切りました。気持ちを切り替えるために髪をバッサリ切り、結婚前から夫と住んでいた自宅も思い切って引っ越しました。心機一転することで、次第に身体も心も回復していったように思います。
そして 2019 年9 月19 日。「 病状が悪化してます。そろそろ覚悟を 」そんなドラマみたいな言葉を主治医から聞いて、母と姉と相談してこれ以上の延命治療 を断りました。それは、奇しくも私の 34歳の誕生日。父と過ごす最後の誕生日になりました。
その日の日記には、こう書いてありました
それから2週間後の10月4日、父は静かに息を引き取りました。(note:故人を偲ぶことは、悲しみに暮れることだけじゃない。最期だからこそ人生を祝いたい。)
そろそろだ、というタイミングからずっと父に寄り添って、手を握って、体を拭いて。最期の最期まで見届けら れた私は悔いのないお別れができてとても幸せでした。息を引き取る日も、通夜の日も、 骨だけになった日も、眩しい陽の光に包まれる秋晴れで、気持ちのいい風が吹いていまし た。その時 、私自身も人生の優先順位が変わる匂いがして、肩の力がふっと抜けたのを今でも覚えています。死と向き合うことは、生と向き合うこと。最期があるから今をどう生きるか真剣に考えるようになる。昨日まで隣にいた父がいなくなった時に、言葉では聞 いたことがあって知っていたはずの「 人は本当に死ぬのだ 」ということが、急に自分ごとになりました。そして「 明日死ぬとしたら、私はどう生きたい ?」という問いを自分 に投げかけてみると、「 明日死んでも悔いはないと思える毎日を生きたい 」と素直に思えました。もしかするとそれは、必死に命を削って頑張ることじゃなくて、自分を愛して、 心が喜ぶ一瞬一瞬を積み重ねることなのではないか、と。本当の意味で「 生きる 」ということは、当たり前の日常や目の前の小さな幸せを楽しみ、人生の機微を味わうことなのかもしれない、と思うようになったのです。
その時ふと、 1年ほど前に「ねぇ、いつまで頑張るの?」と知人に言われたことを思い出しました。当時の私には、“頑張らない”なんて選択がなかったから、これからもずっ と頑張るもんだと思っていたし、何かを成すためには頑張らなければいけないとも思っていました。でも、「すごいアウトプットを出さなくたって、頑張らなくたって、あなたはあなたであるだけで価値があるのに、そのことに気づいていないのはあなた自身だね。」 と知人からは言われていました。思えば、あまりに生き急いで物事を雑に扱うことが多 かった私に、最愛の夫は「 小さなことを大切にするのを忘れないで 」「 君が笑ってくれて いたらそれだけで幸せだよ 」と言い続けてくれていました。そんなことを立て続けに思い出して、“何者かにならなくても、何かを成さなくても、私が私であることが最大の貢献。私が幸せであることが、一番の役割。”心からそう思うようになりました。常になにかに追われながら、誰かのために身を捧げるという小さな箱に収まる自分をやっと解放してあげられる気がしました。本当に大切なもののために、わがままになろう。誰かのため やこうあるべき、に縛られず、私はどうしたいかを中心に置いて人生を考えてみよう。生み出したいものを生み出したいペースと温度で生み出してみたい。生き急ぐことをやめたら、きっとすでにここにある幸せにも気付けるはずだから。それはこれまで「 上へ上へ 」 「もっともっと 」と、未来のために今を犠牲にしてでも成長したがっていた私にとって、 驚くべき心の変化でした。
「ずっとやりたかったことを、今やろう。」余白のある穏やかな生活とは無縁で、常にカ レンダーを埋めないと不安だった私は、なんと翌年 2020 年 1月から 3ヶ月間の「 人生のおやすみ 」を取ることを決めました。責任感で動くことでも、命を削って頑張ることとも違う。自分本位に生きてみること。今なら私は変われる、新しい人生をはじめられる、そんな気がしました。心身ともにデトックスして、いずれ実現しようと思っていた2拠点生活の場所探しをすることに決めました。私が「 人生のおやすみ 」の場所として選んだのは、ニュージーランド。 20年前 、姉に連れられて初めて海外旅行として訪れた国です。旅好きの友人からも「 明奈はニュージーランドきっと好きだと思うよ !」とおす すめされていて、いつか長期で行きたいと思っていた国に、今回は旅行ではなく暮らすための場所として行くことにしました。思いついたら即行動の私は、すぐに夫と会社のメンバーに相談し、数日後には航空券を購入。自分が担当する案件が全て完了する 2019年末をもって休職し、 1人で 3ヶ月に渡るニュージーランドの旅へ出発しました。
ニュージーランドで手放した「ねばならない」という囚われ
ニュージーランドで暮らした3 ヶ月は、私の「ねばならない 」という囚われをゆっくりと解きほぐしてくれました。出国前夜に、ニュージーランド在住の執筆家 、四角大輔さんら著のガイドブック「LOVELY GREEN NEW ZEALAND」を読んで、 到着初日の宿だけを予約。ニュージーランドに行ってからの予定は全く考えず、出発しました。オークランド空港に到着すると、災難なことにロストバゲージして、私のスーツ ケースが届かないというアクシデントが発生。でも身も心も軽くなった私は、「なんとかなるさ 」と開き直ってオークランドからフェリーに乗って 40分 、ワイヘキ島という小さ な島へ手持ちのカバン一つで向かいました。急いで探した民泊は、鬱蒼とした茂みを抜けて現れる、キッチン付きの小さなお部屋。笑顔の素敵な女性が出迎えてくれて、ロストバゲージしたことを伝えると「 大変だったわね 」と優しくハグをしてくれました。その日 は簡単に夕食を済ませて眠りにつき、翌朝 、目が覚めると陽がキラキラと差し込んで、 小鳥がさえずり、「あぁ、自由だ 」と心に穏やかな風が吹くのを感じました。それからま ず1 週間は、無理に予定を詰め込むでもなく、やりたいと思ったことをやる、ノープランの毎日。それでも、必ず1日ひとつ、心躍ることをやるようにして過ごしました。
毎朝ヨガをして、ゆっくりと海辺を散歩して。農園を訪れてはワイヘキ島産のオリーブオイルやハチミツを買って、地のものやオーガニックの食材を自炊をして食べました。服も化粧品も何も手元にはないけど、問題なくご機嫌に新しい暮らしをスタートしていまし た。そして、5 日ぶりに行方不明になっていたスーツケースが届いてみると、必要なものなんてほとんどなかったことに驚きました。出発前には、 3ヶ月の旅に必要そうなものをかなり厳選してスーツケースに詰めたつもりだったけど、それでも「これいらなかった な 」と思うものばかり。本当に必要なものは、ほんの少しだけなんだと心底思いました。
思えばこの数ヶ月で、いろんなものを手放していました。これが欲しい、あれも必要 、 あれをせねば、これをせねば、私がいなくちゃ、私がやらねば。そこに付随するいろんなものを背負ってきましたが、父の余命宣告を機に仕事量を減らし、髪を切り、引越しをし て、旅にでて。一歩を踏み出せば、こんなにも簡単に『 手放す 』ことができるんだ、と知 りました。「こうでなくてはならない 」と硬く覆っていた息苦しさは、実は自分の思い込 みだったのです。一見災難だったロストバゲージは、自分を縛り付けていたのは自分自身 だったことに気付かせてくれた、印象的な出来事になりました。
削ぎ落とすと同時に、やっと出会えた本当の自分
ニュージーランドで暮らし始めて 10日が経った頃 、私は北島最大の国立公園 、神秘のワイカレモアナ湖沿いの、原始林に囲まれた崖上を歩くトレイルウォークに行くことにしました。一切インターネットが通じないため、車での移動を含めると 週間完全オフラインにする必要がありました。でも、携帯電話やインターネットをオフにすることはある意味 、世の中と離れること。その間に世の中はもっと進んでいくかもしれないし、自分が知らない間にいろんな出来事が起こって話題に置いていかれるかもしれない。いつでも連絡がつくことは仕事上の責任だとも感じていたので、今まで長期で完全オフラインにすることはありませんでした。でも、これを機に思いきってやってみることに。ノイズの多い現代社会において、デジタルデトックスの重要性は知っていたし、いつかはやりたいと思っていたことでした。なによりこれは周りとの比較の中で生きることをやめ、新しい自分や考え方に出会えるまたとない機会になるかもしれない、と思えたからです。
そうしてパソコンを宿に置いて、スマートフォンの電源を切って、 4日分の水(約6リットル)と食料 、寝袋や着替えと鍋やガスなどの調理器具を詰め込んだバックパックを抱えて、出発しました。ひたすら登りの道を毎日 10kmくらい歩くのは正直辛かったけど、トレッキングの良いところは自然に触れながら黙々と歩くことで自分との対話ができることです。日が昇る前に山小屋を出て、次の山小屋を目指す。 6時間ほど歩いて昼過ぎにはその日に泊まる山小屋に到着。もちろんシャワーなどないので、湖にドブンと飛び込み汗を流す。陽を浴びて、優しいそよ風を感じながら静かに本を読む。少しの食材で御飯を作り、暗くなる前に御飯を食べ、次第に太陽が沈み、 20時には1 人 、また 1人と山小屋に入っていく。電気もない、車や電車もない。自然の中に、たった1 人いる私の息音しか 聴こえない、そんな静寂が訪れるのです。
3日目の夜 、まだ眠くない私は山小屋の外の階段に腰を下ろして、星が瞬くのを待っていました。鳥が鳴く、木々が風で擦れる音がする、それ以外は物音が一切しない。「あぁ 完璧な静寂だ。」そんなことを感じながら空を見上げると月と満天の星が輝いていました。 ただそれだけのことなのに、泣けるほど美しくて、途方もなく心を奪われました。こんな にも月明かりが眩しいなんて、東京に暮らす私は知らなかった。何時間でもここにいたい。 そう思えるほどの静寂の中に身を置いたこの夜 、私は「 本来の自分 」と対話した気がしました。広い広い社会の中で、ポツンとただそこにいる自分。肩書きや実績 、こうあるべきを全て削ぎ落としてゼロになった自分。誰かの目を気にして、誰かの期待に応えて、 「 誰か 」という存在と共に生きてきたことをリセットした自分。空っぽになった先に残った、本来の自分との対話を通して、責任感や期待に応えることをしなくても自分の人生が 愛おしいと思えて、心が満ちていくのを確かに感じていました。人生は「 誰か 」に満たしてもらうのではなく、自分で満たすものなんだと。
新しい自分が迎え入れた、新たな価値観
その後2 ヶ月間は、車を運転してニュージーランドの北島 、南島のおすすめされた街を訪れ、その土地に流れる空気を吸いながら、ゆっくりとじっくりと暮らすように旅をしました。その日々の中で、自分の価値観がなめらかに変化していくのを感じていました。例えば食べるもの。私はもともと菜食主義でもなく、むしろお肉が大好きでした。ベジタリアンやビーガンという言葉はもちろん知ってはいたけど、自分がそれを選択しようと思うことはなく、食や健康への意識もそれほど高いタイプではなかったと思います。でも今回 、姉が大学時代にホームステイしていた、ビーガン生活をしているご家族と一緒に暮らすことになり、私もこの機会に学んでみよう、とゆるやかに取り入れてみました。姉がホームステイをしていたのは25 年前ですが、そのご家族は 10年前にお父様の病気を機に、家族でビーガン生活を取り入れるようになったと聞きました。私はそのご家族と一緒に、なるべく野菜 、なるべく魚 、なるべくオーガニックのものを選んでいきました。お肉や卵を食べたい時は、少し高くてもフリーゲージ(放飼で育てた)のものを選ぶように。大切にしたのは、「お肉は絶対食べない !」「これはダメ!」「 身体に悪いものは悪!」となにかを否定したり、自分を律して追い込むのではなく、生産者のこだわりを聞きながら楽しんで選ぶこと。そんな風に余白を残すことで、柔軟に菜食主義を取り入れる「フレキシタリアン」生活にシフトしました。
その他にも、日々の暮らしで出るゴミへの意識も変わりました。ニュージーランドでは、 多くの家庭で毎日の生ごみを堆肥(土の栄養)に変えるコンポストを活用しています。ほとんどの街がビニール袋を撤廃してるので、買い物に行く時はエコバッグを必ず持参。忘れた時は手に持てる分だけ買うようになりました。食材も洗剤も調味料も、量り売りのオーガニックショップが多いので必要な分だけ購入。毎回「これ、本当に必要かな ?」 と自分に問いかけることで、何となく買い物カゴに入れる、何となく試してみる、なんて ことを避けられるようになりました。また、なるべくビニールやプラスチックを使ってい るものではなく、リサイクルできる容器のものを使い、カフェにはタンブラーを持参。水筒に水を入れて持ち歩くことで、ペットボトルの飲み物は買わなくなりました。そんな風 に、ついこの間まで興味の対象じゃなかったことが日々の当たり前になっていくことに驚きながら、「 環境にいいこと、カラダにいいことをせねばならない 」ではなく、「いいものだから選ぶ 」「美味しいから食べる 」を大切にすることで、無理なく意識が変化してい きました。
そんな言葉があるように、今 、ここにいる私は、未来のために何を選択するのか。ファッションやトレンドをなんとなく追 うのではなく、自分の消費は地球や望む未来への意思表明であると実感しながら、意思を 持って選ぶことで、環境への意識が自然と増していったように思います。「 地球 」という 遠い存在だったものが、実はとても身近で、私たちはあらゆる生き物と共存 、循環しながら、地球に生かされていると感じるようになりました。でもきっとこれは、これまでの私には自分ごとにできなかったこと。これまでの生き急ぐ人生を手放したことで、迎え入れられた価値観だったように思います。
世界の当たり前が変わる、その瞬間に立ち会うことになった。
2020年3月25 日。私はニュージーランドから帰国。家に着いたのは20時半頃。一息つく間もなくテレビを付けると、小池百合子東京都知事からの「 新型コロナウィルスの感染爆発の重大局面である 」といった会見が行われていました。実はこの 日前 、私は宿泊していたバックパッカーズホステルのロビーで、「ニュージーランドで歴史上初のロックダウンを行う 」というジャシンダ・アーダン首相の会見を、見ていました。正直 、3 月のニュージーランド国内はまだ感染者数が少なく、新型コロナウィルスに対して多く の人が他人事だったように思います。私自身も、日本で感染者が増加しているニュースをチェックしながら、「今日本に帰るほうが怖いな 」と帰国を迷っていたほどでした。それが一変 、 3月23日の会見直後からあらゆるものが猛スピードで決断され、人々はロック ダウンに向けた準備のためにスーパーに押し寄せ、道は大渋滞。その日のうちに、3 月30 日にはニュージーランド航空が運休されることが発表され、私も急いでウェリントンから オークランドに移動し、ホームステイしていた家族に最後の挨拶もできないまま、空港近 くのホテルに滞在することを決めました。ニュージーランド最終日が、まさかホテルで カップラーメンを食べながら、 1人で過ごすことになるとは思ってもみませんでした。価値観を変えてくれた「人生のおやすみ 」が、当初イメージしていたものとは全く違う形 で締めくくることになり、ロックダウンした日の朝 、私はニュージーランドを後にしました。
2020 年 3月を思い出してみると、日本の危機管理の甘さを不安視する声が上がり、 SNS では政府の対応を批判する投稿に溢れ、誰もが「この先どうなるのだろう 」という不安とストレスでいっぱいでした。感染予防のために外出自粛が要請され、リモート勤 務への切り替え、学校が休校となって子供を預けられないまま自宅での仕事を余儀なくされ、スーパーでは買い占めなども起きるようになっていました。東京オリンピック・パラリンピックの延期も決まり、間違いなく歴史の教科書に列挙されるであろう出来事と、これまでの当たり前がガラリと変わる瞬間に立ち会う、毎日がまるでドラマの中にいるよう な日々でした。ただ、ニュージーランドでいろんなものが削がれて帰国した私自身はというと、いい意味で焦りや不安 、「これをやらねば 」という使命感などなく、地に足がつい た感覚でした。この先仕事も暮らしも大きく変わるだろう。それでも「 何かを成すため 」 に新しいことを始めるのではなくて、心が動くままに、心が求めるままに、やりたいことを自然体の私で届けられたらいい。きっとその時は来るという、不思議と軽やかな気持ちでした。
立ち止まり、 人生を考える時間が増えた今だからこそ、届けたい
改めて振り返ってみると、「 生き急いでいる人代表 」みたいだった私は、偉大な何かを 成せるなら早死にしたって構わないと心底思っていました。でも自分の体調不良や父の余命宣告をきっかけに、未来のために今をすり減らすのではなく、自分を愛し軽やかに今を生きる選択もあると気付きました。同時に、人は漠然とした未来の不安感や、何者かに ならなければ、という衝動から自分を高めていくことにこんなにも駆られてしまうものだ と、自分の体験をもって知りました。周りを見渡すと、もう危機感や欠乏感から自分を追 い込んで頑張る生き方に、違和感を感じている人 、一度立ち止まって自分の人生を考え たいと思っている人は少なくはない、と思います。さらに新型コロナウイルスの影響で強 制的に立ち止まることになって、本当はどう生きたいのか、何をしたいのか、自分の人生 について考える時間が増えたのではないでしょうか。一方で、自分の気持ちやこれからの ことを見つめたいけれど、何をどう考えたらいいかわからない、そんな風にモヤモヤと悩 んでいる人もいるはずです。だからこそ、感じている漠然とした「 人生のお悩み 」に対 する不安や焦りを一緒に見つめ、溶かしていく手助けをしたい。
そんなマインドシフトに繋がる考え方を、今世の中に届けたいという想いがとめどなく溢れてきました。
人生は、いつだって今ここからはじめられる
私が「 人生肯定 」という言葉を使い始めたのは、2020 年7月頃です。内省するも、 自分で自分のことがわからなくなって結局自己嫌悪に陥ってしまう、という相談を度々受 けていました。また、常に周りを気にしながら自分の人生を誰かと比較して焦っている人 が想像以上に多いことを、2020 年 4月から「 人生を見つめるライフログオンライン講座 」を開催するたびに感じていました。皆がぶつかっている壁や抱えている悩みを聞け ば聞くほど、過去の自分を見ているようでした。でも、人生を見つめ、自分の人生を愛し てあげられるのは自分だけ。誰かに評価されるのではなく、自分で自分を評価できるよう になれば、「 自分探し 」の沼から抜け出して、誰かとの比較から解放されて、人生のあら ゆることを前向きに捉え直して生きていける。過去の自分に言ってあげたいと思っていたことを、まずは自分の手が届く範囲の人たちに伝えられたらと思い、「 人生肯定 」という考え方を SNS を中心に発信し始めたのでした。(note :自己肯定より人生肯定)
「はじめに 」でも書きましたが、人生肯定を体感してもらうために、個人でライフログ 講座を開催したり、SHElikesさんでの特別講義を行う中で、気付けばキャリアやこ れからの人生を考える20 代 、30 代の女性を中心に、9ヶ月でのべ 1000名以上にライ フログを体験して頂きました。そして彼女たちの声や変化から、私の人生全てが人のお役 に立てる喜びを教えて頂きました。人生をポジティブに捉え直す「 問い 」を渡すこと、 人生を肯定できるマインドシフトの機会を届けることが、私の (いきがい) になりました。その活動の 1つが本書です。そこで、次の章からはこの本を手にとって 下さったあなたに問いかけながら、時に簡単なワークを挟んで進めていきたいと思います。 本来の自分との対話と、人生を肯定をしていくプロセスを体感して頂けると嬉しいです。 人生は、いつだって今ここからはじめられる。私はそう信じています。
「第二章:足りないものを埋める為に人生を使っていないか」に続く。(4月14日配信予定)
「人生肯定」出版から1年の節目(2022.4.23)に個展を開催します。
第1章を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
4月で「人生肯定」の出版から1年が経ちます。本来ならば出版記念イベントを昨年4月に実施予定でしたが、コロナの影響で開催が叶いませんでした。それでも1年経った今だからこそ行う意味があって、今しか伝えられないメッセージがあるのでないか。そんなことを思い立ち、1日だけの個展を開催することにしました。
今回は人生の変化を味わう時間を、本ではなく空間に込めた対話式個展という新たなチャレンジです。何が「対話式」なのかは当日来て頂いてのお楽しみ。
コンセプトを大切に、出版から丸1年の節目となる4月23日(土)、1日限りの開催です。
感染予防の観点と、最適人数にてご鑑賞頂くために、1時間ごとに定員を設けたチケット制でのご案内予定です。ギャラリー自体は20〜30分程度で鑑賞頂ける内容となっているので、今から23日(土)のどこかで1時間ほど予定を開けておいていただき、お越し頂けると嬉しいです。場所は渋谷です。
私も終日在廊しますので、皆さんとゆっくりお話しできることを楽しみに、心を込めて準備しております。
※ここまでお読み頂いた方々、ありがとうございました。感想コメントや、右下のハートマーク押していただけると励みになります💛
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