【2月コラム】Ep.8 暇をちゃんと暇しながら楽しめる人。
毎月、1ヶ月の終わりに30分で書くコラム。
”A day in my life as a true myself.”
私が私であるための、毎日について。
今年は閏年。「地球は約365.242日かけて太陽の周りを一周するため、毎年、実際の季節と暦が0.242日(約6時間)分ずれていくのだそう。そのズレを修正するために、4年ごとに“うるう年”が設けられている。」のだそう。
そんな閏年の2月最終日、2月29日の今日である。
2月4日にスリランカに戻ってから、もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。今年は1年の半分を日本で、もう半分はスリランカで、という完全2拠点生活になりそうだ。スリランカでの生活は、仕事をしているとはいえど、毎日アーユルヴェーダに基づいた生活ということもあって、日本にいる時と比べて頭も心もかなり余白がある時間の過ごし方をしている。
だから今月は、「暇」の過ごし方について書いてみようと思う。
-----------------------------
毎日の中に「暇な時間」ってどのくらいあるだろうか。
私はいつでも予定がぎっしり。Google カレンダーも常に余白(隙間)がないように埋まっている方が落ち着くし、休もう!と思っても、気づいたら休むことに一生懸命になってしまう。「せっかくの休みだから、あれもやろうこれもやろう!」と結局休んでなかったりする。そういうタイプだ。
そもそも「暇」ってなんなんだろう?何もしない時間?ぼーっとする時間のこと?
そうなると「休み」の概念ってなんなんだろうと考えてしまう。
カラダを休める時間、頭を休める時間、心を休める時間。趣味に充てる時間、友達と遊ぶ時間・・・そういえば休みに「暇だ」と感じると、自分が時間を無駄にしてしまっている気がするのもなぜだろう。
今、私はスリランカのアーユルヴェーダホテルで仕事をしているけど、ゲストは休暇をとってスリランカに来ている。本格的な施術をするためにうちのホテルは、最低10日〜、推奨は2週間。長い方は1ヶ月以上の長期滞在(入院)だ。
本場でアーユルヴェーダを堪能しながら、心もカラダも根本からデトックスする。そんな時間を望んで来ていただいているけど、ゲストを見ていて思うのは、「みんな休むのが苦手なんだなー」ということである。特に日本人。
みんな忙しいことに慣れすぎて、突然できた空白の時間に戸惑う。暇な時間の過ごし方がわからなくて、すぐ予定を入れてしまうのだ。もう、休むのが下手くそすぎる。笑
1ヶ月の長期休暇が企業で義務付けられているドイツでは、1ヶ月以上の休みを取得するのも珍しいことじゃないから、みんないい感じで休むのがお上手。プールに入ったり、水着でサンベットに寝転がって本を読んだり、ぼーっとしたり。そんな感じで毎日同じことを繰り返しながらゆるく過ごしている。
アーユルヴェーダ滞在中も「せっかくスリランカに来たから」と出かける人がいるけど、出かけるたびにトゥクトゥクに乗って強い風を受け、人混みやノイズに触れたり、色々歩き回ったりすることで、せっかく整い始めていたヴァータがまた乱れてしまう。
だからアーユルヴェーダ中は正直あまり出かけず、集中してホテルで過ごして静かに自分と向き合う時間を過ごしてほしいなーと思ってる。どう過ごすかはその人の自由だし、出かけたくなる気持ちもわかるから無理に止めることはできないのだけど・・・つくづくみんな普段ぼーっとすることないから暇が嫌いで、余白があったら予定入れて忙しくしたがるなーと。これでは日々の癖から脱せていない。
これはある種の入院で、ここではぼーっとする時間が醍醐味。暇がご褒美。ただ海を眺めたり、ジャーナリングしたり、雑談したり。そういう何も生んでなさそうな時間が、実は一番必要な心のデトックスになっていたりする。
ゲストを見ていて、トリートメントや食事以外でそういう時間をじっくり過ごしたんだろうなっていう人は、目が違う。纏っているオーラが日々変わっていることも感じる。ドーシャが整ってサットヴァが滲み、オージャスが溢れていて、初日との顔つきの変化も明白。
だから暇な時間こそ「今なにが自分にとって一番大事なことか」を考える機会でもあると思う。
暇を余白と捉えるか?無駄な時間と捉えるか?またすぐ忙しくしちゃうのか?人生で一番ぼーっとする時間を過ごすと決めるのか。
暇な時間を楽しめる人は豊かだ。きっとそこに喜びや楽しさを見出せるのも、スキルなんだと思う。4年ぶりに1日多くもらえた2月最後の日に、私も改めて「暇」をちゃんと暇して楽しめる人になろう、そんなことを思った。
2024.2.29