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「人生肯定」全文公開 【 第2章 足りないものを埋める為に人生を使っていないか 】

初の著書「人生肯定」出版から1年。毎月14日に1章ずつ全文公開しています。

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はじめに
第1章 人生にはおやすみも必要
第2章 足りないものを埋める為に人生を使っていないか
第3章 一生懸命に駆り立てられる人生の根っこにあるもの
第4章 固定概念を手放して、人生をデザインしよう
第5章 パートナーシップと人生の深い関係
第6章 「人生肯定」を、今ここからはじめるエッセンス
特別対談
あとがき
巻末付録(本プロジェクトについて)

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今回は「第2章 足りないものを埋める為に人生を使っていないか」の公開です。この章では、20代、30代と何度もぶつかってきた「何者にもなれていない自分への不安」「仕事をどんなに頑張ってもどこか満たされないことへの焦り」。そうやって自己肯定感の低かった自分と向き合い、一つ一つに意味を見出しながら、少しずつ自分の人生の手綱を握り始めた頃のお話です。

この章からは、この本を手にとって 下さったあなたに問いかけながら、時に簡単なワークを挟んで進めていきたいと思います。 本来の自分との対話と、人生を肯定をしていくプロセスを体感して頂けると嬉しいです。

また4月23日には、都内で1日限りの個展も開くので是非お越しください。


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第2章 足りないものを埋める為に人生を使っていないか

何者にもなれていないことへの不安

 頑張っても頑張っても、「何者にもなれていない」ことへの不安や焦りは、多くの方につきまとうものである気がしています。私も先述したように、物心ついた頃から「何者かになりたい」と焦っていました。私にとって「何者かになる」とは、際立った強みや際立った誇れる何か(スキルや成果)があって、かつそれが自他共に求められている人や状態のこと。

 実は、私が人生カウンセリングをする中で、「自分の強みや得意なことはなんだと思いますか?」と聞いた時、多くの人が頭を抱え、言葉を詰まらせます。それはまだ何者にもなれていない、周りに認められていない中で、自分から「これが強みです!これができます!」と伝えることを、躊躇してしまうからだと感じています。強みや得意なことは、相対評価の中で見つけようとしてしまいがちですが、世界を見渡せば自分よりもすごい人、優秀な人なんてごまんといます。際立った強みやスキルが自他共に求められ、社会にも認めてもらえる。そんな「何者か」になれる時はいつくるのでしょうか。相対評価をしていては、いつまでたっても自己を肯定することはできないのではないでしょうか。

 でも、一度立ち止まってこれまでの人生を振り返ってみると、自分ができるようになったことって思いの外あると思いませんか?例えば、昨日よりも短い時間で資料作成ができるようになった。営業経験ゼロだったところから、一人で営業をしてご契約が頂けるようになった。プレゼンテーションが苦手だった自分が、今では堂々とプレゼンテーションができるようになった、などなど。

 「何者にもなれていない自分が不安」と感じている人にお勧めしたいことは、まずはこれまで自分がやってきたことを書き出して、客観的に見つめることです。積み重ねてきた出来事、努力してきたこと、お客様から頂いた声、自分が関わって世の中に届けたサービスもあるかもしれません。書き出してみると、たくさんやってきたことがあるはずです。誰かとの比較ではなく、過去の自分と比較してみましょう。そして、「大丈夫。私はここまでやってきた」と自分で自分の人生を肯定してあげましょう。すべてを受け入れて承認する。「何者にもなれていない自分」ではなく、「何者かになろうともがいている自分」に目を向けてみましょう。そうしたら、少しだけ焦りの気持ちを横における気がしませんか?

<あなたへの問いかけ/ワーク>3年前のあなたと比較して、できるようになったことはなんですか?どんな小さなことでもいいので、書き出してみましょう。

やりがいのある仕事に安定と高収入、それでも満たされないのはなぜか


 実は私、自分がウェディングの仕事をするなんて微塵も思っていませんでした。新卒で入ったのはコンサルティング会社。担当したのは「カーブス」という、アメリカ発女性専用フィットネスクラブの日本国内フランチャイズ展開でした。入社直後から加盟店に入り込み、現場で目標数値を共に追い、オーナー様のご相談に乗りながらスタッフ教育や戦略立案をサポートするなど、仕事の仕方も社会の当たり前もわからないからこそ、出来ることを一生懸命やるしかないと愚直に仕事をしていました。全国にまだ100店舗前後だった頃から、1500店舗を超える拡大をするまで、7年間現場に深く関わり、業績を上げるだけではなく、人の成長と変化に触れる瞬間がたくさんあるこの仕事が天職だと思って邁進していました。でも社会人5年目、27歳を過ぎた頃から、やりがいのある仕事、安定と高収入という恵まれた環境にも関わらず、どこか満たされない自分がいました。そんな私にとっての転機は、結婚したことで生まれた、「結婚式をつくるプロセス」でした。少し長くなりますが、経緯をお話させて頂きますね。

 がむしゃらにキャリアを積み重ねていた中で、28歳で北アイルランド人の男性と婚約。そして結婚式の準備をスタートするも、探しても探しても納得のいく結婚式場が見つからず、「結婚式を任せたい」と思えるプランナーさんにも出会えませんでした。かつ国際結婚という事もあってか、既存の国内結婚式のスタイルや常識の中では私たちの理想は叶えられないことに衝撃を受け、夫と相談して、北アイルランドと日本、それぞれの母国で結婚式をすること、そしてその両方をセルフプロデュースすることを決めました。夫とふたりで「どんな日にしたいか?」を語り、パーティーのコンセプトを決めることからはじめました。10ページにもわたるオリジナル企画書を握りしめて何件も式場を回って、当時パッケージ化されているのが当たり前の業界ルールを無視して、あらゆるものを自分で企画し、持ち込みました。そんなふうにあまりに楽しそうに結婚式の準備に没頭する姿を日々見ていた夫が「それを仕事にすれば?」と何気なく言ったことから、私は自分のキャリアについて考えるようになります。その後、友人の紹介でCRAZY WEDDING(※)の存在を知り、コンセプトウェディングの作り方を学ぶ1DAYセミナーに参加。CRAZY WEDDING創業者である山川の想いに触れ、その仕事が「憧れ」から「自分がやりたいこと」に変わっていくことを感じていました。そしてセミナーが終わる頃には「もうここしかない!」という確信から、その日初めて出会った山川に「私も一緒に働きたいので、面接して下さい!」と直談判していたのです。そこからは自分でも驚くようなスピードで人生が動き出しました。セミナーの3日後に会社に辞表を提出、その3ヶ月後に退職したのです。

 正直、前職では新卒1年目からたくさん期待をかけていただいて、7年間勤める中での実績も評価頂いて、ずっと願っていた海外で働くという希望が叶うチャンスもそろそろ出てきそうなタイミングでした。会社の居心地もお給料も良くて、安定を手放すというその事実だけ取れば不安もあったけど、一方で「そろそろ自分の人生を次に進めるタイミングだ」という直感は確信に変わっていました。当時のCRAZYは創業2年目、社員も約20名と小さな会社でした。なにもないけど夢はある。まだまだ先が見えない未熟なフェーズだからこそ、きっと今の自分の力を生かせるはずだという根拠のない自信が湧いて、最後はワクワクする道を選ぼうと決意しました。それまでの私は、就職活動時の「力をつけるために仕事がしたい」という軸を貫くように、仕事とプライベートを完全に分けることで「仕事モードの自分」を必死に成長させてきました。でも30歳を目前にした時に、「仕事を仕事と割り切る人生」より「仕事も人生もどちらも楽しみながら、自分の才能を発揮できる生き方がいい」という理由で、キャリアチェンジというよりもライフチェンジ、つまり仕事や職業を変えるのではなく、人生における判断基準を変える覚悟で「どこか満たされない自分」と別れを告げたように思います。

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 あなたも立ち止まって、ぜひ問いかけてみてほしいのです。「なんとなく満たされない自分」を放置していませんか?人生の全てが「仕事」になっていませんか?一度きりの人生、何に時間を使うのか。「まぁ、いっか。」その小さな積み重ねが、なんとなくの人生に繋がってしまう。それがあなたの明日を、未来を変えてしまうと思うのです。私はたまたま結婚を機に、結婚式のプロセスで人生が変わりました。でも今思うと、勝手に人生が変わったのではなく、自分の心が踊る方に思いっきり舵を切った瞬間がありました。仕事を仕事と割り切る人生を選択することも出来たはず。でも、あの時の私の幸せはそっちではなかった。もし、今「なんとなく満たされない自分」を感じている人は、それを放置せず向き合ってみてほしいのです。生き方に違和感を感じたり、変わりたいと思っているのであれば、心が震える方へ。一歩を踏み出すかどうかはあなた次第です。だってあなたの人生だもの。もっとわがままに、心が喜ぶ瞬間を見つけてみよう。そして時には勇気を出して飛び込んでみよう。出来ること(CAN)で仕事するのではなく、やりたいこと(WILL)に従う人生があってもいいはずです。

<あなたへの問いかけ/ワーク>あなたの心が喜ぶ瞬間ことはなんですか?CANよりWILL、やりたいことを書き出してみましょう


他人からの期待にばかり応え続けていると、自分の心の声が聴こえなくなる


 人はそれぞれの場所で役割がありますね。職場では、社長や役員、マネージャー、新入社員。家庭では、夫、妻、父、母、娘、息子。でも、ついついその役割にある期待を全うすることに、縛られてはいないでしょうか?いつでも期待を感じ取り、一生懸命それに応えようとする。会社のため、家族のため、社会のために。そしていつの間にか、その期待に答えていくことで評価される、幸せになれると思い込んでしまう。成果を出したら満たされると思っていたのに、頑張って成果を出しても、次のさらなる成果が求められる。評価され、高収入を得るようになっても、なぜか心は満たされなくて、終わりの見えない中で頑張り続けてしまう。それを続けているうちにいつしか、何事も「自分で決めた」と思えず、誰かに期待されないと行動が起こせなくなる。そういう人も多いのではないでしょうか?かくゆう私も、「誰かの期待に120%で応えること」が原動力な人でした。いつも全力で自分を奮い立たせて、期待を裏切りたくない!という強い気持ちで仕事をすることで、周りの期待だけではなく、自分の存在欲求を満たしていたんだと思います。

 役割を全うすること、期待に応えて頑張ることは決して悪いことではないと思います。でも同時に重要なのは、「自分で意思決定した」という感覚を持てているかどうか、ではないでしょうか。「期待に応えるため」が第一理由のまま仕事をしていると、周りにそう言われたから、会社の状況がこうだから、上司から指示されたから、と言い訳ができてしまう。私は、父の他界をきっかけに、「このままだと一度きりの人生、あれをやっておけばよかった」と後悔したり、本当はもっとこれがやりたかったのにって、会社や誰かのせいにしてしまいそうで、怖くなりました。周りの期待に応えるばかりの人生は、常に環境や周りに影響されながら過ごすことと一緒。次第に人生の手綱を自分で握っている感覚が薄れていくのだと実感しました。

 スティーブン・R・コヴィー氏の7つの習慣(※)という本の中では「インサイドアウト」という概念が紹介されています。ご存知の方も多いと思いますが、「インサイドアウト」とは、全ては自分から始まるという考え方のこと。全ての問題は自分の中にあって、自分が変わらなければ、周りも変わらないということです。

 そしてそれは同時に、自分を満たしていくことが、周りに良い影響を与えることができる、とも考えられると、自らの経験から実感しました。自分で自分の期待を満たすことから始めていく。「私がここにいる理由」を胸を張って語れるようなこと、自分の心の声に応えて生きていく。そうすれば、なにか失敗してまわり道をした時も、「でも自分が決めたもんね、あの時」って自然と思うことができるものだと思います。

 耳を傾けるべきは、誰かの期待や存在承認ではなく、「自分の心の声」だと腹落ちした時、周りから「期待されている」と自分で自分を縛っていただけなのかもしれない、と気付きました。以前は「自分にしか出来ない仕事」だと事業の責任を背負うこと、成果を出すことを周りから期待されていると思っていました。でも、父の余命宣告のあと、「実は3ヶ月休職をして心身ともにリセットしたい」と打ち明けた際、「それが良いね。最近ずっと辛そうだったもんね。明奈が幸せであること、明奈らしくあることを全員が望んでいるよ」と拍子抜けするほどあっさりと、会社のみんなが背中を押してくれたのです。私が幸せであること、ごきげんであることが、周りのためになることもあること、実は周りはもっと頼ってほしいと思ってくれていたことに、その時気づきました。

 周りの意見ばかりを優先してしまう人、自分の心の声を素直に言えない人は、大胆な意思表明じゃないにしても、まずは日頃から「自分の心の声に従う」という小さなトライをしてみてはどうでしょうか?ある日、友人がこんな話をしていました。周りに合わせてばかりの自分を変えたくて、御飯を食べに行った時、みんながカレーを頼んでいても、「私はハンバーグを食べたい!」と意思表明するようにしたそうです。そういうところから、周りの目や意見に左右されず、自分の心の声を聞く練習ってできるはずだよね、と。たしかに!と思いました。そういう小さいことでいいんです。他人からの期待ばかりに応え続けていると、自分の声が聴こえなくなってしまう。応えるべきは、自分の心の声。自分を満たしていくこと、自分が満たされていることが最優先。そうすることで、実は周りにも、会社にも良い影響を広げていくことができるんだと感じられる日が来るはずです。

<あなたへの問いかけ/ワーク>気づけば、周りの期待にばかりに応えていませんか?あなたの人生への期待や、心の声を書き出してみましょう


DoingとBeing、大切なのは何をするかよりもどう在りたいか

 心の声を書き出したら、ぜひ問いかけてみてほしいことがあります。そこにあるのは「Doing(ドゥーイング)」と「Being(ビーイング)」どちらでしょうか?Doing(ドゥーイング)とは、何をするか。やりたいことや、得意なことを指します。Being(ビーイング)とは、何を大事にして生きるのか。スタンスや価値観のことを指しています。

 どうしても、人は「どんな仕事をしよう」「どの会社に入ろう」「何を目指そう」とDoingに目を向けがちです。しかし、自分を知り、人生の手綱を握るために大切なのはBeing、つまり「どう在りたいか」です。自分はどんなスタンスで人に接するのか、どんな姿勢で社会を見るのか、何を美しいと感じるのか。その人「らしさ」は在り方にこそ現れるもの。自分の軸がしっかりしている人は、「どう在りたいか」が明確で、それを言語化出来ているように思います。

 世の中は驚くべきスピードで移り変わり、自分を取り巻く環境も変化します。今いる会社の状況も、人間関係も、やっている仕事も、半年後には変わっているかもしれません。そんな中で自分の意思で変わらずにいられるのは、自分の在り方ではないでしょうか。

 例えば、私が株式会社CRAZYへの転職を決める際、仕事や職業を変えるのではなく、人生における判断基準を変える覚悟でライフチェンジしたと先述しました。その人生の大きな選択における私の心の声はこんな感じでした。

▶Doing「結婚式を仕事にする」「CRAZYに入る」「働き方は自分でデザインする」
▶Being「可能性に挑み続ける人生がいい」「人生に光をあてる人でありたい」「自分ブランドで生きたい」「生き様で人の記憶に残る」

 今では、「人生を肯定する機会のプロデュース」がDoing、「人生を祝う」が私のBeingです。その先には、人生を肯定することで愛が巡り、人間的な感情を受けとめ合い、体温を感じるあたたかいコミュニケーションで溢れる世界になってほしい、そんな願いがあります。自分が大切にしたいDoingも、Beingも変化していいし、変化するものだと思います。でもいつだって忘れずにいたいのは、「自分らしさ」はBeingから滲み出るものだということ。未来を考える時に、あれがしたい、これがしたい、こうなりたい、といった「Doing」ばかりに目が向いていませんか?自分がどうありたいか、という「Being」を明確にすること、それを持ち続けることで、自分を見失わうことなくしなやかに変化していくことができるようになりますよ。

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<あなたへの問いかけ/ワーク>未来を考える際、何をするか?ばかりに目が向いていませか?あなたの心の声を「これをしたい」というDoing、「こうありたい」というBeingに分けてみましょう。

自己中心と自分本位は違うという発見

 ただ同時に、「自分の心の声を聴く」ということが、「自己中心的に生きること」になってしまいそうだと感じることはありませんか?そして、「自分ばっかり優先するなんて」と自分の意思を貫くことが悪いことのような気がして、自分よりも周りを過度に優先にしすぎてしまうことも。でも実は、この一般的に使われている「自己中心」という言葉と、一見似ている「自分本位」という言葉に大きな違いがあることを、私はある一冊の本をきっかけに知ることができました。

 トマス・J・レナードさん著のselfish(※)という本の中で詳しく解説されていますが、「自己中心的である」は、自分が良ければいい、世界は自分中心に回っているという考え方から、無神経にただやりたいことをやる、ということ。対して「自分本位である」は、我がままであるという考え方。そしてそうあることによって周りへの貢献になると気づくこと。そこには大きな差があります。

 私自身、仲間に申し訳なさを感じながら「実は3ヶ月休職をして心身ともにリセットしたい」と打ち明けた際、「それが良いね。最近ずっと辛そうだったもんね。明奈が幸せであること、明奈らしくあることを全員が望んでいるよ」と拍子抜けするほどあっさりと、みんなが背中を押してくれたことは、先述した通りです。そして私がごきげんであることが、チームの雰囲気を良くして、みんなが楽しく成果に向かえるようになり、結果的に仕事が円滑に進んで、周りのためにも会社のためにもなるということを実感しました。

 周りが残業している中で、自分だけ先に帰ることが出来ない。お休みを取りたいけど、忙しそうだし休めない。「本当はもっとこうしたら良いのに」と思ったとしても、考えてくれた人に悪いから提案しづらい。そんな風に、自分を押し殺したり、二の次にすることがあるかもしれません。そんな時は「自己中心的」と、「自分本位」は全然違う、それを思い出すだけで、少し肩の荷がおりる感じがしませんか?今では私は、チームで仕事をする時に、何か我慢していると感じた時や、心の声を素直に話せていないと思う時には、「自分本位」であることを意識して行動しています。

<あなたへの問い/ワーク>周りのためだと思って我慢していること、言えずにいることはありませんか?自己中心的な行動と、自分本位な行動の違いについて考えてみましょう

「いつかのために頑張る」という罠

 いつかの未来のために、今を少し犠牲にして頑張っている感覚、ありませんか?それは未来のために、“今できないこと”をできるようになろうと、身を削りながら努力するということに近いかもしれません。「目標や手に入れたい未来から逆算して、そこにたどり着くために今は頑張りなさい。」小さい頃から両親や学校でそう言われて育ち、会社では上司や先輩からそう言われて、「未来のために、今の自分を高める。」そうやっていつかのために頑張ることを当たり前にしている気がしています。確かに、出来ないことができるようになってはじめて任せられる仕事もある。出来ないことを出来るようになるために努力することも大切。その時が来た時のためにせめて平均点以上になっておかなければと、思う気持ちも分かります。また、今は得意を伸ばすよりも苦手を克服するために必死に力をつける時期だ、食いしばって頑張らないと、いつか必要とされなくなってしまうかもしれない、という恐れもあるかもしれません。いつかのために頑張ることはときに大切です。でも、その「いつか」は来ないかもしれない。そう思うと、今目の前にある家族との時間や、人間らしい暮らし、自分の健康、美しいと感じる純粋な心、そういったものをおざなりにしてまでも、いつかの未来を追うことって必要でしょうか?

 私自身も、「世の中にインパクトを与えられるなら短命でもいい」と思って生き急いできた節があります。でも立ち止まった時に、スケジュール的にもキャパシティ的にも余裕がない自分、誰かを思いやるような穏やかな心持ちのない自分では、見えていなかった美しい光景があることを知りました。例えば、なんでもない日だけど、風が気持ちよくて幸せと感じることや、高価な外食よりも夫と二人で作って食べるお家御飯が美味しいこと、沈む夕陽の美しさに息を呑むこと。いつかの未来ではなく、「今」に立ち止まってはじめて、日常で感じる小さな幸せはすぐそばにあったことに気づきました。それは、未来のために「あれもしなきゃこれもしなきゃ」と考えている時とは全く次元の違う、人として生きているという喜びや味わい深さみたいなものである気がしています。「いつかの未来」のためではなく、今の自分を満たすために生きるということ。今持っているもの、ありのままの自分を生かして、今この瞬間から出来ることで貢献するということ、楽しみながら貢献するということ。

 もしかすると「いつかのために頑張る」ということは、今がこんなにも愛おしい瞬間に溢れていることに気づかない、盲目な人生に連れて行く罠だったのかもと今になって思います。だからいつかのために頑張るだけではない、今を満たして生きる選択があることを知って、人生において本当に大切なものがなにかに気付く人が増えていくといいなと思っています。あなたは、「いつかのために頑張るという罠」にかかっていませんか?

<あなたへの問い/ワーク>目の前にすでにある幸せを味わう時間はありますか?少し立ち止まって、「いつか」ではなく、「今」に目を向けてみましょう

戦闘モードを卒業して、軽やかにはじめてみる

 あの人に負けたくない、自分に負けたくない、社会に負けたくない。そうやって自分を鼓舞して、奮い立たせること。周りや弱い自分を、”敵”とすることで自分の闘争心に火をつける「戦闘モード」になることが、私もあります。戦闘モードのメリットは、自分が思っている以上の力を発揮する可能性が生まれること。その期間を通じて、自分がいかに力不足だったかを痛感することや、まだまだ出来ることがあると自分の伸びしろに気付くことだと思います。競争をして能力が引き出され、才能が開花する人もいます。

 反対にデメリットは、今の自分を認められないことだと私は思います。「もっともっと」「上へ上へ」「まだまだやれる!」そうやって挑む裏には、今の自分を肯定できないメンタリティが潜んでいるように感じるのです。戦闘モードの時って、自分にも周りにも優しくなれないんですよね。隙を見せないように、弱い自分を出さないように、いつもスイッチオンの状態で心休まる暇も与えない。それはちょっとでも優しい自分を出すと、そのままあらゆるものを許してしまいそうで、意思の弱い自分を責めてしまうのが怖いからなのかもしれません。そして、スケジュール的な余裕も心の余白もないことで、誰かを思いやることができなくなって、隣りにいる人に感謝したり、季節の移り変わりや目の前の小さな変化に気付きづらくなることも事実です。
 
 私自身は人生肯定が出来るようになって、特にこの一年は「戦闘」「挑戦」「挑む」という言葉をあまり使わなくなりました。それはこれらの言葉が、弱い自分、まだまだ足りない自分を奮い立たせて、強い自分になるために、もっと言うと「何者かになることを目指して」使っていた言葉である気がして、今の自分にはしっくりこなくなったからです。戦闘モードの時は、なにかに「勝つ」という意識が強くなります。そうなると「勝ち」だけではなく「負け」や「失敗」も生まれてしまうかもしれない。逆に戦で闘うという価値観じゃなければ、「負け」も「失敗」もなくて、もっと軽やかに一歩踏み出せそうな気がしませんか?

 実は数年前まで、「近寄りがたい」「厳しい」「完璧で隙がない」とよく言われていた私ですが、最近ではこれまで言われたことのなかった「穏やかで親しみやすい」「温かい」「ちょっと抜けてる」と言われるようになりました。周りに与えている印象の変化に自分でも驚いています。でもそんな風に言われることが心地よくて、嬉しかったりします。そして私も、戦闘モードの自分よりも、今の軽やかな自分のほうが好きです。肩の荷が下りて、生きやすくなりました。深い呼吸ができて、地に足がついた感覚です。

 いつも戦闘モードでいる人は、人生を見つめる時も戦闘モードで考えがちです。弱くて、足りない自分と戦うメンタリティではなく、今の自分を認めて、愛して、周りと手を取りながら軽やかに変化する舵を切るのはいかがでしょうか?何かをスタートする時に、スイッチを入れて頑張ることも必要です。でも気負わず流れにのって始めてみたら、いつのまにかやりたいことになった。そんな風に軽やかに、人生を楽しんでみるのも良いのかもしれませんよ。

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 それでは、ここで小休憩。

 私は2020年2月から「ONDO(おんど)」(※)という名のオンラインサロンを運営しています。「世界の体温を上げる、優しくて美しいせかいのはじまりの場所をつくりたい」そんな想いからスタートして、自己肯定が苦手で正解探しをしてしまい悩んでいる人、振返りや自己内省が反省会になって楽しいと感じられない人に向けて、ポジティブな振返りを習慣化するためのメソッドをシェアしています。誰かに評価されなくても、自分と自分の人生を肯定できるマインドを身につけるきっかけを育むコミュニティです。

 ここからは、私がそのオンラインサロンメンバーと行った対話を公開するカウンセリングコラムを挟みました。30代女性が抱えている人生の「お悩み」と「本音」を紐解いています。「何者かになれていないことが不安」と感じていた彼女が、対話の中でゆっくりと、でも確かに人生肯定に向かうプロセスです。中々、誰かの人生の話を聴くことってないですよね。ぜひ人生の疑似体験をするかのように、読んでみてください。

「カウンセリングコラム」に続く。(5月14日配信予定)

2022.4.23に個展「365日後のあなたへ」を開催します。


第二章まで読んでいただきありがとうございます。

実は、来週の4月23日(土)は、出版から丸1年の節目の日。この日に、1日限りの個展を開催します。

人生肯定本を手に取って、読んでくださったあなたに向けてラブレターを贈るつもりで、「人生肯定」との出会いからの1年を振り返ってもらえるような場として心を込めて準備しております。

1時間ごとに定員を設けたチケット制でのご案内なので、ご都合の良い時間のチケットをご購入の上ご来場ください。私も終日在廊しますので、皆さんとゆっくりお話しできることを楽しみにしています。

※ここまでお読み頂いた方々、ありがとうございました。感想コメントや、右下のハートマーク押していただけると励みになります💛



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