【独身成仏3】〜尼さんの最晩年から学ぶ〜
約7割の人が病院で亡くなる日本の現代社会では、「死」や「死へ向かうプロセス」に直に触れる機会は少ない。それだけでなく、死との距離が近い高齢者や病気を抱えた人との接触もあまりない。高齢者の多くは老人ホームなどに集められ、お年寄りどうしで過ごすから、そうでない人たちは高齢者が衰えていく様子を身近に感じることも、その時の考えや価値観に触れることもほとんどないままに日々を忙しく生きている。
そのような現代にあって、時折見聞きする「誰かの死」は、死について学び、考える貴重な機会になっているが、今回は私が耳で学んだ2つ事例について書き留めておくことにした。この2つのエピソードは、どちらも私の姉から聞いたもので、1つは死について、もう1つは死を前にした老いについての話だったが、どちらの話にも参考にしたいポイントがいくつか含まれていた。
実際の体験をした姉について、ここで少し説明しておくと、姉は絵を描くことを生業としている。主に、タンカと呼ばれるチベット仏教式の仏画やその技法を使った創作画などを描いている。この道に入ったきっかけが21歳の時に訪れたブータン、ネパールだったということだから、もう25年ばかりずっとやり続けてきたことになる。
仏教に興味を持った姉は、23歳の誕生日に四国お遍路巡りに出発した。白装束に傘をかぶり、杖をついて、女ひとり、真夏の歩き遍路に出かけた。下着とTシャツ各2枚を毎日交互に洗って着回し、四国霊場八十八ヶ所、距離にして約1200キロを約40日間かけて巡り結願した。
そこから、最後の札所で再会した末期の肺がんを患った別のお遍路さんと一緒に高知県に戻って(*)眞念庵を訪れたあと、姉はお礼参り先として愛媛県の鎌大師堂を選んだ。鎌大師堂は番外札所(八十八ヶ所には含まれない札所)だったが、道中たまたま立ち寄った際に当時の庵主であった尼さんに大変お世話になったことから、結願したことの報告とお礼に再訪したそうだ。そこから高野山奥之院に向かい満願。弘法大師の修行の地をたどる旅は、ここで一旦終了を迎えた。
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